オーブンから薪窯へ。tombolo10年目の変化と、変わらないもの。

函館市西部地区にあるtombolo(トンボロ)は、自家製天然酵母・北海道産小麦・塩・水のみを使ったシンプルなパンの店です。函館出身の苧坂さんが東京での修業を経て、地元でパン屋を開いたのは2010年のこと。それから10年と少し経った2021年春、tomboloはある変化を迎えます。それは、手づくりの薪窯が完成したこと。スイッチひとつでパンが焼ける電子オーブンから、ひと筋縄ではいかない薪窯へ。その変化の理由と背景にある思いを訪ねて、宝来町にできた新しい工房兼店舗を訪ねました。(取材時期 2021年5月)

Shop Data

tombolo horai(宝来町店)
住所 函館市宝来町12-13
電話番号0138-85-6209
開館時間 11:00~16:00
定休日 月・火・水曜
URL https://tombolo.jpn.org/

Instagram @tombolo_jun
※2023年1月現在、元町店も営業中です。

tomboloの店主・苧坂淳さんに会いに、函館へ。

2021年の春、函館近郊で暮らす知人から贈り物が届いた。手紙と、コーヒーと、一緒に入っていたのが、函館市西部地区にあるパン屋・tomboloのクロワッサン。しっかりと焼き色のついたシンプルなおいしさのクロワッサンを食べていたら、西部地区の街並みが心に浮かんできて、なんだかとても恋しくなった。

写真中央の皿の上に置いてあるのが、贈ってもらったtomboloのクロワッサン。

贈り物の箱の中には、クロワッサンと一緒にこんなメッセージが添えられていた。「tomboloの淳さん、薪窯でパンを焼くようになったみたいですよ」。

ずっと前に足を運んだときは、確か電子オーブンだったはず。あたりまえだけれど、パンは焼かなければ生地のままで、パンにはならない。「焼く」という作業は、パンを完成させ、食べてくれる人に手渡するためのとても大切な工程のひとつといえるだろう。その方法を、電気から薪へと変えること。そこには、どんな理由や思いがあるのだろう。西部地区への恋しさと、純粋に「知りたい」と思う気持ち。ただその2つを胸に車を走らせたのは、その年の春のこと。

「せっかくだから、パンを焼いている時間にどうぞ」。

店主の苧坂淳さんとの約束は、朝8時頃。宝来町にある小さな工房の中は、すでに薪窯の熱で暖まっていた。薪窯の傍らには成形されたパン生地が並んでいて、苧坂さんは静かに薪窯の中の様子を確かめている。「そろそろ良さそうです」と言った側から、パン生地に切れ目を入れてどんどん薪窯へと運んでいく。「窯の熱をなるべく逃さないようにしたいので」と、その動きはとても素早い。

一回分のパンが薪窯に納まった頃、苧坂さんがこちらに笑顔を向ける。パンを焼くときの素早く勢いのある感じとはまた違う、ほわっと柔らかく、とても穏やかな笑顔。不思議とその表情を見たとき、「あぁ、苧坂さんはものづくりの人だな」と思った。それから、パンを焼く作業の合間を縫うように少しずつ、これまでとこれからの話をした。

苧坂さんの“これから”を後押しした、父親の手の記憶。

高校卒業までを函館で過ごし、東京で大学生活を送った苧坂さん。「周りが就職活動を始めた頃、その流れに上手く乗れなくて。そこで、自分はどういう生き方をしたいのか改めて考えました」。自分がこれまで歩んできた道を振り返りながら、これから進んでいく道を考えていたとき、父親とのある記憶が蘇る。「高校生の頃、父親と携帯電話の契約をしにいったことがあって。そのときに書類を書いてくれた父親の手が、分厚くてごつくて、それがすごくいいなと思ったんですよね」。

陶芸家として、自らの手で作品を生み出してきた父親の手の記憶が苧坂さんの背中を押してくれた。「父親みたいな手になりたい。自分の手で何かをつくる生き方がしたい」。そうして行き着いたのが、東京にあるパン屋だった。

「人気店で、みんな忙しく働いていたんですが、どこか自由な感じというか。一人ひとりが独立して働いている感じがしました」。そんな働き方に惹かれた苧坂さんは、そのパン屋で働くことになる。自分の手で何かをつくること。そして周りに流されるのではなく、自立した働き方をすること。少しずつ、自分の“これから”を支える軸が見えていった。

薪窯づくりは10年越しの目標。最初の10年と、これからと。

東京の店での修業を経て地元の函館へ戻り、tomboloを始めたのは2010年、苧坂さんが26歳の頃のこと。苧坂さんの父親がギャラリーとして活用していた建物を改装し、ギャラリーとパン屋を半分ずつシェアする形でのスタートだった。

大三坂沿いの店舗には、父と作った小さな薪窯があった。「パン1個がやっと焼ける小さい薪窯だったんです。本格的に使うためというよりは、仕組みを知りたくて作ったようなもの」。店を始めた頃から薪窯への憧れはあったけれど、当時は「まずは店を軌道に乗せよう」という思いでいっぱいだった。パン屋として独立して日も浅く、さらには子どもが生まれたばかり。小さな薪窯は焼き上がったパンを置くディスプレイとして使い、パンづくりには電子オーブンを使った。

元町にある店の中。右の棚がディスプレイに使っていた薪窯。

東京の店で学んだ技術をもとに、自家製天然酵母と小麦・塩・水のみでつくるシンプルなパンのおいしさは徐々に広まり、店はゆっくりと軌道に乗り始める。

店を始めて1年が経った頃、苧坂さんにとってひとつの転機が訪れる。2011年に発生した東日本大震災だ。tombolo周辺でも停電などの影響を受け、「パンが焼けない」という事態を初めて経験し、「いつか電気に頼らずに、パンを焼けるようにならなくちゃ」という意識を抱くようになった。それから7年後、2018年には胆振東部地震を経験。「いつか」という思いは、より切実なものになっていく。

実際に薪窯づくりを始めたのは、2020年の夏。パンづくりの傍(かたわ)ら、父や知人の手を借りながらコツコツ作業を進めていった。やがて、世の中はコロナ禍へ。緊急事態宣言などの影響を受け、パン屋の営業ペースは緩やかに。そのタイミングで苧坂さんは、本格的に薪窯の仕上げに入る。「時間ができたことは、自分にとって良いことだったかもしれません」。こうして念願の薪窯が完成したのは、2021年3月のことだ。

これまでについて、苧坂さんはこう振り返る。「パン屋を始めて最初の10年は、店を軌道に乗せて、暮らしを安定させていくことに時間をたくさん使った。やっと薪窯も完成したし、ここをひと区切りに、これからの10年はまた次の段階に進んでいきたいなと思っています。長く続けて、より良いパンをつくりたいので」。

薪割りの音と、煙突の煙と、パン屋のある街の風景。

「薪でやろうと決めたとき、最初はもっと田舎に行くのも良いかなって考えていました。でも、薪を割る音がしたり、煙突から煙が出ていたり、そういうシーンが函館の街に残ってほしいなと。何より僕自身が街にパン屋がある風景が好きなので、やっぱりこの街でやっていこうと決めました」。

大人になることのひとつの良さはきっと、自分の生まれ育った街の風景に愛着を持てるようになることだ。かつては東京で「自分らしい生き方」を探し求めた苧坂さんも、今はこの街で地に足をつけて、苧坂さんなりの日々をゆっくりと歩んでいるように見える。

朝8時から始まったパン焼きの作業も、そろそろ終盤戦。薪窯の前でひと息つきながら、苧坂さんは呟くように言った。「薪窯って不便なんです。不便だけど、時間をかけてつくったパンをお客さんに手渡せることが、今の自分にとっては一番うれしい。こうやって朝から薪をくべて、窯をあっためて、全部スイッチひとつではできなくて。そういうことに時間を使えていることが、どうしてでしょうね。すごくうれしいんです」。

苧坂さんが焼き上がったパンを棚に並べ始めた頃、普段から店を手伝ってくれているという一人の女性がやって来て、こんな話をしてくれた。「tomboloのパン、薪窯になってから変わったの!うまくいえないけど、パンに込められているエネルギーがもう全然違う」。気持ちあふれんばかりという様子で話すその女性の言葉に、苧坂さんは「そうかなぁ」と笑顔で首をかしげている。それからほどなくして、朝の作業はひと段落。苧坂さんは「昼の配達まで、ちょっとお昼寝します」と言って、工房のそばにある自宅へと帰っていった。

「そうかなぁ」の意味と、緩やかでいることの大切さ。

苧坂さんのパン焼きを見守ったあの日からずっと、「そうかなぁ」の意味をずっと考えていた。もし自分だったら。電気から薪へという10年越しの念願を叶えて、「パンのエネルギーが変わったね」と言われたら、「あぁ良かった!」と安心するか、「本当?」と喜んでしまうと思ったからだ。

それからしばらく時間が経って、再び苧坂さんに会ったとき、思い切ってその理由を尋ねてみた。苧坂さんは「どうしてだったかな」と記憶を辿るように時間を置いて、こんな風に返してくれた。

「もちろん、喜んでもらえることはとってもうれしいです。でも僕としては、手段が変わっただけで、パンそのものの価値が変わったとは感じていないというか。電気を使っていたときも、薪を使うようになってからも、『より良いパンをつくりたい』という目的は変わっていないんです。そういう意味で、変わったけど、変わってない。だからかなぁ」。それから、「たとえば遠赤外線とか水分量とか、パン自体の細かな変化はたくさんあるんですけどね」と続けた。

その答を聞いて、「やっぱり、苧坂さんはものづくりの人だ」と改めて思う。“寡黙な職人”という雰囲気ではなく、いつも穏やかで柔らかい空気を纏っているけれど、まっすぐにものづくりを続けている人ならではの芯を感じる。

より良いパンをつくりたい、と苧坂さんは言った。より良いもの。それは、単においしさや仕上りが良いだけではなく、つくる人の気持ちも、その過程の一つひとつも良い状態が保たれてこそできるものだ。

「何ごとも無理しちゃだめだし、頑張り過ぎちゃだめなんです」。あの朝、帰り際に苧坂さんが言った言葉を折に触れて思い出す。力を抜くことは、手を抜くことではない。肩に力が入り過ぎていたら、本当の意味での「より良い」ものは生み出せない。苧坂さんがつくるパンのおいしさと、あのほわっと柔らかな笑顔が、緩やかでいることの大切さを教えてくれた。

この記事を書いた人

立田栞那

立田栞那

花のまち、東神楽町生まれ。スロウの編集とSlow Life HOKKAIDOのツアー担当。大切にしているのは、「できるだけそのまま書くこと」。パンを持って森へ行くのが休日の楽しみ。