洞爺の風と空気、キラキラした光を一杯のコーヒーに詰め込んで〈ANAN coffee〉

洞爺に暮らす人たちの温かい人柄、コーヒー豆の焙煎に適した北海道の気候。彼を惹きつけるものは、それだけで十分でした。2019年の夏、洞爺湖のほとりに当時17歳の焙煎士、谷本空南(あなん)君がコーヒー屋をオープンしました。メニューは、温かい自家焙煎コーヒーのみ。けれど、彼から提供されるものは、一杯のコーヒーだけに留まりません。コーヒーに込められた思いも、お店の空気も、すべてがここだけで味わえる特別なもの。洞爺の光や風を詰め込んだ、ここだけの一杯を求めて。

Shop Data

ANAN coffee
住所 洞爺湖町洞爺128-10(ラムヤート裏)
電話番号 080-2893-4674
営業時間 12:00〜16:00
定休日 月~金曜

メールアドレス anancoffeestand@gmail.com
編集部のおすすめ過ごし方 しまりすやの焼き菓子と一緒に湖畔でのんびり。

2020年11月現在、店舗は冬季休業中。通販で購入可能です。⇒FROMTOYA

17歳の男の子、コーヒー屋をオープンする

ある家族の一年を綴った『家族と一年誌家族』という本の中で、森を拓き、自分たちで家を建てて暮らす谷本家のストーリーを読んだ。「鳥取県にこんな素敵な家族がいるんだ!」。行ったことのない町の、森の中に住む家族に思いを馳せた。それからしばらく経ち、谷本家の男の子が洞爺湖でコーヒー屋を開くらしいという噂を耳にした。たしかその本は2015年の発行だったから、あの男の子は17歳くらいのはず。

なぜ、洞爺湖町に? なぜ、その年齢で起業を? 次々と湧き上がる興味の赴くまま、洞爺湖町へと車を走らせた。

開店準備真っ只中の店を訪ねたのは、6月中旬。新緑の季節をやや過ぎて、短いシーズンにあらゆる緑が競うように葉を伸ばしている。店の予定地は、洞爺湖の湖畔からやや離れた静かな路地裏の小屋。キラキラと木漏れ日が降り注ぐ小屋の中で、黙々と豆と向き合う谷本空南(あなん)くんに初めて会った。

「僕がコーヒーをやり始めたのは、小学校3年生の頃なんです」。焙煎の合間に少しずつ、これまでのことを話してくれた空南くん。お母さんはミュージシャン、お父さんは内装の設計や施工をしている。小学校三年生のある朝、お母さんに「コーヒーを飲みたいから、淹れてみてくれる?」と言われたのが最初のきっかけだった。それから毎朝、お母さんのためにコーヒーを淹れる日々が始まる。

そして一年後、お父さんの仕事場に付いて行き、いつものようにコーヒーを淹れていた空南くん。すると、そこのオーナーから「コーヒースタンドをやってみたら?」と声をかけられる。

東京から引っ越して、何もない鳥取の森を「フィーリング」で購入し、ひたすら手を動かし自分たちで住居を建てた家族だ。「何かをやってみる」ことへのハードルがあるとするならば、自分がやりたいと思えるかどうかだけ。空南くんは自らの意思で、ANAN coffee STANDとして9歳から各地のイベントへの出展を始めた。12歳の頃には、兵庫県の焙煎士から焙煎の方法を教えてもらい、自ら豆を焼くようになった。

一枚の皿を買うときでも、3人で一緒に相談して決めるという谷本家。ただの親子関係ではなく、空南くんは谷本家を構成する一人の人間として意見を求められる。「自分はこう思う」という考えに対し、“親として”口を出されることは一切ない。必要以上の干渉をしないことは「甘やかし」とは大きく異なるもの。むしろ正反対にある大いなる愛情だったのだろう。


「いつも同じにはならない」炭火焙煎の面白さ

空南くんは「炭火焙煎」で豆を焙煎している。火力の調整が効きにくいことから、特に難しいといわれている焙煎方法の一つだ。炭火を選んだ理由は、「うちでご飯を炊く時、ガスより炭で炊いたほうが断然おいしいなと感じていたんです。魚もそう。じゃあ、コーヒーもそうなんじゃないかなって」。便利さより手間を、そしておいしさを選び取ってきた鳥取での豊かな日々。その思い出が、コーヒーに大切に落とし込まれている。

そういう環境の下、自分の頭で考えることを大切にして育った空南くん。焙煎士から教えてもらったやり方で基礎を覚えながらも、自分なりのやり方を常に模索することをやめなかった。

ただ空南くんが炭火を選んだのには、おいしくできるという理由だけではないはずだ。「いつも同じにはならない」という炭火焙煎の特徴が、空南くんの大切にしたい何かにつながっている気がするのだ。

炭火焙煎は気温や湿度の影響を受けやすく、火力が安定しないため、いつも同じように焙煎することはほとんど無理なのだそう。焙煎の面で各地のプロフェッショナルにアドバイスをもらうことも多い。多くの人の声に素直に耳を傾けながら、それでも最後には自分で考え選び取ってきた。「土地によっても、人によっても、考え方は違うから。自分で何度も試してみて、いいなと思ったものを選んでます」。

空南くんにとっての「試す」とは、細かく条件を変えて行う実験的な行為ではない。明確な「おいしい」へのゴールが決まっていて、それに向かって焙煎するというよりも、やってみて、おいしくできたときのやり方を“感覚的”に肌に覚え込ませる。手を加え、豆を意図的に「おいしくする」というよりも、豆のおいしさを「そのまま抽出する」というイメージなのだそう。

その考えは、豆の「種類」ではなく、「好きな香り」で選んでもらう売り方を検討している点にも表れている。種類から想像できる味の先入観を抜きにして、その人が感じる好きな香りを大切にしてほしい。それは、空南くんが伝えたい「そのまま抽出されたコーヒーのおいしさを純粋に味わってもらうこと」につながっている。
(※2020年10月現在、香りで選ぶ方法は中止しています。)

「その時その時で、一番その豆がおいしく飲める状態に仕上げたい」。安定性とは異なる、炭火だからこその価値を空南くんは自分なりに見出した。「ちょっとくらいの誤差は、あたりまえ」。そう言ってはにかむ笑顔には、17歳のあどけなさが残る。なのに、言葉に宿る迷いのない意思には、十代とは思えない強い芯を感じた。


緊張感と白い煙が、小屋に充満する

1ハゼ(最初に豆が爆ぜること)が起きてしばらくすると、あたりにクッキーのような、甘い香りが立ち込め始めた。焙煎機を回す手は止めず、火力を調整しながら冷静に2ハゼを迎える。すると、堰を切ったようにすべての豆が一斉に爆ぜ始める。豆が爆ぜるパチパチという音が、静かな町に響いている。「これからは一秒単位で豆の色が変わるので、『ここだ!』となった時に一気に引き上げます」。緊張感が、焙煎の白い煙と共に小屋に充満する。そしてその時がやってきた。「よし!」。豆の焼き具合を、耳や手や、五感すべてで感じ取る。見極め、無駄のない手つきで炭から焙煎機を上げて、竹カゴへと豆を出し、一気に振るって熱を解き放った。

「うまく焼けました!」。そう言って見せてくれた豆は、太陽に反射してキラキラと光っている。焼いてあるというのに、瑞々しさのようなものまで感じられた。あまりにきれいで思わず触れると、驚くほど熱い。その豆を躊躇せず触る空南くんの炭の付いた手は、もう職人のそれだった。

空南くんが淹れてくれたコーヒーを、洞爺湖の優しい陽だまりで飲む。まろやかでクセのない、しみじみおいしい、その日だけ飲める味。コーヒーをいただきながら、洞爺に来るまでの道のりについて尋ねてみた。

鳥取にて家族で営んでいた、セレクト雑貨を販売したり、イベントを開催したりする店「HUT(ヒュッテ)」。そこを訪れる人にコーヒーを販売したり、イベント時に出店したり。誰かのために淹れるコーヒーの楽しさを実感し、空南くんはその世界にどんどんのめり込んでいった。

頭の中がコーヒーでいっぱいになっている頃、同時に学校へ通うことへの疑問も大きくなっていった。強制的に部活へ入らなければならず、土日でも学校へ通わなければならなかった。その結果、大好きなコーヒーに向き合う時間や、大切な家族と過ごす時間が短くなっていくのは、耐え難いものがあった。

モヤモヤが募り、家族で話し合い、学校に行かないという選択をしたのは中学2年生の終わり。経緯を聞いた教育委員会の人が家にやって来た時、空南くんのコーヒーを飲んでこう言ったそうだ。

「なんか、わかるような気がします」。 

納得したようにひと言。それ以上は何も言われなかった。「学がない」などと言われないためにも、勉強も続ける。「他のみんなも頑張っていて、僕も頑張る。その方向が違うだけ」。方向が違うことへの恐怖は一切なく、好きな道に全力で突き進めることへの安堵のほうが大きかった。その決断を、納得し、支え、励ましてくれる家族がいることを、「僕は恵まれていた」と言う空南くん。

出会いに、思いに正直に。

2017年、谷本家は東京のイベントで洞爺湖でベーカリーを営むラムヤート(スロウ22号掲載)の今野一家と出会った。その後、鳥取の谷本家へ今野一家が訪れたのをきっかけに、家族ぐるみのつき合いをするようになる。しばらくして空南くんも初めて洞爺湖町へ足を踏み入れた。

空気もきれいで、適度に乾燥していて、おまけに水がおいしい。この町には、コーヒーの焙煎に適したすべてが揃っているように感じた。さらに、今野一家をはじめとする洞爺に暮らす人々の温かい人柄に惹かれる自分がいた。

「いつかここに住みたい」。住む場所にこだわりを持つことはなかったという空南くん。しかし今回だけは何かが違った。いつかは鳥取から離れて、自分の世界を広げたい。その考えを快く応援してくれる両親が、いつも心の側に居てくれる。行く先には、両手を広げて歓迎してくれている洞爺のみんながいる。そして空南くんは一人、洞爺湖へやって来た。

空南くんの「今」は、空南くんだけのものだ。それを教えてくれたのは、いつも見守ってくれた両親や、周囲の大人たちだった。彼らが捧げた愛情に、まっすぐ向き合う空南くんがいる。常識やルールに囚われず、誰よりも大切にして生きる、一度きりの人生の「今だけ」の時間。その刹那が、空南くんのコーヒーのおいしさを作り上げる、一つのエッセンスになっている気がしてならない。

参考文献『家族と一年誌 家族』(2015年 株式会社HYOTA)
(取材時期 2019年7月25日)

空南くん

「スロウ日和をみた」で、好きな映画を教えます♪

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.60
「継ぎたいものはなんですか」

創刊15周年を迎えた60号。歴史的価値のある建物など、彼らは何に価値を見出し、どんな思いで「継いで」きたのだろう。

この記事を書いた人

石田まき

石田まき

スロウ日和編集長。ライター兼カメラマン。初めて訪れた北海道で、空の広さに一目ぼれ。言葉と写真の両方でこの地の豊かさを伝えるため、九州から移住。ホタテが大好物。