遊木民・川口直人さんと、 木彫り熊のこと

かつて北海道土産の代名詞ともてはやされた、木彫り熊。時代が変化したいま、家業としてその系譜を継ぐにはどんな道があるのでしょう。祖母の代から続く卸売業を営みながら熊を彫る、川口直人さん。木彫り熊職人の界隈では異例の若手にあたる、川口さんと、木彫り熊のはなし。(取材時期 2021年6月)

Shop Data

木彫り屋 遊木民
電話 011-614-0535
住所 札幌市中央区北7条西19丁目-1
営業時間 11:00~18:00
定休日 木曜・不定休

URL https://yuubokumin.net

木彫り土産の問屋と作り手としての仕事

初めて川口さんの作品を見たときに率直に抱いた感想は「こういうトラッドな熊を彫る若い人がいるのか」だった。木肌がそのまま生かされた、手のひらサイズの木の熊。そもそも100年足らずの木彫り熊の歴史の中でトラッド(伝統的)という表現には語弊があるかもしれない。しかしそう思わせるほどに、川口さんの熊は、なんというかとても熊らしい熊であるように感じられたし、佇まいが「木彫り熊然」としていた。父・拓二さんと共に、木彫り製品の卸売業という北海道全体で見ても少なくなりつつある業態を引き継ぎつつ、自身も木彫り熊の作り手として活動する川口さん。祖母の代から数えて3代目にあたるわけだが、10年ほど前に父を手伝い始めてもしばらくは、本人にとって家業は「どこ吹く風」の出来事だった。しかし今は、少し違う。さまざまな心の機微に自分なりに答を出そうと試みながら、仕事との向き合い方を模索している。

空前の観光ブームがもたらした、光と影

木彫り屋「遊木民」は、札幌市内に店舗兼工房を構える木彫り製品の店だ。木彫り熊を中心に、フクロウや小人、その他動植物を模したレリーフなど、さまざまな商品を販売している。近年静かに人口を増やしつつある木彫り熊のファンの間では、「木彫り熊の楽園」と称されることもあると聞く。

始まりは60年ほど前。川口さんの祖母が始めた土産物の卸売業に端を発している。当時、昭和30年代と言えば、空前の北海道観光ブーム。旧国鉄が周遊券を発売したことなどからも観光需要が高まり、大きなリュックを背負ったカニ族と呼ばれる旅行者が登場したのもこの頃だ。その後も北海道人気は衰えず、知床をテーマにした曲の大流行などを経て、さらに北海道観光は盛り上がった。昭和40年代後半頃の話だ。伴って、土産物の需要も増加。のちに「もらって困る土産物」として不名誉にメディアに取り上げられることとなる木彫り熊も、この時代は飛ぶように売れたという。

北海道各地にいる職人と弟子たちが、1個数百円程度からの安い金額で大量に彫り、それを問屋がまとめて仕入れ、観光地の土産物店が大量に販売する。一つひとつ手彫りで作られる製品であることを思えば今では信じられないようなビジネスモデルが、その頃はあたりまえに成り立っていた。何百、何千という単位で、作れば作っただけ売れる、そんな時代。当然、商機を見出し新規参入する業者が増加するであろうことは想像に難くない。結果大量生産の安価で質の良くない木彫り熊が出回ることに。元々は農民美術やアイヌ伝統の木工技術の流れから生まれたと言われる木彫り熊も、価格競争に巻き込まれる中でその個性や価値を失い、産業は衰退の一途を辿ることとなった。

川口さんの父・拓二さんが有限会社拓商を立ち上げて独立したのは、1986年。家業を引き継ぐ形で、主に木彫り製品の卸売業を続けてきた。子どもの頃から仕事を手伝う中で、職人たちとの交流から大いに刺激を受け、この世界へ。自身も作り手として木彫りを手がける傍ら、問屋として観光ブームの全盛から、少しずつ斜陽となるその過程を間近で目にしてきた。

意図せず飛び込んだ「おっちゃんたち」の世界

川口さんが拓商に加わることとなったのは、2010年頃。実はそれまでの川口さんは、家業とは縁遠い世界に身を置いていた。中学・高校と音楽に打ち込み、専門科のある大学へ進学。奏者としての将来を考え、トランペットに打ち込んできた。しかし、卒業後に希望する進路に進むことは簡単ではなく、失意と共にいったん帰郷することとなってしまった。そこで「ちょっと(父の)手伝いに入った」ことが、結果、川口さんの木彫り熊職人への第一歩となる。

仕入れた製品を車に積み、各地の取引先の元を訪ねる。阿寒湖畔や、支笏湖周辺などの民芸品店。取引先といってもクライアントというよりは、近所のおっちゃんという感じ。「『おい、にーちゃん。今日はどんなの持ってきたのさ?』って、勝手に車を開けて乗り込んでくるような関係(笑)」と川口さん。良くも悪くも「サラリーマン的なノリが一切ない世界」が、いい具合に気楽で、性に合っていたのだという。「取り繕ったりせずに感情を出せるから。怒られることもあるし、理不尽なことを持ちかけられてこちらが怒ることもある」。互いに怒ることができる間柄。「無用な配慮」のない世界は、思いのほか居心地のいい場所だった。

木彫り熊の文化をなくすのはもったいない

卸売業の仕事を手伝ううち、川口さんの心境に少しずつ変化が見え始める。というのも、観光地の土産物店など、取引先に行くと必ず言われるある台詞があったから。「こんな大変な時期に、よく戻ってきたね」。木彫り熊ブームが去り、観光土産のあり方も変化した。土産物メーカーは木彫り部門を撤退させ、海外の工場なども閉鎖。大量に彫って安価で売るビジネスモデルは成り立ちようもなく、とはいえ、かつての土産物がいきなり美術品として価値を持つはずもない。さらにはそんな低迷期が長く続いたおかげで、木彫りの職人たちの高齢化が進み、生産力は低下する一方だ。どうしたって、現代に合う新たなやり方を考えなくてはならない。「じゃあどうするんだよって。誰かが何とかしてくれる、じゃなくて、自分たちで何か行動に移しているのかって、思っちゃったんですよね」と、川口さん。「せっかくこの業界に携わることになったんだから、何とかしたいという思いもあって」。

もしかすると、周囲のネガティブな反応に対する反骨精神もあったかもしれない。ここで途絶えさせてしまうのはもったいない。いつしかそう思うようになっていた。子どもの頃から親の仕事を手伝って育ち、憧れを持つようになり、同じような職に就く。それが世間一般で言う予定調和的な展開なのだとすれば、川口さんの場合は、事情がまったく異なっている。思い返してみれば、小学生の頃は秘密基地のような父の仕事場が楽しくてよく出入りしていたし、薪割りの手伝いや、おもちゃの釣り竿を作るために、木にも触れていた。しかし、職業としての家業は、社会人になるまではほとんど携わってこなかった世界。木彫り屋としての新たな道を探しながら、川口さんは頭を悩ませることとなる。

自分にできること、技術と表現の可能性

自身で木彫りを始めたことについては「苦しまぎれですよ」と苦笑いの川口さん。木彫り屋としての事業継続を考えたときに、仕入れて売るかたちでは限界があるように思えた。自分で彫れば、仕入れの費用がかからないし、価格設定も自由。何より「ずーっといろいろ考えたけど、自分が今やれることが、結局これしかなかった」。初めは工房にあった木工旋盤を使い、食器などを作っていた。しかしあるとき拓二さんが作業中に大怪我をして入院。客に納品するための熊モチーフの雑貨を、川口さんが代理で制作することとなった。「それは見本通りに作るものだったけれど、その後、自分なりに熊を彫ってみたんです。そしたらちゃんと、熊に見えた」。作品として熊を彫ることが、少し先の未来として見えた瞬間だったかもしれない。家業の継続と、木彫り熊文化の継続。ふたつを良いカタチで両立させることができる可能性。

それからは独学で熊彫りの技術研鑽。長年交流のある職人も多いけれど、「教わるとかは、ない。見て学ぶしか」。熊の彫り方は職人によって千差万別だそうで、これと決まったやり方はどこにもないという。「まずは誰もがイメージする“木彫り熊”を彫れるようになること」。それは、四つん這いで立つ、通称「這い熊」。ポーズとして広く浸透しているが制作するのは非常に難しい這い熊を、高い品質で作れるようになることが、川口さんにとっての第一条件だった。「這い熊はもちろん、いろいろな種類の熊を作れるようになって、その上で自分なりの表現をしないと、意味がない」。そして、「これを“作品”にしていかないと」とも。この言葉を聞き、最初に作品を見たときに感じた「トラッドな熊」の印象を思い出した。川口さんは、意図してトラッドな熊を作り上げようとしていた。連綿と作り続けられてきたものを次世代として作る。問屋としての仕事で、高度な技術力と表現力を持つ職人の作品を無数に目にしてきたからこそ、自身が作るものに対しても見る目はとても厳しい。

型にはまって型から出る、悩みながら彫る

「伝えたいことやこだわりがあっても、それを伝えられるだけの技術がなかったらどうにもできない。だから、技術を磨きたいんです」。茶道や武道の世界には、「守・破・離」という考え方がある。型を守って、型を破る。まず型が何であるかを知らなければ、そこから離れて自分なりの表現を見つけることはできないのだ。同様に川口さんも、自身の作品に対して自分なりの表現を付与できるだけの、技術と説得力を身に付けたいと考えている。「彫りながら、自分には何ができるかなーって、ずっと考えています」。

川口さんが彫る熊は、もうすでにとても「熊らしい熊」に見える。けれど本人にとっては、まだまだ。「これくらい、誰でもできますよ」とバッサリ。しかし本人がどう言おうと、形も質もさまざまな木彫り熊を大量に目にしてきた経験と、日常的に職人と交流する環境が彼に及ぼしている影響はやはり無視できない。骨格や肉づき、毛並みなど、熊を熊たらしめている要素を捉える感覚が卓越しているのだ。どこをどう彫れば、木材が熊に変わるのか。本格的に熊を彫り始めてからは2年ほどと、職人歴としては決して長くないが、どうすればより熊らしくなるのかを捉え、彫る行動として落とし込む能力は、素人目に見ても圧巻だ。まずは型にはまってから、型から出る。そのやり方は、洞察力に優れた川口さんにとても合っているように思われた。

「熊でやりたいこと(伝えたいこと)があるんです。それを今言葉でうまく表現できないですし、いつできるようになるのかも、全然わかりませんけど」。家業を、文化を。守り続けるためには変わらなければならない。頭を悩ませながら進む先で見つけるであろう新しい木彫り熊の地平は、どんな風景を見せてくれるだろうか。

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.68
「ここから始める、まちづくり」

まちづくりに携わる各地のキーマンを訪ね、軽やかで熱い活動とその先の地域の未来について訊ねた1冊です。

この記事を書いた人

片山静香

片山静香

雑誌『northern style スロウ』編集長。帯広生まれの釧路育ち。陶磁器が好きで、道内はもとより全国の窯元も訪ねています。趣味は白樺樹皮細工と、木彫りの熊を彫ること。1児の母。