作陶歴50年、いまなお勉強中。〈水明窯 尾形修一さん〉

札幌市南区北ノ沢。人口195万人の都市とは思えないほどののどかな山奥に、尾形修一さんの工房があります。温かみのある粉引や渋い焼き締めの器。最近では若い人からも支持を集め、作陶歴はなんと50年を超えたそうです。レンガを積んだ穴窯の横で、背中を丸めてろくろに向かう尾形さんを訪ねました。(取材時期 2021年7月)

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水明窯(尾形修一さん)
電話番号 011-572-5090

やきものを愛してやまない水明窯の尾形修一さん

尾形修一さんの器は、現在のところ3種類。電気の窯で焼く、粉引きの白い器と、ツヤのあるブルーのビードロ、そして穴窯で焼く、焼き締めの器。「現在のところ」と表現したのは、尾形さんが、74歳を迎えて今なお学びの途中にあるからだ。19歳で作陶を始め、半世紀以上を陶芸家として歩んできた尾形さんだが、出てくる言葉といえば「なっかなかうまくいかないんだよなぁ」、「これが難しいんだよ」、「ここをもうちょっとこうしたかったのになぁ」、そして最後に「そんなすぐにうまくいくなら、今頃高級車にでも乗って気楽に暮らしてるか! ハハハ!」。

尾形さん自身の話を聞きたくて工房を訪ねたのに、ごそごそと棚から持ち出すのは、憧れの陶芸家の作品や写真集の数々。「この色、最高だよな!」、「こういうのがやりたいんだよ!」と興奮気味に話が始まった。全国各地の窯元を実際に訪ね歩いているそうで、各地域の作品の歴史や特徴にもかなり詳しい。

越前焼の大甕を作る技術のすばらしさや、志野焼の朱色と白のコントラストの美しさ、南蛮焼の第一人者である沖縄の島武己氏の作品の力強さなど。絶え間なく続く話は素人には難しい内容も多かったが、それでも、尾形さんがやきものを心から愛しているということだけは、少しの疑いようもなく伝わってきた。

一人前を目指して施設から試験場、そして独立

1947年、函館市に生まれた尾形さん。19歳のとき、勤めていた児童福祉施設で子どもたちと陶芸を始めたことが、のちに陶芸家となるきっかけだった。近所の土を掘ってきて粘土を作ったり、ろくろを使って成形したり。そのうちにもっと本腰を入れて学びたいと思うようになった。「3ヵ月や半年で(習得)できる仕事ではないからね。結局勤めながらやっても、それは趣味のレベルで終わってしまうと思ったから」。

尾形さんは施設を辞め、北海道立工業試験場の窯業部門の研修生となった。試験場では、各地の土の成分を調査したり、ろくろの技術を教わったり。師事したのは、北海道のやきものの草分け、涌井辰雄さん。山形県の新庄藩窯をルーツに持ち、試験場で40年以上にわたって北海道内の土の研究を続けた人物だ。その後、尾形さんは研修員から指導員になり、全国の窯元へ研修に出かけるなどし知識と技術を磨いた。そして1985年、独立を果たす。

丸一年かけて手作業でつくった穴窯。1万5000枚ものレンガが積み重なっている。

「やっぱり自分の窯を作って初めて一人前だよ。それはずっと思っていたことだから」。はじめは自宅の地下で、電気窯を使って。のちに土地を貸してくれる人が現れ、札幌市内の常盤地区に工房を構えた。作陶を続けながら、現在の北ノ沢地区に穴窯を築く。1万5000枚ものレンガを1枚ずつ積み上げ、手作業で作った穴窯。丸々1年間作業を続け、完成させたという。

理想の「色」を求めて年に1回の窯焚きにかける

使う粘土は、主に信楽の黄瀬粘土。尾形さん曰く「高くて良い土」。信楽といえば、鮮やかな朱色の発色(火色と呼ばれる)が特徴だが、その発色が特に美しく出るとされるのが黄瀬粘土。「やる以上は最高の素材を使って、最高のものに挑戦しないとさ。素材が良いからって良いものができるとは限らないけど、できる可能性はある。質の良くないものを使ったら、その可能性すらないからね」。

尾形さんが今挑戦中なのは、志野焼の茶碗。穴窯の窯焚きは年に1回。24時間薪をくべ続け、1週間炎を絶やさずに焚かなくてはならないため、かなりの重労働だ。それに比べれば、ろくろをひいて成形する時間は「ほんのちょっと」。それ以外に、おびただしい量の薪を割っては積み上げ、窯の準備をし、内部に作品を詰め、焚くのに膨大な時間と体力を要する。だから、「毎回テーマは1つに絞るんだ。年に1回しかないからってアレもコレもやろうとしても無理。『今回の窯ではコレをやるぞ!』って、決めてから取り組む」。

今回のテーマとなった志野焼は、実はこれまでにも何度か挑戦している。しかし、納得のいく出来にはならなかったという。理想とするのは、鮮やかな朱色の地肌を白い釉薬がたっぷりと覆っている状態。貫入と呼ばれるヒビや、プツプツとした小さな孔状の模様が全体に入り、釉薬の薄い部分から美しい朱色が透けて見えるような器だ。販売用に作っている粉引や焼き締めの器とはまったく異なる表現だが、「俺が使いたいから作ってるんだよ」と、尾形さん。焼き上がった中から一番良くできた一つを選抜し、抹茶を立てて飲むのが至福の時間なのだという。「でもねぇ、単純だからこそ難しい。掘った石を砕いて掛けるだけ(釉薬のこと)だけど、その具合が難しい」。

自分で足を運ぶから学びに対して本気になれる

そんな尾形さんの価値観が垣間見えたのは、話が陶芸教室の話題に及んだとき。「俺は教えるのは好きじゃないから、教室はやってない」と、尾形さん。教室をやってほしいと声がかかることもあるそうだが、基本的に、どこかに赴いて教えるということは一切やっていない。「本当にやりたいという人がきたら、自分が伝えられる技術は教えるよ。もちろん俺が知ってる範囲のことだけしか伝えられないけど。でも、そうやって自分から学ぼうとして、自分で足を運ばないと、本気にはなれないでしょ」。

尾形さんは、全国各地の窯元へ自身で足を運んで、現地で窯業に携わる人に会って、さまざまな知識を身に付けてきた。歴史や伝統、技術の特徴をその目で見て、感じてきたのだ。「面白いよ~、本当に。沖縄に行ったら帰りの飛行機代がなくなって、窯でご飯食べさせてもらいながらアルバイトしたこともあった。その窯元とは今も良い関係が続いてるよ」。備前焼の歴史ある窯元では、東京から来て10年になる作り手との交流もあった。「10年やっても他所の人。地域の葬式の時に手伝いの声をかけてもらえたらやっと一人前、みたいな話もあったね」。その土地ならではの風習や文化を直接肌で感じてきた尾形さんの話は、どれも臨場感があって、面白い。なんとアメリカのポートランドとの交流もあるそうで、海外での陶器の使われ方についての考察も聞かせてくれた。

学び続けることをこんなにも楽しそうに話す人に、かつて出会ったことがあっただろうか。ニッと歯を見せながら、「いろいろ勉強してるのよ! 俺なりに」と笑う尾形さんは、自身の作品に対してちっとも満足していない様子なのに、なぜだかとても楽しそう。その姿はとても羨ましく、輝いて見えた。

スロウ日和編集部

作品の常設店舗はなく、道内各地のやきもの市に出展しています。3/18-21開催の「北海道スロウなお買い物展in spring」にも出展してくれます。

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.68
「ここから始める、まちづくり」

私たちスロウ編集部が道内各地を巡る中で出会った各地のキーマンたち。地域の賑わいの起点になっている彼らに聞いたまちづくりのお話。

この記事を書いた人

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片山静香

雑誌『northern style スロウ』編集長。帯広生まれの釧路育ち。陶磁器が好きで、全国の窯元も訪ねています。趣味は白樺樹皮細工と木彫りの熊を彫ること。3児の母。