大好きな北海道で、故郷の味であるおいしいメープルシロップを広めたい。それが、カナダ出身のギャニオン=マークさんの思いでした。10年来の友人である、マーク=ハミルトンさんの庭「MAPLE HEAVEN」での樹液採取。それから、店舗に伺って。一日かけてどっぷりと、マークさんのメープルワールドに浸って来て感じたのは、樹液は自然からの恵みだということです。
Shop Data
GAGNON(ギャニオン)
住所 札幌市西区山の手2条1丁目4-23
電話番号 011-622-8660
営業時間 11:00〜18:00
定休日 月曜
URL http://www.gagnon-jp.com
樹液採取の現場に付き添って
メープルといえばカナダ。国旗にサトウカエデの葉があしらわれるくらいだから、「カナダの人にとって大切なものなのだろうな…」ということくらいは、なんとなく、わかっていたつもり。とはいえ、メープルを仕事にしているカナダの方の話を聞くのは初めてのこと。
主人公は、カナダ出身のマーク=ギャニオンさん。「おいしいメープルを日本で広めたい。北海道がダイスキ!」。チャーミングな表情とまっすぐな言葉に、こちらも自然と笑顔になっていた。ギャニオンさんにとってメープルとは故郷の誇りであり、愛すべき食べ物であり、北海道との絆を深めてくれる特別な存在。話を聞くうちに、ギャニオンさんのメープルワールドに引き込まれていく。
2020年春先。雪が解け残る札幌市内で待ち合わせ。ギャニオンさんは大きな黒い犬(フラット・コーテッド・レトリーバー)のサップ君を連れていた。ちなみにサップ君の名前は、日本語で「樹液」という意味だ。
自己紹介と握手を交わして、さっそく向かったのは、簾舞(みすまい)地区に住む、マーク=ハミルトンさんと妻の見佳子さんの自宅。「友人のカナダ人が、自宅の庭でイタヤカエデから樹液を採っているんです」と事前に聞いてはいたけれど、想像していたよりずっと広い。「MAPLEHAVEN」と名づけられた敷地内には、イタヤカエデを中心に小規模な林が広がり、小川まで流れていた。2人のマークさんは、10年来の友人どうしとか。
イタヤカエデとシラカバに取り付けられた銀色のバケツ。カナダで樹液採集に使われる、「トラディショナル(伝統的)」な道具だという。「この家、築50年くらい経っていたのをリフォームしたんです。完成のお祝いに、彼(ギャニオンさん)がプレゼントしてくれて、とってもうれしかった」。ニコニコ顔のハミルトンさん。なんでも、樹液採集の方法やメープルシロップの作り方を、ギャニオンさんに教わっているらしい。
ギ 「この木はよく樹液が出てる。ほら、ポト、ポトって」。
ハ「葉っぱが落ちると、どれがイタヤカエデかわからなくなっちゃって、去年は木を間違っちゃった。今年はマーク(ギャニオンさん)に教えてもらって、夏の間に木に印を付けておきました」。
ギ「幹が曲がってると、まっすぐな木に比べて樹液が出にくいんだよ」。
ハ「雪がたくさんあるときにバケツを設置するから、高さには要注意。雪が解けたときに、高すぎた!ってなる」。
バケツの根元には細い管状の部品(シャルモー)が付いていて、木の幹に差し込まれている。「だいたい5〜6センチくらい差し込みます。あんまり深すぎると、傷が残ってしまう」。シャルモーは毎シーズン引き抜く。通常はしばらくすると穴はふさがっていくそうだ。少なくとも5年は、同じ穴を使わない。翌年同じ木に穴を空けるときは、「10センチくらいは距離を空ける」。ギャニオンさんが教えてくれるのは、森の木々と仲よく暮らすためにカナダの人たちが培ってきた知恵。
ハミルトンさんの職業は、大学教授。平日は仕事があるので、集めた樹液を煮詰める作業はもっぱら週末になる。それまでは庭を見回って、バケツに溜まった樹液をペットボトルに移し、雪の中に埋めておく。「放っておくと、バケツが重くなって落ちちゃう。もったいないから」。
これまた庭の一角にある大釜にどんどん薪をくべ、樹液をグラグラ煮立たせる様子も見せてもらう。灰
汁取り用の道具を片手にしたハミルトンさんの隣で、ギャニオンさんが昔話を聞かせてくれた。「煮立った樹液に、ほんの少しの油を入れると灰汁はすぐに消えてしまうんです。僕のおじいさんはワイルドな人で、煮え立つ樹液に指を入れて灰汁を消していました。おじいさんは(年を取っているから)脂がないけど、指には脂があるからね!」。それを聞いて、一同大笑い。
続きはリビングで、ということで、見佳子さんが淹れてくれたメープルティーとハミルトン家で作ったメープルシロップを添えたシフォンケーキをいただきながら、話の続きに耳を傾ける。
イタヤカエデの樹液の糖度は、約1.5〜70リットルを煮詰めて1リットルのメープルシロップが出来上がる。灰汁を除きながら、20リットルを約8時間煮詰めて、30グラムほどのメープルシロップになる計算。ハミルトンさんが樹液採集を始めて、今年で2年目。取材時で、この春作ったメープルシロップは瓶4本分。「最初の1本は結晶化してしまって。2本目、3本目と、フィルターのかけ方とかを学習しました」。美しい琥珀色のメープルシロップを指さして、「ビューティフル!」とギャニオンさんも相好を崩す。
「カナダ人にとって、メープルシロップはブラッド(血)です」。ハミルトンさんの言葉が、とても印象的だ。きっと、日本人にとっての米や味噌のような、DNAに刻まれた味と言っても、過言ではない存在なのだ。
2人のマークさんの話から、少しずつ、メープル愛の奥深さが見えてきたところで、場所をさらに移して、ギャニオンさんの経営する店へ。メープル談義はまだまだこれからだ。
ギャニオンさんの出身は、400年以上の歴史を誇るケベック州。「カナダのメープルシロップの85%が、ここで生産されている」と言う。インディアンが採集していた樹液に着目したのは、この地を最初に訪れたフランス人。以降、フランス本国へメープルシロップが輸出されるようになり、産業として広まった。
ケベック州ではケベックメープルシロップ製品生産者協会やメープルシロップについて学ぶ学校まであるというから驚かされる。製品の品質に関する厳格な基準があり、資格を持つ人だけが商取引をできること。樹木の生態に関する研究も盛んで、毎年新しい知見が得られること。話してくれるギャニオンさんは、どこか誇らしげだ。「日本でいう、お米みたいでしょ」と言われて、確かにそうだと思い至った。新米を喜んだり、等級やブランドで値段が変わったり、おいしさを求めて品種改良に心血を注いだり。そういう感覚に近いのかもしれない。
「若木から樹液を採集すると、木が死んでしまう。だから、樹齢30年以上のものからしか採集しない」。「採集できる樹液の量は、木のサイズが異なってもほとんど変わらない」。それにしても、ギャニオンさんの豊富な知識はどうやって身に付けたものなのだろう? 尋ねてみると、ほぼ毎年仕入れのために訪れるカナダの取引先契約農家(ライセンスを持ち、冬の間はメープルシロップの学校に通っている)の主から教えてもらうそう。年々、最新情報が蓄積・更新されている。
そして、ギャニオンさんのメープル愛の根元には、家族と過ごした時間がある。父や祖父が家族で食べるために庭先で作ってくれたというメープルシロップ。「家庭菜園みたいな感覚。子どもだったから、あんまり覚えていないけど」、ギャニオンさんにとって、それがとても大切な時間だったことは容易に想像できる。
「北海道、ダイスキ!」。たびたび、ギャニオンさんが言ってくれた言葉。移住のきっかけは、旅先で出会った日本人の妻の地元が北海道だったこと。「初めて来たとき、ケベックと似ていると思いました」。四季がはっきりしていることや自然環境など、いくつもの共通項を見出して、すっかり北海道が好きになったと話す。
2003年の移住当時は、「まったく別な仕事をしていた」。けれど、故郷で身近にあったメープルの、「本当のおいしさを日本で広めたい」という気持ちが次第に大きくなっていく。こうして立ち上げたのが、自身の名前を掲げたメープルシロップの専門店だ。
ケベック州の契約農家から仕入れるメープルは、3種類。樹液が採れるのは、春先のほんの1ヵ月ほどだ。シーズン頭のわずか3日ほどしか採集できない樹液で作る『ゴールデン』は、とりわけピュアであっさりとした口あたり。アイスやケーキにそのままかけて食べる。樹液が出始めてから2週間ほど経つと取れる樹液で作るのは、『アンバー』。名前の通り透き通った琥珀色が美しい。糖度はゴールデンと同じだそうだが、やや濃厚に感じられる。紅茶やコーヒーなど飲み物との相性がいい。『ダーク』は、シーズン後半に採集できる樹液で作る。料理に使うと、味にまろやかさとコクが出る。
「メープルシロップはワインみたいなものです。産地や、その年の気候によって味が変わります」。単一の契約農家から仕入れた商品だけを扱うのは、ケベック州のメープルシロップに自信と誇りを持っているから。ギャニオンさんが特に重要視するポイントを聞くと、「糖度とトランスミッション、味」という答が返ってきた。カナダで厳格に設定されている基準、糖度66以上をクリアしたものが商品化される。トランスミッションとは透過性のことで、光にかざしたときの美しさを見る(不純物が少ないことを確認)。そして味は、言わずもがな。
改めてしみじみ思うのは、樹液とは、とても貴重な森の恵みであること。そして、深い敬意をもって森や樹液と向き合うための努力を惜しまない人たちがいること。積み重ねてきた歴史や知恵、磨いてきた技術。何よりメープルに傾ける情熱。ギャニオンさんが扱うメープルは、それらの純粋な結晶なのだ。
意外だったのは、パンケーキにかける以外にも、さまざまな楽しみ方があることだった。「僕のおばあちゃんは、ハーブソルト、コショウ、メープルシロップでどんな料理も作ってしまう人でした。酸っぱいの、甘いの、辛いの。どんな食材にも合う」。ビネガー、ドレッシング、自家製ケチャップの原料。しょうゆと混ぜたら照り焼きソースになるし、カレーの隠し味に使えば味がまろやかになる。はちみつのように、梅干しと合わせてもいい。ジンジャーシロップを作って、生姜焼きの味つけや和風料理のソースにも使えるという万能ぶり。
店内の棚には、由仁町でオーガニック栽培されたショウガを使った『メープルジンジャーシロップ』や、興部町の放牧酪農家ノースプレインファームのバターと合わせた『北海道発酵バター&メープル』など、北海道の生産者とのコラボレーション商品も並ぶ。「生産者との出会いから生まれたプロジェクト。とっても楽しい」。愛する故郷と北海道を、メープルシロップがつないでくれた。
さて、次はどんなメープルシロップの魅力をみんなに披露しようか。いたずらを企む少年のような眼差しで、ギャニオンさんはニヤリと笑ってみせた。
来店されたお客様へ、「スロウ日和をみた」で、メープルドリンクをサービスします♪