ニムオロ原野の片隅から。野鳥好きが集う宿・風露荘へ。

風露荘があるのは、「野鳥の楽園」として知られる風蓮湖や春国岱(しゅんくにたい)のほど近く。リビングの壁には、図鑑や写真集など野鳥にまつわる本が所せましと並び、野鳥好きたちが集います。1972年、鳥と花に囲まれた場所を求めて根室に辿り着いた高田勝さんと尚子さん。この記事では、高田勝さんの著書「ニムオロ原野の片隅から」の言葉を借りて、2人と、風露荘のこれまでを伝えます。ニムオロとは、アイヌ語で「樹木の繁茂しているところ」。根室の語源になった言葉とされています。文中太字にした部分は、「ニムオロ原野の片隅から」より抜粋したものです。(取材時期 2020年2月)

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フィールド・イン・風露荘
住所 根室市東梅249-1
電話番号 0153-25-3905
宿泊料金
1泊5,500円~
(夕朝食付きでの宿泊も可能です。料金等詳細は問い合わせを)

鳥と花に囲まれた暮らしを求めて

風露荘を訪れたのは、忙しない日々が続いた昨年の暮れのこと。荷物を下ろして、リビングの机で溜まっていたメールを返し、木で造られたお風呂に浸かる。「ふぅ」と、自分が深呼吸する音を久しぶりに聞いた。翌朝目覚めたとき、窓の外は辺り一面真っ白だった。洗面所でしんしんと降る雪を眺めながら、この朝をきっと忘れないだろうと思った。
 
「降りましたねえ」。リビングに向かうと、オーナーの高田尚子(ひさこ)さんが朝食の準備をしてくれていた。窓の外にはいくつもの餌台が用意してあり、野鳥たちが代わる代わる飛んで来る。続いて一匹のエゾリスがやって来た。窓越しに一歩ずつ近づいてみるが、こちらを気にも留めず、せっせとヒマワリの種を食べている。窓の外の来客たちの愛らしさに、思わず顔が綻んだ。

根室の片隅にある風露荘は、野鳥好きが集う宿だ。リビングの壁には、図鑑や写真集など野鳥にまつわる本が所せましと並んでいる。宿があるのは、「野鳥の楽園」として知られる風蓮湖や春春国岱(しゅんくにたい)のほど近く。この日も野鳥好きな常連客が宿泊しており、尚子さんと最近の野鳥情報などを話していた。 

東京生まれの尚子さんと今は亡き夫の勝さんが、東の果てのこの場所に辿り着いたのは、「鳥が多く、花がたくさん咲くところ」を探し求めてのことだ。

「これまでのことはほとんど、この本の中に書いてあります」と、尚子さんが一冊の本を手渡してくれる。「ニムオロ原野の片隅から」。自然愛好家であり文筆家でもあった勝さんが、根室への移住やその後の暮らし、根室で出会った自然について綴った本だ。高田勝さんが根室で出会った鳥や植物をはじめとする生きものとの出会いを記録した「ぼくの原野日記」と、牧場での生活を記した「鉄さんの大地で」が収録されている。

ニムオロ原野の片隅から(福音館書店、1979年)

鳥や花のことについては目を輝かせて話してくれる尚子さんだが、自ら多くを語るタイプではないようだ。ここからは、勝さんが書いた本の言葉を一部借りながら2人と風露荘の記録を辿っていきたいと思う。

「それも東部の原野を中心に歩き続けてきたぼくは、いつしか一つの夢を描くようになっていた。それは、いつの日か自分の手で"バード・サンクチュアリ"を作ってみたいということだった」。

若い頃から自然好きだった勝さん。学生時代には毎年のように道東へ足を運び、野鳥観察を楽しんでいた。そんな中で抱いた夢が、"バード・サンクチュアリ(鳥の聖域)"をつくること。もっといえば、鳥だけでなく、ほかの動物や植物の生息場所が保護されつつ、人々が観察を楽しむことができる場所をつくりたいというのが勝さんの夢だった。

勝さんと尚子さんは、東京で林業関係の専門誌を発行し、映画やスライドを制作する会社の同僚として出会っている。勝さんは全国各地の山や森を取材して回る仕事を担当していたが、道東以上に鳥と花に恵まれた場所には出会えなかった。やがて2人は、将来の道東行きを前提に結婚を決める。当時、尚子さんにとって北海道は「一度だけ旅行で訪れたことのある土地」。ほとんど知らない北国の、しかもずっと果てのほう。迷いはなかったのかと尋ねると、「行ってみて、上手く行かなかったら東京に帰ればいいと思ったの。その頃、主人に教えてもらって鳥や花が好きになっていたしね」と答えてくれる。ちなみに、勝さんから尚子さんへの初めてのプレゼントは図鑑。2回目のプレゼントは双眼鏡。「いろんな場所を一緒に歩いたけれど、百科事典が隣で歩いているみたいで面白かった」とは、尚子さん。

「将来の道東行き」は、尚子さんが当初想像していたよりずっと早いタイミングで訪れる。結婚した翌年、勝さんと尚子さん、尚子さんの妹たちは4人で根室を旅行した。もちろん、勝さんの頭の中には、土地探しという重要な目的もあった。その旅の途中で、勝さんと尚子さんは出会ってしまう。針葉樹と広葉樹が混ざった森を抜けた先の、小高い丘の縁から見たすばらしい風景。林があり、草原があり、川が流れていた。そしてそれらすべてが、ある牧場の敷地の中にあった。「鳥がたくさんいて、花もきれいな場所でした」。勝さんの心が大きく動いたことは、言うまでもない。

リビングの壁一面に描かれたオオワシは、画家・薮内正幸さんによるもの。この絵を見るために宿を訪れる人もいるのだとか。

1972年、勝さんは尚子さんよりひと足早く根室へ移り、その牧場で働き始める。それまでが大変で、「働きたい」という勝さんの申し出はなかなか相手にされず、何度も手紙を書き、電話をかけ、三度足を運んでやっと受け入れてもらえたそうだ。本に収録されている「鉄さんの大地で」の「鉄さん」とは、その牧場で勝さんと同じように住み込みで働いていた仲間だ。

鳥と花に囲まれた牧場で働くことができた勝さんだったが、待っていたのは想像以上のハードさ。「仕事の忙しさで鳥や花を見ているヒマがまったくなかった」と尚子さんは当時の勝さんの様子を振り返る。牧場で働き始めて1年が経った頃、勝さんは牧場を離れ、尚子さんと共に根室市西浜での生活を始めた。

西浜の家には、野鳥好きの仲間たちがしょっちゅう訪れた。「長期休みには毎日誰かしらが泊まっているような状態でした。年間200人くらいかな。『泊めてもらうから』と抱えきれないくらいのお土産を持ってきてくれる人が多くて。宿をやるとか、何か形にしたほうがいいなと思うようになりました」。

朝食はパンとサラダ。パンに付けるジャムは尚子さんが自ら摘んだ果実で手作りしたもの。15種類ほどある。

今でこそ多くの野鳥好きが訪れる根室だが、2人が暮らし始めた頃、根室で野鳥観察をする人はそれほど多くなかった。勝さんも「同じ話題を持ち、同じように時間を分かちあうことのできる『土地の人』」との出会いを求めていた。

根室市が主催する成人学校から連絡があったのは、そんなとき。「自然観察の講座を始めたい。講師をやってくれないか」。自分に務まるかという不安を抱えつつ、勝さんはその講師を引き受ける。蓋を開けてみたら定員以上の申込みがあり、内容としても手ごたえがあった。何より、講座終了後も参加者どうしのつながりが残り、定期的に地域の海辺や林を歩く仲間ができたのが一番の収穫だった。こうして2人は、自然観察という入り口を通して地域に溶け込み始め、根室での基盤が作られていった。

自然を愛する人々にとっての拠点として

窓の外のエサを狙ってやってくる小鳥たち。牛脂をつついているのはシジュウカラ?

「昭和五十年秋、多くの知人、友人の援助を受けて、風連湖にほど近い原野に土地を借り、山小屋ふうの家を建てた。東京から移住して三年半ぶりに生まれた、ぼくらの真の拠点である。いや、ぼくらの拠点というだけではない。願わくば、自然を愛する人々にとっての、心の拠点ともなってもらいたいのだ」。

民宿を始めてからのことを尚子さんはこう話す。「知り合いがたくさん来てくれるうちに、自然と野鳥好きが集まる場所になりました。民宿を始めた頃、大学生を中心に野鳥観察ブームが起きて毎日本当に忙しかった。泊まりに来た学生さんに手伝ってもらったりして。夕食後はみんなでお酒を飲みながら、今日見た鳥の話をしたり、目当ての鳥が見つかりそうな場所を教えてあげたり、賑やかで楽しかったですね。2013年に主人が亡くなった後もずっとこうして続けていられるのは、人とのつながりがあったからだと思います。ありがたいことです」。

鳥でも、花でも、樹でもいい。何か一つの対象をこよなく愛することは、世界への入り口を増やすことだ。好きなものを通して、年の離れた友人ができたり、興味の幅がうんと広くなったり。憧れの鳥を探しに見知らぬ土地へと足を運んでみたり。一人でそっと花を愛でるのも楽しいけれど、見つけたうれしさを共有できる人たちがいればもっといい。「心の拠点」とは、きっとそういうところだ。

いつの間にかエゾリスはどこかへ行き、窓の外は野鳥たちの声でさらに賑やかに。その姿を目で追っていたら、尚子さんが教えてくれた。「まずは5種類、名前を覚えてみると良いですよ。そうしたら、少しずつ違いが見えてきて、6種類、7種類と名前のわかる鳥が増えていくから」。

知っている野鳥の名前を指折り数えていた時、ふと昔出会ったある研究者の言葉が頭をよぎった。「難しいことはいったん置いて。すべての生き物に名前があって、見た目は似ていても、少しずつ違っていて。たくさんの種類があるって、すごく面白くて豊かなことだと思うんだ」。そういう考え方で見てみたら。野鳥をこよなく愛する人々が見る根室は、どれほど豊かなことだろう。

その一方で、北海道に残る「本当の自然」が次々と失われているという事実もある。一種類でも二種類でも多くの鳥や花の生息場所が守られてほしい。せめて今目の前にある「豊かさ」を守っていくことはできないだろうか。

太陽の位置が少しずつ高くなり、窓から差す光の角度が変わる。深く長い冬が終わり、北海道に遅い春がやって来たら、また東の果てのまちを訪ねてみよう。その時は、尚子さんが教えてくれた「港めぐり」をしてみたい。根室にある3つの岬には、それぞれたくさんの野鳥が集まるそうだ。

編集たつた

取材後日、実際に岬めぐりをした際の様子は、「知床ねむろウェブマガジン」でも書いています!

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.70
「北のチーズは、脈々と」

北国の風土に寄り添ったチーズづくり。この地で脈々と継承されながら、独自の変化を遂げてきたその技術は、これから先も、未来へと繋がっていく。

この記事を書いた人

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立田栞那

花のまち、東神楽町生まれ。スロウの編集とSlow Life HOKKAIDOのツアー担当。大切にしているのは、「できるだけそのまま書くこと」。パンを持って森へ行くのが休日の楽しみ。