美瑛町のメインストリートに佇むスイノカゴは、全国の作り手による作品が手に取れる人気店です。お店を営んでいるのは、白樺を使ってカゴを作る作家の崎山雅恵さん。自身も作家になったことで、「作る」ことの奥深さがより一層わかるようになったと語ります。そんな崎山さんが白樺にかける思いや店を構えたきっかけを尋ねました。根底にあるのは、故郷・美瑛町に注ぐ温かな愛です。(取材時期/2015年7月)
Shop Data
スイノカゴ
住所 上川郡美瑛町中町1-4-34
電話番号 080-4505-9983
営業時間 11:00~17:00(2021年1月より、開店時間11:30~)
定休日 不定休
URL https://www.suinokago.net
2020年にスタートした「喫茶 木と星」についてはコチラ。
※白樺細工の作品は数に限りがあり、売り切れの場合もあります。
白樺の樹皮を編む女性、崎山雅恵さん
作家がどのようにして自身の作品を生み出すようになったのか。その理由はさまざまだ。しかしどの人も、心の奥底の何かによって強く動機づけられ、その創作活動を続けていくのだろう。白樺かごを編む「作家」である目の前の女性もまた、「故郷」というひとつのキーワードに強力に惹きつけられて、その世界に飛び込んだ人だった。
美瑛町の商店街、駅前のメインストリートにできた小さな店「スイノカゴ」。全国各地の作家の作品を集めたこの店を営む崎山雅恵さんは、白樺の樹皮でかごを編む作家でもある。2012年頃に故郷である美瑛町に戻り、雑貨を扱う店を営みながら、地元で間伐される白樺の樹皮を使ったかごや小物を制作している。
白樺の樹皮のかごは、フィンランドやスウェーデンをはじめとする北欧諸国で、古くから一般的に使われている道具。油分が多く滑らかで、水洗いにも耐えるほどに強い素材であるため、親から子へ、そして孫の代へと受け継がれていく。北海道の先住民であるアイヌの間でも、水を汲む道具などとして白樺の樹皮が使われていた記録が残っているという。
崎山さんの故郷である美瑛は、白樺が作り出す美しい風景が見られる場所。白樺は町木にも指定されている。「『がんび』って知っていますか? 白樺の樹皮のことをこう呼ぶんです」。今となってはあまり聞かなくなってしまった北海道の方言のひとつだが、美瑛町内の農家の家庭に生まれた崎山さんは、小さな頃から「がんび」に親しんできた。「油分があるから、よく燃えるんですよ。薪ストーブの着火材などとして、小さい頃からよく使っていました」。あたりまえに身近にあった木、それが白樺だった。
あふれるモノと情報の中に見つけた故郷
ところが、崎山さんが白樺樹皮の「かご」に出会うのは、実は大人になり地元を離れて暮らすようになってからのことだった。身近にあるものほど、その大切さに気づくのには時間が必要なのかもしれない。それは崎山さんにとっても例外ではなく、夫の仕事の都合で暮らすことになった関東の地で、美瑛にいた頃にはあたりまえにそばにあった白樺の風景を鮮明に思い出すことになるのだった。
「あの白い木が立ち並ぶ景色をいつも懐かしんでいました。がんびで火をおこしていた経験も含めて、脳裏に焼きついていたんですね」。関東にはとにかくたくさんの「モノ」があったと、崎山さんは話す。そして年を追うごとに、あふれる情報の中から「良いモノ」を見極める審美眼を身につけたいと思うようになったとも。
そんな折に出会ったのが、海を越えて北欧からやってきた、白樺樹皮のかごだった。かつて樹皮を剥いだ経験はあったものの、それは燃やす目的として。かごとして新たに命を得て、しかもそれが代々受け継がれるなんて思ってもみないことだった。しなやかで、動物の革のように強く、使う程に美しくツヤを増す白樺樹皮。文字通り「一生もの」として大切にされる、その事実に出会った衝撃。「震えるような思い」を感じたという。
心の中にいつも持っていた、故郷の原風景。そして、関東で出会った美しい道具としての白樺樹皮。さまざまな要素がここでリンクし始めた。「美瑛に帰りたくて帰りたくて仕方なかった」。地元を離れ、数多くの「モノ」に触れたことで、意外にもその意識は外に向くのではなく、故郷へと向かった。崎山さんにとっての創作活動の源泉は、美瑛への思いだった。
幼い頃、土だらけになりながら両親の畑仕事を手伝ったこと。「がんび」を剥いで、焚き付けとして使ったこと。周囲は畑ばかりだったから、仲の良い友人の家が遠く、それがすごく嫌だったことも。「本当はとても大切なことだった」と、崎山さんは振り返る。踏みしめる土の感覚や匂い、木々の色や風の温度。美瑛での暮らしの中で知らず知らずに感じ取っていた四季の移り変わりは、何物にも代えがたく、意識の深い部分に根を下ろしていた。どうしても自分の暮らしの基盤を故郷とのつながりの中に置きたいと思い至った。そして、崎山さんは美瑛へ戻ってくることになる。
100年もつ道具に宿るものづくりの精神
帰ってくるのなら、この地にないものを新たに始めたい。関東で出会った白樺樹皮のかごのことも、頭の中にしっかりとあった。「この町の木を使って自分の手でものづくりをしていこう」。地元の人たちに対しても、何か発信することができるように。そして、丘の景色を求めて数多くの観光客が訪れる美瑛の町に、形の残る「モノ」を作りたい。そんな思いもあった。まずは実家の畑の脇にあった白樺の老木から少しばかりの樹皮をいただいて。その後、道産の白樺かごの先駆けとなる師に教えを請い、徐々に基礎が身についてくると共に、林業に従事する人の協力で間伐される白樺の樹皮を分けてもらえるようになった。
自身が作品を作るようになったことで、今まで以上にものづくりの精神というものに対する興味も湧いてきた。「日本人の職人魂というか…。日々使われる道具を作ることに、重い責任を感じています」。100年もつ道具を。孫たちが年をとっても大切にしてもらえるようなものを。「次は何をしよう、その次は何をしたらいいだろう、って、樹皮を編みながら常に考えています。編む動きはゆっくりして見えるけど、頭の中はとても忙しく動いているんですよ」。
作るということの奥深さを、作家として活動を始めてから実感できるようになったという崎山さん。たとえ伝統的なかごの編み方であっても、白樺かごの文化が根づいていない北海道では容易に知ることはできない。海外の書籍を取り寄せて、挿絵や写真を見ながら手探りで学ぶ。作り手はそんな風にして、かごというひとつの分野の中でも常に進化していかなければならない。受け手にとって魅力的なものであり続けるためには必要なことなのだと、崎山さんは話す。「まだまだ始めたばかり。修業中の気持ちです」。
北欧の人々の暮らしの中で時間をかけて生まれ、積み重ねられてきた普遍的な道具も、文化のない土地に新たに持ち込めば、それはあたりまえに「新しいもの」として受け取られる。初めからすべての人の理解を得られるはずのないことは、もちろんわかっている。「少しずつ文化を浸透させられるよう、情報発信していきたいと思っています。簡単ではないと思いますが、ゆっくりと」。
朽ちるはずの木に再び命吹き込む白樺かご
白樺の樹皮を採取できるのは、年に1度、たった1ヵ月ほどの期間だけ。崎山さんが作品づくりに使用する美瑛の木の場合、7月がその時期にあたる。樹皮を剥いだ木は衣を失い弱ってしまうため、どんな木からも採るというわけにはいかない。間伐を行う予定地に伐り倒す白樺があったときにだけ採取するのだ。
そのため、日程が決まるのはいつも突然。間伐される白樺があるという連絡が入れば、すぐに準備をして山へ出発。ヤッケ(防水の作業着)を着込んで山用の装備をし、脚立を担いで出かけていく。農作業の合間を縫って、崎山さんの父親も協力してくれる。帰りは往路の荷物に加え、採取した樹皮を背負って下山する。かごづくりはその作業なくしては始まらない。編む技術よりも、樹皮をいただくことのほうが実はずっと難しく、大変なのだ。
「山の木はカラマツが中心。必ず白樺があるとは限らないので、採取できる量も質もわかりません。でも、樹皮のために木を伐るのではなく、間伐されると決まった白樺だけを使いたい。作るのは私ひとりですし、それで十分なんです」。たとえ樹皮を採った木がその後しばらく生き長らえるとしても、そのすべての木の寿命を自身が見届けることができない以上、伐り倒す予定のない木からは樹皮を採らない。それが崎山さんの信念だ。
現在は、店と年に数回参加するイベントでのみ販売している崎山さんの白樺かご。町の素材を使用しているということもあり、美瑛の土産品として購入する観光客も増えてきた。また、商店街のメインストリートに位置する店の前にはちょうどバス停があるため、町内のバス利用者が待ち時間に立ち寄ってくれることもあるという。「年配の方は特に、『これが本当にがんびかい?』って、驚くんです。薪の焚き付けや、ソリ滑りに使っていた昔のことを話してくれたりもするんですよ」。商店街が少しでも賑わえばうれしい、と崎山さん。その穏やかな語り口の端々にはいつも、故郷への愛情が滲む。
「スイ」とは、アイヌの言葉で「再び」を意味するそうだ。それは、故郷へ帰ってきた自分自身を表す言葉であると共に、白樺の樹皮に新たな命を吹き込む白樺かごへの敬意でもある。荒れ地にこそ真っ先に根づく白樺。その周囲には次第に他の植物が茂り、虫や動物たちが集うようになる。自身を育んだ美瑛の地に根づく、美しい循環の中に溶け込み暮らすこと。崎山さんが求めるものは、すぐそばの足元に広がっている。
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