おおば製パンの暮らしを支えるカンパーニュ

国道5号線からの曲がり角を進むと、林の中に佇むパン屋、おおば製パンに辿り着きます。晴れた日には、店の外から四季折々の駒ヶ岳が望める場所です。店主の大場さんは、広島県のパン屋・ドリアンのパンづくりに憧れ、2015年におおば製パンを開業。ソーケシュ製パンの今野さんに教えてもらいながら手作りした薪窯で、日々カンパーニュなど、ハード系のパンを焼いています。目標は、「ゆくゆくは店に並ぶパンの種類をカンパーニュに絞り、専念すること」。その理由は、理想の暮らしを叶えたいから。パン屋の仕事を、長く続けていきたいから。

Shop Data

おおば製パン
住所 森町字赤井川412-132
電話番号 01374-7-1120
営業時間 11:00~17:00
定休日 月曜
URL https://www.facebook.com/ooba.sei.pan
イートイン 晴れた日には外のテラス席で

おおば製パンに流れる、いつもの朝。

9月の始まり、あっという間に過ぎたかと思っていた夏が、北海道に帰ってきた。葉の緑、風、空の青さは秋の色をまといながらも、確かな夏の匂いを感じさせてくれた。車の窓を開けて、大沼の湖面にきらきら反射する光を楽しむ。その向こうに駒ヶ岳が見えてくる。何度訪れても、「いいなぁ」と心から思う風景。もう少し先の曲がり角を進めば、林の中に佇むパン屋、おおば製パンに辿り着く。

朝8時過ぎ、店内では大場隆裕さんがパンを焼く準備の真っ最中。厨房の中を行ったり来たりしながら、黙々と作業している。話を聞きに来たものの、後ろ姿から伝わる真剣さは話しかけていいものか少し迷うほど。そうしているうちに、「今日も暑くなりそうだよ~!」と、玄関の掃除を終えた久絵さんが店内に戻ってきた。隆裕さんは手を止めず、「そうだね、今日子どもたち遠足だよね」と、答える。2人はそのままお互いの仕事をしながら、「帽子持って行ったかな?」、「天気は持つかな?」と、会話を続けた。

2人にとって、家族にとって、パン屋は仕事であり、生活の一部。いつだって真剣だけれど、特別構えるようにして向き合うものではないのだ。そうわかってからは、ぽつぽつと話を聞くことができた。隆裕さんはせっせとパンを作りながら、時々、手を止めながら答えてくれる。

時刻は8時半を過ぎる頃、そろそろ薪窯に火が入るようだ。

細かい薪を重ねた中に、火を点けた焚き付けを入れる。火はたちまち広がり、薪窯の中から赤く明るい光があふれ、ぼうぼうと音がする。まずはこうして、薪窯の温度を約350~360度まで上げる。その後、約260度まで温度を下げてパンを焼くそうだ。薪窯でパンを焼くのは、基本的に1日1回。それでも薪の量は「かなりたくさん」使う。

店の外には、さまざまな太さの丸太がぎっしりと並ぶ。近所の人から譲ってもらったり、倒木を使ったり。量をたくさん使う分、費用を安く抑えられるよう工夫する。チェーンソーを使って、丸太を玉切りするのは隆裕さん、薪割り機を使って、薪窯に入る大きさに割っていくのは久絵さんの仕事。2人で分担して、パンを焼くための薪を準備する。

隆裕さんが窯の様子を見つつ薪をくべていくと、店内の温度は一気に上がる。「暑いでしょう」と冷たい炭酸水をくれた久絵さんと一緒に外に出て、風に当たる。「夏なんかはもう、私は厨房にいられないくらい暑くなるけど、主人はどんな日でもパンを焼いている。本当によくやっていると思います」。

あるパン屋の生き方に憧れて、パン屋になった。

2人が出会うずっと前、隆裕さんは配管工、久絵さんは自衛官と、パン屋とはまったく異なる職に就いていた。その後もそれぞれの道を歩いていた2人だったが、函館市の洋菓子店で共に働き、やがて結婚。その後、2015年におおば製パンを始めることになる。最初にあったのは、「パン」ではなく、「暮らし」や「生き方」。その先に、職業としてのパン屋があった。

洋菓子店で働いていた頃、隆裕さんは偶然、自然発酵の生地を薪窯で焼くパン屋の存在を知る。それは、夫婦2人で営む広島県のパン屋、ドリアン。「憧れたんです。自然発酵のパンも、薪窯で焼くパンも知っていたけれど、商売としては難しいと思っていたから」。一生懸命作ったパンを捨てない作り方と売り方。きちんと休みをとり、自分たちの時間を持ちながら店を営む生き方に強く憧れた。そして、ドリアンで修業することを決めた。

駒ヶ岳のふもとに開いた、自分たちだけの店。

修業を終え、北海道に帰ってきた隆裕さん。店を始めるとき、頭の中心にあったのは「薪窯でパンを焼く」ということ。「効率を考えたら、電子窯がいいんだろうなと思うんですけど。ボタン一つですべてできるんじゃなく、もっと感覚的な仕事がしたくて」。ドリアンでの経験も、隆裕さんに大きな影響を与えただろう。

薪窯で焼くとなると、どうしても煙が出てしまうし、薪を置くためのスペースが必要になってくる。自然と市街地から離れたひっそりとした場所が候補に挙がる。子どもたちの学校や習い事の関係もあり、森町のこの場所で店を開くことになった。薪窯は、実際に薪窯でパンを焼くソーケシュ製パンの今野さんに教えてもらって、父親と2人で完成させた。

これほど駒ヶ岳がきれいに見える場所だったのは、まったくの偶然。「一年中、ほんっとにきれいなんです」と、久絵さんが四季折々の写真を見せてくれた。大きな目印や看板はないけれど、この場所におおば製パンがオープンして以来、ここを目的地にやって来る人は着実に増えている。

自分たちで店を営むことについて尋ねると、「それはもう、大変ですよ」と、2人は笑う。自分の店を営む。それは2人にとって、パンと家庭、それぞれにかける時間や金銭面をはじめ、生活にかかるすべてのバランスを取っていくということ。全部自由に決められるからこその楽しさがある反面、苦労することも数え切れないほどある。

「大変」の後に続く2人の言葉は、それぞれ違った。「でも、自分にはこのやり方しかできなかったと思う」とは、隆裕さん。「でも、やって良かった! やっぱり自分たちのやりたいことが思い通りできるのって楽しい。それに何か大変なことがあっても、それと向き合うか、受け流してしまうかまで、自分たちで決められるから」とは、久絵さん。

隆裕さんの言葉を文字にすると、ほんの少しネガティブな印象に聞こえるかも知れない。けれど、「このやり方しかできなかった」と思えるほど、自分にぴったり合う生き方ができるなんて、とても素敵なことではないだろうか。

家族の暮らしの中には、いつも薪窯とパン。

2人と話しているうちに、薪窯の炎はすっかり落ち着いていた。薪が燃え、灰が真っ白になる頃がちょうどいいタイミング。いよいよ、パンを焼く時がやって来た。朝からそっと見守っていたので、隆裕さんが生地をピールに乗せて、窯に入れようとするときには、思わず息を飲んでしまった。

そんな時、「今のうちに、薪割りしてこようかな。そろそろ足りないよね?」と、久絵さんの明るい声がした。「そうだね」と返す隆裕さん。ふと窓の外を見れば、2匹の犬たちがのんびりと幸せそうな表情で寝そべっている。

お昼寝中のなつとゆきは、人懐っこい看板犬。

その光景を見たとき、空気がほんわりと丸くなったように感じられた。今、目の前にあるすべては、2人にとって、家族にとっての日常だ。時には厳しい場面もあるけれど、家族みんなで力を合わせて、周りの人たちに支えられて、大切に作ってきた暮らしの一部なのだ。

カンパーニュは、暮らしを支えるパン。

午前10時半過ぎ、こんがり焼き上がったパンが棚に並んだ。「ゆくゆくはもっとパンの種類を減らして、カンパーニュに専念したい。こういうパンの良さを伝えることに、もっと時間と力を使えたら」と、隆裕さんは言う。甘いパンや惣菜パンに比べてまだまだ馴染みが薄く、受け容れてもらえていない部分がある気がするのだとも。

カンパーニュに関する久絵さんの考えは、またちょっと別のもの。「うちにはうちの良さがある。いろんなパンがあってもちろんいいけれど、実はカンパーニュのようなハード系のパンこそ、ずっと食べられてきた〝普通のパン〟なんじゃないかな」。

確かに、私たち日本人から見れば、ハード系のパンのほうが新しい印象があるかも知れない。けれど、カンパーニュは元々、ヨーロッパの農村で古くから食べ続けられてきた、暮らしを支えてきたパンだ。

何より、おおば製パンのカンパーニュはおいしい(実はくるみのパンもすごくおいしいが)。大沼方面を訪れると、いつも立ち寄りたくなってしまうのだ。おおば製パンのパンがあるだけで、翌朝が楽しみになる。日常にあってほしいのは、こういうパンだ。

より良く、より長く、パンを焼き続けるために。

隆裕さんがパンの種類を減らしたいと言ったもう一つの理由は、「長く続けていきたいから」。薪割りからパンを焼くまで、その他諸々の作業を2人で行うのは、体力的に大変なこと。店のカンパーニュを日常的に食べてもらえるようになったら。他のパン作りにかけていた時間を使って、カンパーニュを作り、届けることに専念できるし、体力的にも少し
楽になれる。「続けていくために、どこかで楽することも必要だと思うんです」。

理想の生き方をするために、パン屋になった。パンを焼くことが、生活の一部になった。自分にとって良い状況でパンを焼き続けることは、より良く暮らしていけるということ。2人のパン屋としての日々を、薪窯から漏れる炎の光が今日も優しく明るく照らしている。

(取材時期 2019年10月25日)

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.61
「パンは語る」

道産小麦もあたりまえになりつつある現在。BIO小麦や薪窯、酵母。それぞれのこだわりを追い求める、北海道のパン。

この記事を書いた人

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立田栞那

花のまち、東神楽町生まれ。スロウの編集とSlow Life HOKKAIDOのツアー担当。大切にしているのは、「できるだけそのまま書くこと」。パンを持って森へ行くのが休日の楽しみ。