小さな町で共同菜園を〈タノシモ菜園クラブ〉

農家の実家に生まれ、若い人に野菜づくりを教えようとタノシモ菜園クラブを立ち上げた三井さん。そこに集う、若者たちとの交流には、単なる野菜づくりのノウハウだけではない、もっと大切な何かを教え合い分かち合う場になっていました。夏の終わり、収穫祭の日にお邪魔させてもらった記録です。(取材時期/2020年8月)


町の中心部にひっそり佇む共同菜園。

小さな町の、足元の豊かさを味わい尽くして

2020年は新型コロナウイルスの影響で、地域間の移動が難しい一年だった。けれども裏を返せば、地域の中で楽しみを見つけたり、深めたりすることができた年。インターネット上で大規模な募集をしなくても、声が届く範囲の数人が集まって、やりたいことをやっている。小さな町ではそんなコミュニティができているようだった。道北の下川町に、野菜づくりの有志の集まり「タノシモ菜園クラブ」ができたと聞いて駆け付けた。

17時頃になると、町の中心部にある民家の裏手の畑にメンバーが集まってきた。沈みかけた夕陽にオレンジ色に染められた畑で、おもむろにその日の収穫作業が始まる。「あんまり根本から切らないようにしてね」、「それはもう収穫していいよ」などとみんなに呼びかけているのは、リーダーの三井純一さん。菜園に植える野菜と数を決め、管理し、栽培方法をメンバーに教えている。

タノシモ菜園クラブが立ち上がったのは、町が主催する移住者と町民が分け隔てなく交流する会「タノシモカフェ」がきっかけだった。今やりたいことや困っていることなど、各々がざっくばらんに語り合う場だ。ある時、会場に集まった若者から「畑をやってみたいけど、やり方がわからない」という声が上がった。実家が元農家で、今も自宅で畑を続ける三井さんは、「私だったら教えてあげられるかも」と手をあげたのだ。

三井さんが指導者として名乗り出てくれたことで、話はポンポンと進み、畑をやってみたい若者たちが三井さんの元に集まった。「自分のできることで町の人に喜んでもらえるのは、うれしいよね」と、三井さんは語る。

三井さんは昭和34年(1959年)に下川町役場に入職。翌年町の人口はピークを迎えたが、下川鉱山の閉山など産業の衰退が続いて人口は減少の一途を辿った。その当時、移住者を呼び込む部署にいた三井さんは、どうやったら下川町を元気づけられるか考え、さまざまな取り組みを続けてきた。定年退職して月日が過ぎたけれど、根幹にある町への思いは変わらなかった。「移住者に楽しんでほしいな、町に来てほしいなって思いがあったから。今でも」。積極的にタノシモカフェに参加したり、菜園クラブの立ち上げに動いたりと、できる範囲の活動を続けている。

共同菜園の良さは、分かち合えること

タノシモ菜園クラブの活動は週に一度。メンバーにはそれぞれ仕事があるので、毎日畑に通って世話をするのは難しい。そこで三井さんが中心となり、苗や肥料などの費用を集めて、毎日の草取りを行ったり、害虫を駆除したりしているのだ。「週に一度だったからリフレッシュという感覚で楽しめた」と、メンバーの一人は言った。複数人で共同菜園を持つことのメリットは、こういうところにもあるのかもしれない。毎日畑に出るのは時間的に難しかったとしても、みんなで運営できたら負担を減らすことができる。

さらに三井さんは言う。「できた野菜って、毎年余らせちゃってたのさ。それをみんなで分けられるからいいよね」。たしかに家庭菜園をしている人たちは、シーズンを迎えて同時に実る大量の野菜の消費に追われているイメージがある。けれど共同菜園なら、できた分を余らせず分け合うことができる。

共同菜園の大きな良さがもう一つ。それは、収穫の喜びを分かち合えることだ。この日は、一年間の収穫を祝い、一品持ち寄りの収穫パーティーが開催されることになっていた。畑の作業が終わり、その日採れた野菜を分けた後はパーティーの準備。9月だというのに、北上してきた台風の影響で気温の高い日が続いていた。連日30度超えで、下川町では珍しく湿度が高い。あまりに暑かったので、室内で開催する予定を変更して屋外に机を並べた。卓上に並んだのは、ジャンボナスとトマトのラタトゥイユ、ポテトグラタン、ジャガイモのニョッキなど。「同じ野菜が配られているはずなのに、持ち寄る料理はそれぞれなのが面白いね」と笑い合う。

配膳が終わったところで、三井さんが開会の挨拶を口にする。「畑は、とにかく植えないことには始まらない。だけど、植えて世話をすればどうにか形にはなる。そういうことを少し、わかってもらえたらうれしいな」。

今回のパーティーでは、収穫の喜びを分かち合うのと同時に、メンバーの感想やこれからやりたいことを聞く目的もあった。おいしい料理を食べながら、メンバーが順番に口を開く。「キュウリが多すぎて食べ方に困った」、「農家さんの大変さが少しわかった」、「これだけの面積で、これだけの人数に十分な野菜がいきわたることを知れてよかった」。ところどころで三井さんが、キュウリはからし漬けにして食べていて、漬物用と思って多く作っていたこと、小学生のときは秋になったら実家の農家を手伝うための「農繫休暇」があって、本当に大変だったことなどを教えてくれた。

大人から子どもまで、世代を超えたコミュニティが自発的に生まれる。それはなんと豊かなことだろう。畑を通じて心を通わせ合うことができ、普段は聞けない昔の話まで聞けるなんて。子どもたちにとっても、土に触れ、多くの大人と触れ合った夏の経験は、原体験として記憶の片隅に残るに違いない。

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.67
「小さな菜園を持ったなら」

プロじゃなくても、農業のいろはを知らなくてもいい。思いのほか気軽に、食べ物を作る場に立つことができるのが家庭菜園。広い北海道の地で菜園を楽しむ人たちを訪ねました。

この記事を書いた人

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スロウ日和編集部

好みも、趣味もそれぞれの編集部メンバー。共通しているのは、北海道が大好きだという思いです。北海道中を走り回って見つけた、とっておきの寄り道情報をおすそ分けしていきます。