”過疎地”を楽しみながら、父と姉妹で描く夢〈casochi〉

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井上牧場で生まれ育った、みなみさん、あみさん姉妹が、15歳で離れた故郷、滝上町。およそ15年の歳月を経て、再び故郷へと戻ってきました。姉妹は自ら(の会社)を「Casochi(カソチ)」合同会社と名づけ、滝上町という「いわゆる過疎地」での活動を始めます。ITやデザイン、それからカフェ「KARSUI(カースイ)」。2016年以来、ふたりが発信している世界から想像できたのは、カソチならではの諸々を、いっそ楽しんでしまおうという暮らしぶり、仕事ぶりでした。そして、父親が経営する井上牧場にも新しい風が。姉妹、家族の手と手がもう一度つながって、紡ぎ出されるもの。それはとても温かく、心地よいものだったのです。

Shop Data

KARSUI(井上牧場 casoshi)
住所 滝上町栄町
営業時間 火曜11:00~21:00/水曜11:00~15:00
営業日 火・水曜のみ営業
URL Instagram:@KARSUI
カフェの名前の由来 火曜水曜のみ営業だから

みなみさん、あみさん姉妹と、父で井上牧場を経営する井上秀幸さん。

故郷、滝上町に戻り、歩き始めた姉妹

何やかやと通い詰めているうちに、ひとり、またひとりと知り合いが増えていって、滝上町と言えば、今では気の許せる人たちの暮らす「馴染み深い町」の一つになっている。これまではどちらかと言えばほぼ同世代、または10歳以上も年上の「年配者たち」と知り合い、親しくつき合うことが多かったけれど、今回ばかりはちょっと違う。今回の物語の主人公は若冠30代半ば(2019年時点)の若い姉妹、それもどうやらITやデザイン系に強そうなふたりの女性ということになる。

ふたりから「話を聞いてみたいナ」と思ったのは、彼女たちが自ら(の会社)を「Casochi(カソチ)」合同会社と名づけ、滝上町という「いわゆる過疎地」での活動を始めていたからだ。いったん離れた故郷に戻ることを選び、「何かをやれるかもしれない」と、実家に再集合することにしたみなみさんとあみ(愛美)さん姉妹。2016年以来、ふたりが発信している世界から想像できたのは、カソチならではの諸々を、いっそ楽しんでしまおうという暮らしぶり、仕事ぶりだった。

一つの概念に規定されてしまいがちな“過疎地”というマイナスイメージにまみれた言葉(世界)のただ中にいながら、ふたりは目下、自分たちの色を使って世界を染め直し、ペンを使って描き直しているところ。それも、手探り状態で、まだスタートさせたばかり。

実際、滝上町で姉妹がスタートさせたカフェ、KARSUI(カースイ)で、ふたりを前に感じていたのは、「取材なんて、どこ吹く風」的な和やかさ、そして軽やかさだった。自然な笑顔がどこまでも好ましい印象で、姉妹の率直な言葉がお互いの心を開いてくれるのを感じていた。

井上ファミリー主催の小さな音楽祭へ

夕暮れを迎え、辺りは幻想的な雰囲気に。

みなみさん、あみさん、そしてふたりの父親であり井上牧場の主、井上秀幸さん。一度目の取材時に3人から話を聞き、一緒に昼ご飯を食べ、その流れで牧場を案内してもらってからおよそ1ヵ月半後、2019年7月中旬のこと。井上牧場ファミリーが主催する小さな音楽祭、「いのうえさんちのオンガクガーデン」にお邪魔した。場所は滝上町、ハーブガーデンの高台にある建物、および建物に挟まれた中庭のようなところ。

夕暮れ時を迎える頃、宿を出てハーブガーデン目指して歩き始める。薄水色の空がゆっくりと茜色に染まっていく大好きな時間帯。普段なら、北海道民らしく「車で」となるところだが、この日ばかりは歩きたい気分に身を任せ、軽装で外に出る。どうということのないおしゃべりをしながら、暮れなずむガーデンの中を歩くのは、まるで初めて訪れる外国での一場面を彷彿とさせるものだった。

ハーブの葉や茎を小さく揺らしながら通り過ぎる風が優しくて、何と異国情緒たっぷりなことか。サヤサヤと音を立てながら、ハーブの香りを届けてくれる透明な風に、滝上や北海道の豊かさを感じられる幸せ。ゆっくりと流れている時間の一瞬、一瞬に命を委ねていることの心地良さに、酔いしれるとき。すっかり馴染んでいたはずの滝上町がプレゼントしてくれた、初めての経験だった。

緩やかに続く坂道をゆっくりと歩く。優しい色合いの花や葉に目をやりながら。高台に目をやると、少しずつ人が集まり始めているようだった。控えめな賑わいが、美しいハーブガーデンによく似合っている。

30分ほども歩いただろうか。西洋の童話にでも登場してきそうな建物に囲まれた小さな中庭に着くと、そこには飲食の出店が数軒並んでいて、すでに営業を始めていた。みなみさんがいる。あみさんもいる。再会を喜び合っていると、井上牧場のお父さん、秀幸さんも姿を見せ、満面の笑顔で迎えてくれた。気持ちの和む家族。最初に会った時と、少しも変わらない。

これまで抱いてきた滝上町のイメージを良い意味で裏切られるのはうれしいことだった。時間が経つにつれ、少しずつ集まってくる人たちの中心は、どうやら子育て世代。もちろん、少し年配の人たちもいるし、学生と思しき若者もいる。でも、みなみさんやあみさん、そしてふたりの姉にとても近い世代の男女が多く集う様子に、最近の滝上町に起きている小さな変化を静かに感じ取っていた。

姉妹が活動を始めた2016年から数えると、2019年で3年目ということになる。若い人たちが後にしたいわゆる過疎地には、当然のことだが老人が多く、子どもたちは極端に少ない。そんな固定されたイメージが脳裏から消えてしまいそうな若々しい賑わいがここにはある。ハーブガーデンに集う人たち。どうやらほとんどの人たちが顔見知り、親しい間柄のようだ。何らかのつながりをたぐり寄せ、こうして夏の夜を一緒に楽しもうと集まってきた人たち。

姉妹が井上牧場で過ごした日々。牛の命を見る経営へと舵を切った父の秀幸さん

みなみさんとあみさんが、滝上町で過ごしたのは中学時代まで。ふたりの姉であるみゆきさんは高校までを滝上で過ごしている。地元の学校を卒業すると、3姉妹は父方の親戚を頼って、順に札幌に移り住み、札幌の高校や専門学校に通うことを選んでいる。「滝上を離れるなら、簡単に俺を呼び出せないようなところにしてくれ」と、3姉妹の背中を押してくれたのは、もちろん父親だ。「迎えに来て!」などと呼び出されるのは、まっぴらごめん。もしかすると、父親としての本音は別なところにあるのかもしれないけれど、そんな物言いに、ほのぼのとした親子愛を感じるのも、すでに井上ファミリーの絆の強さを知っているから。「札幌?」「何なら、外国でも良いけど」。父親として、3姉妹を手元に置いておきたい気持ちはとても強かっただろうに、そんな言葉で突き放してみせるのも、きっと秀幸さんならではの愛情表現の一つ。父親の心の中には、娘たちには「広い世界を見てきてほしい」という願いのようなものがあったことだろう。

牧場で育ったみなみさん、あみさんにとって、父親はいつも忙しく働いている人だったようだ。それも、夕ご飯を食べると、いつも「用事」で出かけてしまう人。町の会議や食関連の集まり。さらには趣味のバスケットやバレーボールでの外出で、少なくとも年間200日は家にいなかったという。愛情深く手をかけて育てられたというより、両親の働く姿を見ながら、牛や犬など、たくさんの動物たちが周りにいる中で、自由に、伸びやかに育ってきたことが伝わってくる。「子どもの頃より、今のほうが(父親と)会話している」とはあみさん。

姉妹が両親の仕事場である井上牧場で暮らしていた時期、父親の秀幸さんはひたすら牧場を大きくすることに専念していた。みなみさんによると、「当時の父は、アメリカのファーマーを目指していた」ということになる。樺太から引き揚げてきた秀幸さんの祖父は、戦後開拓者として滝下地区に入植している。芋や麦、米を作っていたというが、秀幸さんが7、8歳の頃に牛を飼い始めた祖父は、「牛飼いになれ」と孫である秀幸さんにしきりにすすめる。「嫌いじゃなかったから」と、牛飼いの道を選び、やがて規模の拡大を目指すようになっていく。「アメリカンスタンダード」が頭の大半を占め、多額の借金をしては牧場を整備し、いつしか90頭もの乳牛の乳を搾るまでになっていく。

多様な牛が放されている牧場。

周りの農家の人たちも大規模経営を目指し、同じようにたくさんの牛を飼い始めた頃、秀幸さんの心に変化が生じ始める。「これじゃ、駄目だろう。俺、牛飼いじゃなくなっている」。どこの牧場を見ても、飼っているのはホルスタインばかり。規模の拡大と共に、気にして見ているのは乳量の多さだけ。仔牛を輸入しては育て、輸入穀物を食べさせて大きくして乳を搾っては出荷していく。飼っている牛の足が弱ってきたり、頻繁に病気に罹るようになるにつれ、秀幸さんの中で「違和感」がどんどん膨らみ始める。「そもそも気候がこんなに違うのに、外国と同じように育てるなんておかしい」。

生乳は、牧場内の小さな工場で低温殺菌。井上牧場の牛乳は地元ホテルなどでも味わえる。

平成14~20年にかけての時期、秀幸さんは新たな道を模索し始めていた。「(他の種類の牛と)交雑してみようかな」。乳量を求めて、ホルスタインばかりを飼うことへの疑問から生まれた選択だった。「変わった牛、いないかな」と珍しい牛を探しては交配を重ね、自分の牧場で育て始めると、「牛の病気が減り、乳量が減り、収入も減った」と秀幸さん。決して自虐的ではなく、楽しそうに笑う秀幸さんの笑顔が今も記憶に残る。輸入穀物をやめることで支出する餌代も減ったが、経営的には赤字。「それでも、良かった」と思える秀幸さんには、この時期を通して、牛飼いとして「(乳を出す動物として)牛を見るのか、牛の命を見るのか」という疑問に対する答えが見つかっていったようだ。結果として、現在の井上牧場ではブラウンスイスやガンジーなど、ホルスタインも含めて多様な牛が飼われている。

「娘が3人」。規模拡大を目指し始めていた秀幸さんは、平成元年当時、自分には後継者がいないことを自覚し、ある覚悟を固めていた。「借金返したら牧場を売り払って、自由になろう」。53歳のときに大きな借金を払い終えるから、その時が秀幸さんにとっての牧場定年。そんな計画を立てていたこともあるというが、牛の命と向き合うようになり、牧場経営の在り方を根本から変えようと決意したことで、牧場の未来にも大きな変化が生じ始めることになる。

心はふたたび故へ。姉妹で話し合った、滝上でできること

あの東日本大震災が起きた2011年。横浜の大学に進学し、卒業したみなみさんはIT系の会社に勤め始めていた。営業職として新規開拓に奔走し、取り引き先である企業の問題解決のためのコンサルをするような仕事。面白さもあったが、必要としないものを企業に薦めなければいけない仕事に当初から疑問を感じてもいた。そして、深夜にまで及ぶ仕事をこなしているときに遭った大震災。自宅から離れた東京のど真ん中、水道橋であの大震災に遭遇したのだった。「このまま東京にいると危ないな」「何とか脱出しなければ」。みなみさんは仕事を辞め、大学時代から付き合っていた現在の夫との結婚を決める。以来、およそ4年間、みなみさんは夫の転勤で盛岡、青森などで暮らすことになる。

東京で勤め人として働いていた頃から、みなみさんの心は次第に故郷へと向かっていく。「父親の牧場の牛乳を売りたい」「実家を応援したい」。夫と暮らし始めたことで、「彼が会社勤めに疲弊している」ことを知るようになり、「一緒にいても、夫がずっと疲れているのを感じていた」みなみさんは、夫の新しい職場として、実家の牧場を考えるようになっていた。

お盆、正月などを利用しては、夫に牧場での職場体験を繰り返してもらい、「彼が北海道気分になれればいいな」と働きかけること数年。「意外と良いね」というのが夫からの返事だった。それから1、2年かけて会社を辞め、みなみさん夫婦は2016年春、滝下に移り住む。

この間、みなみさんとあみさんは頻繁に連絡を取り合っては、「これから」のことを話し合っていた。油絵、立体、デザインなどを学んできたあみさんと組めば、「いろんなことができそう!」と考えるみなみさんがいた。営業系の資質のあるみなみさんとデザイン系が得意なあみさんが組んでできそうなこと。

みなみさんの東京暮らしを最も近くで見ていた妹のあみさんは、都会で働く夢を追うことは最初からなかったようだ。「都会人って大変だな」。自分の部屋に戻るのは深夜。翌朝は早くから満員電車に揺られての通勤。上京しては姉の働く姿を見ていたあみさんは勤め人として働くことを早々と諦めると、心は自然に実家へと向かう。仕事のためのアトリエを探し、自分で仕事を始めるにはお金の心配がある。実家に帰ってみると、「(大好きな)工具がいっぱいあった」。「牧場を手伝いながら制作(デザイン)活動をするのって、楽しそう」。何より、小さな頃から家族で暮らすイメージがずっとあったというあみさん。「牧場でぷらぷらしてていい?」と父親に聞くと、「いいよ?」との返事。この頃から、みなみさんとあみさんの井上牧場に寄せる思いは大きくなるばかりだったことだろう。

みなみさんとあみさんの心が井上牧場に向かっていった時期。父親の秀幸さんの牧場経営は「牛の命を見る経営」へと大きく舵を切っていた。牧場に放されている牛はブラウンスイスやガンジー、もちろんホルスタインもいる。交雑種も多く、みんな元気で健康的。牛たちは草地に放され、春から秋まで、乳牛も肉牛もそれぞれに好きな場所で、思い思いに過ごしている。のんびりと、幸せそうな牛たちを見るのは、いつだって心が和む。牧場に帰るたび、みなみさんやあみさんも父親の変化を感じ取り、そこに共感を覚えるようになっていた。大規模経営を目指していた頃の父親よりも、今のほうがいい。「変わってきた父が良く見えた」とはみなみさん。

私たちにできることを、滝上町でやりたい

みなみさんとあみさん。15歳で故郷、滝上を離れた姉妹は、15年近く経って、再び父親の経営する牧場に戻ってきた。故郷、滝上という町は、まだ10代だったふたりにとって「圧倒的なマイナスイメージ」でしかなかった。「あれ、ないし」「あれ、可愛くないし」「好きだけど、全然好きじゃない」…。じゃあ、今はどうかと言えば、滝上に対する気持ちには、当時とそれほど大きな変化はない。「田舎っぽいところは好き」。だけど、「楽しそうに暮らしている人は少ない」。故郷に対する気持ちは10代の頃とそんなに大きくは変わらないけれど、「私たちにできること、したいな」という気持ちだけは大きく膨らんでいる。「もっと可愛いおみやげほしい」「カフェもあったらいいな」「牧場の牛乳を自分たちの手で売りたい」「肉も売りたい」「宿もつくりたい」。

姉妹の心の変化は、父親の秀幸さんの生き方に生じた変化に共鳴することで起きたのだろう。井上牧場の在り方、経営そのものが、姉妹の心に響くものに変わっていたことが大きいに違いない。父親が歩んできた道。これから歩もうとしている道。外の世界で経験を積んできて、再び故郷と向き合えるようになったこと。井上牧場の過去と現在、その両方を知っているみなみさんとあみさんが、今、その道に合流し、両親と一緒に再び歩き始めようとしている。

「いのうえさんちのオンガクガーデン」は2時間ほどで終了。家族全員で挨拶する姿に、ほのぼのとした感動が湧き上がる。

井上牧場ファミリー主催の音楽祭は、2019年夏で2回目を迎えたばかり。牧場経営に加えて、夏の夜にこうして音楽祭を開き、地元の人たちとのひとときを楽しむ。そんな暮らしぶりに目を見張り、「ここで暮らすのも、意外に楽しそう」と、道北のカソチに惹かれる人たちが増えていく。そんな未来をボンヤリと思い描きながら、和やかな夏の夜の雰囲気に浸っていた。

「ふたりが戻ってきてから、やってることはそんなに変わんないけど、うちのお母ちゃんが楽しそうにしてる。母ちゃんが楽しそうだと、俺が安心」。秀幸さんの笑顔がひときわ大きくなって、思わずつられて笑ってしまう。ふたりが加わって、いろんなことができるようになって、世界が広がったのだと秀幸さん。

50歳を超えて、こんな風に家族で音楽祭を開けるなんて。以前なら想像すらできなかったことが、こうして実際にできるようになっている。「こんな家族が暮らすところこそ、滝上というカソチなんだよネ」。音楽の世界に溶け出していた心が再び戻り、視線を井上ファミリーへとゆっくり戻していく。

月明かりに照らされて、ハーブガーデンの道がずっと下まで続いている。穏やかに鎮まったままの心を感じながら、ほのかな月明かりの中、足元を確かめながら歩いて宿へと向かう。こんなにも深くて温かな感動の中に身を置いたのは、ほんとうに久しぶりのことだった。

(取材時期 2019年10月25日)

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.61
「パンは語る」

道産小麦もあたりまえになりつつある現在。BIO小麦や薪窯、酵母。それぞれのこだわりを追い求める、北海道のパン。

この記事を書いた人

萬年とみ子

萬年とみ子

紙媒体の「northern style スロウ」編集長。2004年創刊以来、これまでに64冊発行してきたなんて、…気が遠くなりそう。加えて、デジタル媒体を目にできる日がくるだなんて!畑仕事でもして、体力、つけなきゃ!