コテを片手に東奔西走!「左官の野田さん」の仕事

左官業という仕事を知っていますか?壁や床を作る仕事ですが、最近は建築に使う素材の変化に伴い、コンクリートをならしたり、基礎工事をする作業を主とする左官が9割を占めるそうです。野田肇介さんのように、山の土や藁などを使う伝統工法で土壁を作る左官は全体の1割程度。そして、その仕事ぶりを見た人はみんな、「野田さん、すごいんです」と口を揃えて言うのです。浦河町の工房を訪ね、 “絶滅危惧的職業”ともいえる左官職人の仕事の魅力を探りました。

Shop Data

野田左官店
住所 浦河町向別423-1
電話番号 0146-22-0420
URL
http://www.nodasakan.com

「野田さん、すごいんです!」

野田肇介さんに初めて出会ったのは、一昨年。土と木と藁の自然素材でできたストローベイルハウスで、イベントが催されたときだった。「この家の土壁、僕が作ったんです。藁を入れることで断熱効果のある暖かい家になるんですよ」と、少し自慢げに教えてくれた野田さん。以来、「左官の野田さん」という言葉を、よく耳にするようになる。そしてとある取材で訪れた足寄の新築家屋の土壁を、野田さんが手がけていたのだった。

「野田さん、すごいんです!」。家主も大工も建築家も口を揃える。当初予定していた畑の土を使うという計画を覆し、開拓当初に建てられた納屋の土を再利用したことに一同感動。「しかも仕上げの工程をワークショップにして、家族や関係者で壁を磨いた。いい思い出になりました」と家主は興奮気味に話してくれた。

その数日後、十勝の人気宿泊施設が茶室を作るという話を聞いた。そこに携わっているのも野田さんだった。打ち合わせを終えたばかりだというスタッフは、「野田さん、すごいんです!」。これは、いよいよ会いに行かなくては。そう感じて工房を訪ねた。

野田さんの工房の壁一面に、土壁のサンプルが並んでいた。

日高地方の浦河町。サラブレッドの牧場が広がる雄大な風景の中に、古い倉庫を再利用した野田さんの工房があった。中はコンクリートの床と高い天井、そして色とりどりの土壁。奥には天井まで届く大きな棚があり、今にも崩れ落ちんばかりに道具や素材が詰め込まれている。片側の壁には土壁のサンプルが、まるで博物館の資料のようにきっちりと並んでいる。驚いた。確かに野田さん、すごい!

伝統的な工法で土壁を作る

野田肇介さん。背景に写っているのは、ニセコにある外国人オーナーの個人邸宅の壁として提案した試作品。

野田さんは、1978年、野田左官店の息子として生まれた。18歳から父のもとで経験を積んだ、左官職人である。

ところでそもそも左官業とは、何?「壁や床を作る仕事ですが、建築に使う素材の変化に伴って、最近は左官の仕事も変わってきました」と、野田さん。クロスなどの工業製品が多く使われるようになり、いまやコンクリートをならしたり、基礎工事をしたり、という作業を主とする左官が9割を占めるという。

「残りの1割は、伝統工法を駆使して土壁を作る左官。僕はコンクリートも扱いますが、特に力を入れているのは後者なんです」。野田さんは、山に行って土を採取し、つなぎの役目となる藁や銀杏草を集め、それらの配合を変えながら、住まいや店舗などの壁について日々考えている。そして「現場での作業は、家の8畳間の壁であれば2、3日で終わるけど、そのために2週間は試行錯誤する。だから実験室が必要なんです」と、山ほどの資料に囲まれた工房の意義を語る。

天然の土の色と、土の力

あちこちに広げられているサンプルを手にしながら、「これは鷹栖町の土、桃色なんですよ。この煉瓦色は、江別市の土ですね……」。次から次へとカラフルな土壁を見せてくれる。その数にも、説明する早さにも、圧倒されてしまう。

「すべて天然の色です。きれいでしょう。噴火した熱で赤くなったり、枯葉が散り積もった結果、色づいたり。何百年、何千年とかけてこの色になっているんですよ」。だから、野田さんが手がけた土壁を「うわぁ、きれい」と感じてもらえるのは、左官でなく土の力なのだとも教えてくれる。

とはいえ、土をどう活かすかを考えるのは野田さんだ。「仕事する現場に行ったら、まず土を拾って水を入れてこねるんです」と、工房に置かれていた泥団子を手にして「たとえば、砂が多くて固まらないけど色がきれいなときは、粘土の多い土とミックスすればいい。どんな土だって、使うことができるんです」。

現場では、土を拾って水を入れ、まずは団子状にしてみる。「土も、気候風土に合ったものを選ぶと長持ちする」そう。

すべてのサンプルの裏には、それらの配合が記録されている。野田さんが言うところのレシピだ。「自然のものが相手なので、ルール通りにはいかない。季節に左右されるし、屋外なのか室内なのかという環境によっても変わってくる。それらを“感じる”ことが必要です。ベストな素材や制作環境をつくりだす感覚を得るには、最低10年。さらに、感じる力を成長させようと思う“心”がないと難しい」。

前述の足寄の家では畑の土ではなく、築100年の納屋の素材を使ったと聞き、その理由を訪ねた。「あの納屋の土を見た時に、100年前に一生懸命作った人の姿や思いが不思議とフラッシュバックしてきて、これに息を吹き込むべきだと感じてしまったんです」。100年以上使われている土が、完璧でないわけがない、と熱く語る。「世界中で永久的に使える素材って、土か石しかないんです。しかも土は水でこねたら、新しい形として何度でも生まれ変わる。左官って、すごい職業でしょう」。

野田さんを支える仕事への誇り

野田さんの仕事は、あらゆる素材を試してきた経験と、それらを使った数え切れないほどの実験と、斬新なひらめきから生まれているのだ。それらはどのようにして培われたのだろう。

日本の城に使われている黒漆喰。素材は、石灰と麻の繊維。「何度も何度も磨くと光り出す。匠の技術です」。

25歳のとき。野田さんが左官職人になって7年ほどが経った頃。「寝転がってTVを観ていたら、『情熱大陸』に久住有生(くすみなおき)さんが出ていたんです」。兵庫県淡路島を拠点に、世界中で活躍している左官職人である。それまでは、コンクリートと向き合う仕事が主だった野田さん。「当時は、土壁の“つ”の字も知らなかった(笑)。すぐにアポを取って、翌週には会いに行って、3ヵ月後には弟子入りしました」と、さすが行動力もすごい。

「久住さんはきれいなシャツとデニムを着こなし、洗練された印象で、いわゆる頑固オヤジの職人ではなかった(笑)。それなのに、金閣寺や法隆寺のような仕事をしている。さらに伝統的建造物に留まらず、東京のラグジュアリーなホテルを手がけたり、海外にもどんどん行ったりして、モダンな仕事も手がけていた。これは新しい左官の在り方だと刺激を受けました」。そして約1年間の修業を積んだのである。

「親方のアトリエにビール箱を並べて、その上にコンパネを敷いて寝てました。アパート代なんて払うんだったら、そのお金で道具がほしかったんです」。そう言いながら、工房内の至る所に置かれているコテの中から一つを手にして、「これ、物によっては一丁5〜6万円はしますから」と、ハガネの形や薄さの違いを見せてくれる。「日本の“左官鏝ごて”って、1500種類もあるんですよ。今僕は、600以上持っています」。そして奥の棚の上にずらりと並んだ木箱を開けて、「みんな同じような形なのに、用途やサイズが違う。この使い分けで、土壁の仕上がりが大きく変わってくる。左官の仕事は、奥が深いです」と胸を張る。

同時に野田さんが何度も語るのは、日本の伝統工法のすばらしさ。たとえば城壁に使われる黒漆喰のサンプルを手に、「半紙半分くらいの厚みで、薄〜く何度も何度も繊細に重ねていく。最高級の技法です」。こうした美しさを伝えていくことも、野田さんの原動力になっている。

「久住さんからは素材の扱い方も学びましたが、なぜこの仕事をしているのかということを再認識させてもらった」。それは、どうしたら“絶滅危惧的職業”を残すことができるかの答でもある。「こんなに美しいものが作れる仕事なんてないんです。自分の職業を誇りに感じながら、土壁の魅力を広めたいですね」。

元は同じ形のコテ2丁。左は20年使って、もはや野田さんの手の一部だ。

最後に「これ、見てください」と野田さんは、持ち手がすり減ったコテを手にした。「20年くらい使って、僕の手の形になっている。これが最高に使いやすい」とうれしそうに掲げて見せてくれる。誇りに支えられて野田さんは、もっともっとすごくなるに違いない。

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.62
「森に教わる未来の暮らし」

北海道の木で家を造れるか?森とのつながりと循環という観点から、北海道各地にいる「住環境」の作り手たちに会いに行く。

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スロウ日和編集部

好みも、趣味もそれぞれの編集部メンバー。共通しているのは、北海道が大好きだという思いです。北海道中を走り回って見つけた、とっておきの寄り道情報をおすそ分けしていきます。