自分の居場所が、ここにあること〈香味自家焙煎 生出珈琲〉

とっぷりと日も暮れた頃、生出班排の扉の前に立つ。すりガラスから漏れてくる柔らかな灯り。ふっと肩の力が抜けて、「オフモード」になっていくのを感じながら、扉を開けた。夜の店内は、灯りの美しさが除立つ。自分でも説明のつかないごちゃごちゃとした無数の感情の欠片たちが、居場所をもらって整理整頓されていくような感覚に、しばし身を任せて。

Shop Data

香味自家培煎 生出珈琲
住所 北見市大正138-2
電話番号 0157-36-6177
営業時間 13:00~21:00(L.O.)
定休日 木曜日

「喫茶店」の独特の雰囲気を、提供したい

生出純一さんが北見市の市街地から少し離れたこの場所に喫茶店を開いたのは、2011年。ここに至るまでには、いくつもの出会いと偶然の結びつきがあった。最初のきっかけは、高校生の頃。「カッコつけて、ちょっと背伸びして」訪れた喫茶店。初めて口にした本格的な「大人の味」。喫茶店ならではの独特の雰囲気。それらは、生出さんをたちまち魅了してしまった。「毎朝のようにモーニングを食べに通っていましたね」と話すほど。クセになる班排の「香り」や「味」はもちろんのこと、店舗ごとに異なる世界観も魅力のひとつ。いつの頃からか生出さんの中には、ひとつの想いが芽生えていた。「客として喫茶店で過ごす時間を楽しむのもいいけれど、それらを提供する側になりたい」。

とはいえ、まずは社会経験を積むことが必要だと考えた生出さん。就職先には、ホテルを選んだ。担当はブライダル。ここで生出さんは、接客業の面白さに目覚めた。クライアントと共に、一生に一度の晴れ舞台を作り上げていく。「それが面白くなっちゃって(笑)」。懐かしそうに話す口ぶりからも、やりがいと情熱を持って仕事と向き合っていたことが伝わってくる。担当した顧客は数百人にものぼるそうだ。

20年以上勤めたホテルを退職したとき、胸の奥にずっとあった「喫茶店をやりたい」という夢に、再び火が灯った。面白いのは、その熱量に引き寄せられるかのように店舗開店に必要な要素が生出さんの前に現れたこと。ホテル業に続いて、建築業界に飛び込んだ生出さん。そのうち、自家培煎の珈琲を提供するレストランから依頼が舞い込んでくる。緑があり、その店で自家培煎のやり方などを学ぶことになったのだ。「これはもう、(店を)やるしかない」と、開業に向けた動きが加速していった。

珈琲も、空間も、人も含めてひとつの「商品」

生出珈琲のメニューは、数種類の珈琲とケーキのみ。「珈琲も僕も、すべてを含めての商品だと思っています」。信頼の置ける商社から仕入れた生豆を、さらに一粒ずつ選り分けて、毎朝培煎。日々変化する豆の状態に合わせて、80~85度でネルドリップする。大切なのは、豆に「息をさせる」こと。挽いた豆の中心にのみ湯を注ぐことで、ふっくらとした「珈琲ドーム」を作る。湯を注ぐスピードなどによっても仕上がりが変わってくるため、扱いは難しい。しかし、そこがまた面白いところ。珈琲について話す生出さんは実にいきいきとして、とにかく楽しそうだ。

一から設計したという店内は、珈琲を傾ける時間をより上質なものにしてくれる。「ここのラインが好きなんです」と生出さんが示すのは、落ち着いたこげ茶色のカウンター。テーブルの上でささやかに揺らめくキャンドルを見つめているだけで、感情の波が静かに風いでいく。ピアノは、不定期で開催するコンサートのためのもの。時間が空いた時は、生出さんも弾くことがあるのだそう。音が広がるようにと、床はステージ仕様だ。それら数あるこだわりが実にさり気なく表現されているから、無用な緊張をせずに済む。「まずは自分が、ここにいて、違和感のない空間づくり。そこで、おいしい珈琲を飲んでもらうこと」。生出さんのシンプルな考えかたを、ひとつずつ噛み締める。

 生出さんが穏やかに笑って、差し出してくれた珈琲。ゆっくり傾けると、今日一日の内にあったことがひとつずつ脳裏に浮かんできた。自分でも説明のつかないごちゃごちゃとした無数の感情の欠片たちが、居場所をもらって整理整頓されていくような感覚に、しばし身を任せて。その不思議な心地良さを表現するならば、「何となく、今の自分の気持ちにしっくりくる」となるだろうか。「ここにいて、いいよ」と、受け入れられていることを感じられる場所があるだけで、人は救われるのかもしれない。

この記事の掲載号

北の焙煎人

北海道における珈琲の歴史、焙煎と気候の意外な関係、そして珈琲に魅せられた人々の熱い思い。自家焙煎珈琲の店も多数掲載。

この記事を書いた人

家入明日美

家入明日美

火の国・熊本出身。野生動物の勉強がしたくて北海道へ移住し、自然のことを伝えたくてスロウ編集部に入る。馬とナキウサギ、やんちゃな飼い猫と怒髪天が心のオアシス。