茶室に通じる、"喫茶店体験"〈アトリエ・モリヒコ〉

森彦。老夫婦が住んでいたという築約70年の木造民家を、市川さんと家族や仲間たちで改装した。のれんの色は季節ごとに変わる。

森彦のストーリーは、1996年、札幌の路地裏に佇む一軒の木造民家から始まりました。その後、札幌市内に複数の店舗をオープンし、2018年には旭川市にも出店。現在は喫茶店にとどまらず、宿泊施設とのコラボレーションやフレンチレストランの運営など、幅広い展開を続けています。「僕が感じる『いい店』は、路地裏にひっそり佇んでいることが多かった」。代表の市川草介さんがスタッフと共に提供するのは、まるで茶室のように、何度でも新しい一面に出合うことができる空間価値と一杯の珈琲です。(取材時期/2018年11月)

Shop Data

森彦
住所 札幌市中央区南2条西26丁目2-18
電話番号 0800-111-4883
営業時間 10:00~21:00(L.O.20:30)土・日曜は8:00~
定休日 なし ※年末年始休あり
URL https://www.morihico.com
※営業時間は、通常時のものです。2020年12月現在、感染症拡大防止のため短縮営業中。各店舗の営業時間については、webサイトから確認を。

珈琲はすべて特製のネルフィルターでハンドドリップ。

一期一会。茶室のような空間価値を

多くの人にとって、10代後半から20代にかけてのあるとき、「大人の飲み物」だった珈琲が手の届く存在になっていく時期がやってくる。憧れていた喫茶店の扉をドキドキしながらくぐり、1杯500円以上する珈琲を注文する。品種名はよくわからず一番上に書いてあったものを。苦すぎるようにも思えるその味に、少しオトナになれたような気がしたものだ。

札幌の20~30代の人の中には、森彦が最初の“喫茶店体験”だったという人が少なくないのではないだろうか。株式会社アトリエ・モリヒコの代表、市川草介さんもまた、かつては喫茶店好きの若者だった。

今はなき「伝説の」喫茶店がいくつも現役だった時代。珈琲好きが集っては、「北海道・札幌の珈琲とは何ぞや」を語り合うような純喫茶があったという。市川さんはそんな喫茶店に足繁く通っては、珈琲の文化に触れた。「札幌の珈琲といえば深煎り。そして、喫茶店の珈琲にはいつも値段相応の価値があった」。

その一方で市川さんは、森彦を開業する前、小さな茶室を作っていた。店舗としての営業はせず、親しい人たちを迎えて行う茶会。札幌の珈琲文化にどっぷりと浸かる一方で、茶室で育まれる文化にも心惹かれるところがあった。

「一期一会」。

茶室と同じような空間価値をより多くの人に提供できないだろうか。そうした観点から、1996年「茶房森彦」が誕生することとなる。初めての客は初老の美しい女性。オープンを楽しみに待っていたと言い、一輪挿しを贈ってくれたのだそう。最初の1人を迎え入れたときの気持ちを、市川さんは今も大切に持っている。

広告らしい広告を出したことはなかったが、オープンから5年ほど経った頃に起こったブログブームや「森ガール」流行の影響等も相まって、森彦の名は一気に広まることとなった。首から一眼レフをぶら下げた若い女性たちがこぞって訪れ、道内外へ情報を発信してくれた。

市川さんによると、「札幌といえば森彦」というイメージは、彼女たちによって作られたと言っても過言ではないらしい。

森彦は“和”をテーマにしているため、スイーツにも抹茶味など和風のメニューが登場する。

今や札幌近郊を中心に店舗を展開する森彦。事業形態こそ大きく変わったが、変わらず大切にしているのは、客に対して常に1対1であるということ。

自宅で飲む珈琲と喫茶店で飲む珈琲の決定的な違いは、“主人”の存在ではないだろうか。茶の湯同様喫茶店だって、迎える側は訪れるその人のために場を設える。たとえば森彦本店の場合、窓の外に見える隣家の庭さえも計算の上。借景までも考慮に入れるのは、茶の湯文化に通じる市川さんらしい発想だ。特に森彦のことを『森彦さん』と、親しみを込めて呼ぶ客が多いのは、店そのものから体温のような温かさが感じ取れるからだろう。その温度とは、店の主人(スタッフたち)から発せられるものに他ならない。

「僕が感じる『いい店』は、路地裏にひっそりと佇んでることが多かった。一等立地で胡坐(あぐら)をかくような商売じゃなくて、御主人の徳によって成り立っているような。そんないい店をつくりたかった」。

足を運ぶたび、新しさに出合う

現在、MORIHICO.の系列店舗で扱う珈琲豆の焙煎は、すべてひとりの焙煎士が担っている。市川さんが10年かけて研究したという特許出願中の焙煎方法は門外不出の技術。店を始めて数年は焙煎後の豆を仕入れていたそうだが、抽出では調整しきれない部分(味)があると気づいてからは自家焙煎の技術を試行錯誤。「安定したおいしさを再現できないとプロとは言えない」と、店で提供することを決意するまでにかなりの時間をかけた。

焙煎機が設置されているのは3号店のプランテーション。ボイラー工場だった建物をフルリノベーションした3階建てのコーヒーファクトリーだ。2階が客席になっており、吹き抜けの造りは焙煎機の動く様子がよく見える。定番のブレンド珈琲に加え、オーガニックコーヒーや季節のギフト商品。それらが生み出される現場を見ながら珈琲を味わうのは特別な感覚だ。

MORIHICO.の店舗は、店ごとにテイストが異なる。プランテーションは鉄や機械の印象が強い。2号店のアトリエ・モリヒコは、白を基調とした配色に加え、市電通りに面した大きな窓からたっぷりと日差しが差し込む明るい印象。訪れるたびに掛け軸や茶碗が変わる茶室の席のように、何度でも新しい一面に出合うことができるのが、市川さんが目指す空間価値だ。

足を運ぶたび、いつも新鮮なワクワクや心の高揚を感じられる。それはまるで、初めての“喫茶店体験”を追体験しているかのよう。かつての市川さんもそうだっただろうか。MORIHICO.はいつだって、少し緊張しながら扉を開く「あの気持ち」を、私たち以上に理解してくれるような気がするのだ。

この記事の掲載号

北の焙煎人

北海道における珈琲の歴史、焙煎と気候の意外な関係、そして珈琲に魅せられた人々の熱い思い。自家焙煎珈琲の店も多数掲載。

この記事を書いた人

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片山静香

雑誌『northern style スロウ』編集長。帯広生まれの釧路育ち。陶磁器が好きで、全国の窯元も訪ねています。趣味は白樺樹皮細工と木彫りの熊を彫ること。3児の母。