どんな時も、淡々と。三好焼菓子店のフィナンシェ

関西出身の三好夫妻が北海道へ移住後、2019年に開いた焼き菓子店。由仁町の市街地から離れたところにありながら、日々おいしい焼き菓子を求める人がやって来ます。定番商品は『朝焼きフィナンシェ』。クッキーやマドレーヌなども並びます。淡々と丁寧に作られる焼き菓子はどれも、一度食べたらずっと記憶に残る味。そのおいしさの理由と、店主のお菓子づくりへの思いを訪ねて。

Shop Data

三好焼菓子店
住所 由仁町熊本231
営業時間 11:00~17:00
定休日 月・火曜
URL Instagram:@miyo_yaki
周りの景色 夏はトウキビ畑、春の始まりには白鳥の姿が。

一年ぶりの、三好焼菓子店へ。

三好焼菓子店に並ぶのは、いつ食べても、ずっとおいしいお菓子。色は単調だけれど、美しいもの。本質的なおいしさと美しさを求めて三好さんは今日も、お菓子を焼く。心と手をきちんと合わせて、どんな日も、淡々と。

ポツンと置かれたストーブ、ドアのない入口、まだガランとした店内。完成前の三好焼菓子店を訪れたのは、本誌59号で、長沼町の大工「yomogiya」の中村さんを紹介した時のことだった。

以来、その時に食べたフィナンシェのおいしさとストーブを囲んで中村さんと三好さんと話した時間を、よく思い出した。その度に記憶の端で何かがぼやける。その理由が、「お菓子を作る人」としての三好さんの話をまだちゃんと聞けていないからだと気がついたのは、あの日から一年後のこと。

2020年3月、久しぶりに由仁町へ向かう。春の日差しに雪解けは進み、真っ白だった景色に、土の色や植物の色が少しずつ戻ってきた。そんな風景の中で、三好焼菓子店は静かに佇んでいた。

扉を開けたのは午前9時過ぎ。窓越しの光が漆喰塗の壁に届いて、店内は淡く明るい。一年前、「ここは、自分で塗ったんです」と、三好さんが教えてくれた。当時ストーブだけがあった空間には、どっしりとした素敵な棚がある。

厨房では三好さんが黙々とお菓子を焼いていて、ふんわりと甘い香りが漂う。焼きたてのお菓子を袋に詰めたり、並べたりするのは、妻の香織さん。2人は無駄なく、慌てることなく、それぞれの作業をさらさら流れるようにこなしていく。
 
2人の朝の片隅で、話を聞きながら思うのは、三好さんは一つの点を求めて進む人だということ。その点は、いつも小さく、高い所にある。辿り着いても、一人で立ち続けるのには不安定なほどに。

夢と、憧れと、美しい仕事。

「あたりまえのことを、あたりまえにやりたい」。素早く、丁寧に、作業をする三好さん。

三好さんがお菓子づくりの道へ進んだきっかけは、大学一年生の頃に友人と行ったホテルのケーキバイキングだった。そこで出合ったのが、ズラリと並んだ色とりどりのケーキたち。「きれいだなぁと思ったんです。きれいで、美しかった」。その世界に、一瞬で惹き込まれた。

それから三好さんは大学生活の4年間、学校に通いながら、ほぼ毎日ケーキ屋で働いた。とにかくケーキに関わっていたかった。大学で学んでいたのは異なる分野だったけれど、そちらも一切手を抜くことはなく、首席で大学を卒業する。

卒業後は大阪のケーキ屋に就職。さまざまな担当があるパティシエの仕事の中で、いつしか「深みにはまっていた」のが、生地づくりから焼き上げまでを担う焼き場での仕事。中でも飾り気のないフィナンシェなどの焼き菓子を、「無骨でいいな」と思うようになっていた。

当時、三好さんには夢があった。京都のとある店で働くことだ。「お菓子をやる人なら誰もが知っている、頂点のような存在」。そこで働きたくて、毎月手紙を出した。返事はずっと、届かなかった。

その店から電話がかかってきたのは、突然だった。「今日、面接に来てほしい」。三好さんは大阪の店での仕事をいつも通り終えてから、電車で京都へ向かった。

夢は、叶った。

「本当に、美しい仕事でした」。

三好さんはその店で、材料の扱い方や生地の作り方から考え方まで、お菓子づくりのすべてを徹底的に学んだ。その店で学んだことは今も一つ残らず、三好さんの心と手に、刻まれている。

すべてが眩しく輝いていた、憧れの場所。三好さんは、持てる限りの時間と体力を使って働いた。その日々の中で、憧れ続けた輝きは、計り知れないほどの努力と厳しさの上に成り立っていることを思い知る。力を使い果たしてしまった三好さんは、頂点から降りることを決める。

「その後は、一度お菓子の道から離れました」。別の場所でお菓子を作り続ける道もあったはず。けれどそうしなかったのは、京都の店が「自分にとっての頂点だったから」。小さく高いその場所が、お菓子を作る人として、求めていた点だった。いくつかの仕事を経て、福祉の道へ。香織さんは、大阪の施設で働いていた頃、共に働いていた仲間だった。

その後、2011年3月、東日本大震災が起きる。三好さんは支援員として、福島県へ派遣された。誰かを救いたい気持ちの一方で、目の当たりにしたのは、「誰かを助けたら、誰かが助からない」という現実。福島県での任務を終えて大阪に戻った後、三好さんの心は深く閉ざされていた。

三好さんの心を開いた北海道の空。

「一度、今いる場所を離れないとだめだと思いました。どこか遠い所に行くのが必要な気がして、とにかく海を渡ってみようって」。心惹かれるままに、北海道行きの航空券を取る。何も決めずに過ごす、3日間の旅だった。「結局ずっと、札幌の大通公園で過ごしました。ただそこで、ぼーっとして。それだけなのに、空の高さとか、空気のおいしさに気持ちが解放されました」。

北海道の広さが、三好さんの心をそっと開いた。それからも、時間を見つけては北海道を訪れた。その度に、心には新しい風が吹き、ほのかな光が差した。「北海道で暮らせたら」。やがて、そんな思いが生まれていった。

「行かないと」。心を決めるまでは、少し時間がかかった。一番気がかりだったのは、大阪に残していく家族の存在。最終的には、「好きなことをやりなさい」という母の言葉に背中を押されて、北海道へ移り住むことを決める。

2017年、三好さんと香織さんは北海道へ移り住み、結婚。いくつかの縁が重なり、由仁町へ。その頃には、「自分の店をやる」という思いはもう固まっていた。三好さんの、好きなこと。それはやっぱり、お菓子づくりだった。その思いの深さや、奥にある苦しさは、「好き」という言葉では表現しきれないかもしれない。ただ、色とりどりのケーキに出合ったあの日からずっと、三好さんはお菓子を作る人だった。

「なかなか家を出られない日々が続いた頃、時々、家でフィナンシェを焼くようになりました。お世話になっていたギャラリーの方に渡したら、『おいしいね』って、店に置いてくれたんです」。

辛い思いの只中にいるとき、立ち止まってしまったときに、それでも心と手が動くこと。それが、その人の真ん中にある「本当に好きなこと」なのだと思う。どんなに厳しい世界を見ても、一度は離れてしまっても、三好さんの心と手は覚えている。きらびやかで無骨で、「美しい」と思える世界を。その美しさを作り出す方法と、向き合うことの喜びを。

由仁町の元古民家で始めた焼き菓子店。

店舗にできる空き家を探していたところ、長沼にあるshandi nivas café(シャンディ二ヴァースカフェ)の坂本さんを通して、「yomoigya」の中村さんと、大きなニレの木の下に建つ空き家と巡り合う。それから約1年の準備期間を経て、2019年6月、三好焼菓子店はオープン。最初は三好さん一人で。秋頃からは、香織さんも店を手伝い始めた。

黒い服と、白い服。「僕は本当に頭でっかちで、ネガティブ」と言う三好さんと、「私はポジティブかな」と軽やかに笑う香織さん。北海道への移住や、店を始めたことについては、「いいな、と思いました」。短い言葉に、2人が重ねてきた日々が浮かぶ。三好さんが小さな点に立ち続ける足元で、大きくて柔らかい布を広げていてくれる人が、香織さんだ。

「あたりまえのことをあたりまえに、続けていきたい。それを、淡々とやっていきたい」。どこか自分に言い聞かせるように、三好さんは言った。

時には〝頭でっかち〟になるほど考え込んでしまったり、辛い日の記憶が顔を出したり。いい日もあれば、そうじゃない日だってある。それでも、お菓子を焼く時、店に立つ時は、いつも同じ気持ちでいたい。「淡々と」という言葉にはきっと、そんな思いが込められている。

午前11時、その日並ぶお菓子が焼き上がり、香織さんが店の外に看板を出しに行く。柔らかい光の中で、三好さんが静かな音楽をかける。店の棚の一番真ん中に置かれたのは、『朝焼きフィナンシェ』。それは、シンプルで美しくて、どんな日も等しくおいしい焼き菓子だ。

(取材時期 2020年5月25日)

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.63
「カヌーで辿る、川のはなし」

「カヌーイストの聖地」と呼ばれる川がいくつもある北海道。豊かな自然、歴史や文化。さまざまな角度から北国のカヌーの魅力を伝える。

この記事を書いた人

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立田栞那

花のまち、東神楽町生まれ。スロウの編集とSlow Life HOKKAIDOのツアー担当。大切にしているのは、「できるだけそのまま書くこと」。パンを持って森へ行くのが休日の楽しみ。