個性豊かな木彫り熊たち、先代が築いた歴史とぬくもり〈八雲町木彫り熊資料館〉

最近、木彫り熊の人気がじわじわと再燃しています。イベントが開催されたり、SNSではインテリアとしておしゃれだと注目の的に。そんな木彫り熊のルーツは、八雲町にあります。はじめは農民たちが冬の間の稼ぎを得るための副業だったものが、次第に北海道全体に文化が広まっていったそう。昭和の大きなブームを経て、今を生きる人の心を癒やしてくれる存在となっています。

Shop Data

八雲町木彫り熊資料館
住所 八雲町末広町154
電話番号 0137-63-3131(教育委員会代表番号)
開館時間 9:00〜16:30
休館日 月曜、祝日、年末年始

入館料 無料
URL
https://www.town.yakumo.lg.jp/soshiki/kyoudo/

木彫り熊のルーツを辿る

北海道の土産品として誰もが知る木彫り熊の原点は、八雲町にある。木彫り熊資料館を訪れれば、その歴史に触れることができる。

今から95年ほど前の八雲町には、尾張徳川家の第19代当主、徳川義親(よしちか)公が3代目農場主を務める徳川農場があり、多くの農民が働いていたが、生活は厳しいものだった。

そんな農民たちの姿を目にしていた義親公はヨーロッパ旅行中に、スイスで農民美術として作られていた木彫りの熊と出合う。そして農作業ができない冬の間、農民たちが副業として木彫り熊を制作し、販売することができればと考え、見本として八雲に持ち帰ったという。 帰国した義親公は農民たちに木彫り熊の制作を奨励し、大正13年(1924年)には、農民美術の品評会を開催した。このとき出品された数々の工芸品の中に、酪農家の伊藤政雄によって制作された第一号の木彫り熊も残されている。

熊たちの表情

八雲語りべの会の幸村恒夫さんによると、「どうやら、当時はもうスイスには野生の熊がいなかったようです。義親公が持ち帰った木彫り熊は、飼育された動物がモデルで可愛らしい顔や形をしていました」。見せてくれたスイスの木彫り熊は、確かにキャラクターのよう。それを真似た八雲の木彫り熊も表情が柔らかく、どことなく人間らしさが感じられる。

木彫り熊の制作がさらに盛んになったのは、昭和3年(1928年)に八雲農民美術研究会が発足されてからのこと。農民たちは義親公が飼っていた熊を観察し、さまざまな木彫り熊を制作した。熊の表現には、毛を細かく彫る方法と、面でざっくり彫る方法があり、いずれも擬人化されているのが特徴だ。

当時、完成した木彫り熊に八雲を示す焼印を押し、全国各地で販売したところ、昭和7年(1932年)頃には、北海道を代表する土産品として認知されていく。

アイヌの木彫りにルーツを持ち、独自の発展を遂げた旭川の木彫り熊。実際に川で見た野生の熊がモデルとなったためか、八雲の熊よりも野性的な雰囲気。

覚悟の年・伝統の継承

しかし、第二次世界大戦を機に需要は激減。作り手も減少し、農民たちの芸術活動を支えていた農民美術研究会は、昭和18年(1943年)に解散状態となってしまった。それでも戦後、特に熱心に活動していた作家たちは、それぞれに作品を残していた。農業をやめ、木彫り熊づくりに専念した茂木多喜治さん、独自の作風を築き上げた柴崎重行さんなどによって、独創的で自己の作家性を押し出した木彫り熊が多く残されている。

研究会が解散し、一度は途切れそうになった町の伝統工芸だが、改めてその価値が見直され、公民館講座では今も町民対象の木彫り熊講座が開催されている。農民たちの冬の手仕事として始まった八雲の木彫り熊は、町民の文化として根づき、現在まで紡がれているのだ。

その場に腰かけているような個性的な熊は、柴崎重行(しげゆき)さんの作品。手斧で勢いよく割った面を重視する「柴崎彫り(ハツリ彫り)」という、柴崎さん独自の技術で制作されている。
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スロウな旅北海道 vol.6 西エリア

北海道で暮らす私たちが思う「心豊かになれる旅」を提案。西北海道エリアを対象にした3泊4日のドライブルートやツアーの情報。パン屋や温泉、宿など旅の目的地として魅力的なスポットを紹介します。

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スロウ日和編集部

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好みも、趣味もそれぞれの編集部メンバー。共通しているのは、北海道が大好きだという思いです。北海道中を走り回って見つけた、とっておきの寄り道情報をおすそ分けしていきます。