北山カルルスさんが描く、揺らぎのある線

その絵を初めて目にしたのはいつのことだったでしょう。一度目にしたときからずっと、心の片隅で明るい存在感を放っていた北山カルルスさんの絵。デフォルメされてはいるけれど、すぐに「あの風景だ」とモチーフが浮かんでくるような描き方。ビビッドなのに、柔らかい。シンプルでいて、ユーモアがある。そんな魅力の理由を知りたくて一風変わったペンネームを持つ、絵描きを訪ねました。カルルスさんが描く「揺らぎのある線」について、作品とそれにまつわる言葉たちと共に紹介します。(取材時期 2023年2月)

Shop Data

北山カルルス
Instagram:@kitayama_karurusu

絵描きの北山カルルスさんとの出会い

遠くから見ても目を引くようなビビッドな色合い。デフォルメされてはいるけれど、すぐに「あの風景だ」とモチーフが浮かんでくるような描き方。初めて見たのはいつだっただろう、どこだっただろう。出合いの記憶はすっかり曖昧なものになってしまった。ただ一度目にしたときからずっと、カルルスさんの描く絵が大好きだ。

北山カルルスさん。斜里町在住の絵描きで、現在は絵本作家を目指して活動中。カルルスというのはもちろんペンネームで、由来は北海道の「登別カルルス温泉」。子どもの頃に見た入浴剤のパッケージに書いてあったその文字並びとイラストが強く心に残っていたことから来ている。絵描きになったのは数年前のことで、それまでは小学校の先生として長く働いていた。素顔は秘密。といっても、身近な人たちには素性をオープンにしていて、時々は子どもたち向けのワークショップを開催したり、町内の人たちにも「カルルス先生」と呼ばれて親しまれていたりと、まったくミステリアスな感じではない。話し方も、笑い方も、柔らかい感じのする人。もし素顔を知らない状態で、「この絵を描いたのは次のうち誰でしょう」というクイズを出されたとしても正解できた自信がある。それくらい、絵と人柄が醸し出す空気感がしっくり馴染む人だ。

教員から絵の道へ。カルルスさんの分岐点

移住や転職などの大きな変化を、「人生の分岐点」と呼ぶとしたら。それは、何か特別な出来事をきっかけにグイッと方向転換する場合と、自分でも気づかないくらい緩やかに方向が変わっていく場合の二通りがあるように思う。カルルスさんの場合はおそらく後者だ。特別なきっかけや運命的な出会いがあったわけではなく、心の中に表れた小さな点を一つずつ拾い集めていたら、自然と絵描きに繋がった。カルルスさんが絵描きになるまでの道のりを辿れば、緩やかな曲線を描いているように見える。

「ゆくトラ くるトラ」
農家さんの一日は繰り返し。何往復しているのかわからなくなる。
丸一日、時には日をまたいで。終わったと思ったら次の畑へ。


大阪で生まれ育ったカルルスさん。「昔から目立つことや人前で話すことが苦手で。それを克服したいなと思ったのが先生になろうと思ったきっかけでした」。高校卒業後は北海道にある教育大学へ進学し、そのまま小学校教員の道へ。最初の1年は根室で。その後は神戸で10年、札幌で5年の月日を小学校教員として過ごした。ちなみに専門は国語と体育。子どもの頃は絵を描くのが好きだったものの、「まさか自分が絵の道に進むなんて思っていなかった」と本人が言うくらい、絵描きへの進路変更は思いがけない出来事だった。

カルルスさんが〝苦手意識〟から教員を志したという話について、ひとつ思うことがある。自分の将来を考えるとき、特に若ければ若いほど、好きなことや興味のあることから将来を考える人のほうがおそらく多い。自分を振り返ってみてもそうだった。でも大人になった今思うのは、苦手なことから考えてみるのもひとつの方法ではないかということ。「長所と短所は紙一重」とはよく聞くし、苦手だからこそ工夫を凝らして夢中になれたり、簡単にできないからこそ長く続いたり、そうして続けているうちに自分の新しい一面を発見できたりするような気がするのだ。

「赤灯台」
2月、ウトロにもぎっちり接岸した流氷。漁船たちはすで
に陸に上げられ春を待つ。働きづめだった灯台は流氷との
お別れまでそこでお休み。


カルルスさんの教員人生は15年以上も続いた。「長く続けられたのは、やっぱり楽しさがあったからだと思います。もちろん大変なことも多かったですが、子どもたちと向き合う日々をとても大事に思っていました」。

一方で真剣に仕事に取り組むほど、もどかしさを感じるようにもなっていった。「今の社会は大人だけじゃなく、子どもたちも忙しい。もっと好きなようにやらせてあげられたらな。もっと放課後にのびのび過ごせる時間があったらな。子どもたちとも、もっと良いコミュニケーションがとれたらな」。カルルスさんの心に、いくつものモヤモヤが生まれていた。

そんな心の靄を晴らす術として、カルルスさんは「表現」に関心を持ち始める。中でも心惹かれたのが絵本。子どもたちと関わる中で絵本に触れる機会も多かったし、当時は好きなイラストレーターもいたりと、少しずつ絵との距離が近くなっていた。

「絵と文章を合わせたら、自分の気持ちをもっと上手く表現できるんじゃないか」。そのとき神戸に暮らしていたカルルスさんは、神戸のギャラリーで開かれている絵本教室に通ってみることを決める。純粋にワクワクしたし、子どもたちと向き合う上でも「まずは自分がやりたいことをやってみる」のは良いきっかけになるように思えた。

「揺らぎのある線」を見つけるまでと、これから

絵は、カルルスさんの心を晴らしてくれた。「僕が描くような絵って簡単そうに見えると思うんですが、実は意外と時間がかかるんです。下書きをして、線を決めて、色を塗り重ねて。ひと晩寝かせた後で『やっぱり違うな』と思ったらやり直して。なかなか完成しない。でも、そういうところも含めて性に合っていました」。神戸を離れ、札幌に移ってからも仕事を続けながら絵を描き続けた。最初は趣味のような存在だったけれど、次第にもっと腰を据えて描きたいという気持ちが強くなっていった。

教員生活に区切りを付けて、斜里へやって来たのは2020年のこと。同じく札幌で教員をしていた妻のゆきのさんと一緒だった。絵を描きたいカルルスさんと、「自分で小さな商売をしてみたい」と考えていたゆきのさん。斜里に来たのは、2人の希望に叶うような仕事の話があったからだが、結果的にその仕事と2人の縁はつながらなかった。「そこで札幌に戻る道もあったかもしれないけど…。地域の人たちとのつながりもできていたし、今はここで自分たちのやりたいことをやってみようと」、2人はそのまま斜里で暮らすことを選択。カルルスさんは、地元の農家の仕事を手伝いながら絵を続け、ゆきのさんは移動販売のおにぎり屋を営み始めた。

「オホーツク式土器」
モヨロ貝塚は網走にある。オホーツク文化と呼ばれ、狩猟
で生きた古代の人々がいた。彼らは濤沸湖(とうふつこ)に
やってくる水鳥を描いた。文武両道の民である。

アパートの一画にあるカルルスさんの仕事部屋で、絵を描く様子を見せてもらった。秋の朝を描いた『おはよう』という絵。描かれるのは、斜里岳と、そのふもとに広がる畑を走るトラクター。暖かい日差しの下で行われる収穫作業のひとコマが描かれている。斜里で暮らし、農家の仕事を手伝うことで、描きたいものが見つかることが多い。山だったり、海だったり、動物だったり。大切にしているのは、単に対象を描き写すのではなく、カルルスさんなりのユーモアを加えて描くこと。物語が浮かんでくるような表情や言葉を添えること。「絵と文章が両方あるからこそ、できる表現」を探し求めて、カルルスさんは今日も机に向かっている。

絵本作家を目指そうと決めたとき、「好きな絵本作家の絵を描き写してみた」というカルルスさん。「簡単そうに見えても自分にはどうしても描けない線があったり、反対に自分のクセがわかったり。徐々に自分にとっての心地良い線がわかっていきました」。カルルスさんにとっての心地良い線とは、「揺らぎのある線」。直線を描くときも、完璧にまっすぐな線を引くのではなく、手描きならではの「揺らぎ」を活かす。色味がはっきりしている分、線に揺らぎがあることで絵の印象が温かく和らぐ。それがカルルスさんの絵だ。

「学校だけじゃないなって思うんです」。教員の仕事を離れてからも、かつての教え子が原画展に足を運んでくれたり、その親から子どもの将来について相談されたり。地域のイベントで子どもたちに絵を教えたりと、子どもたちと関わる機会はなくなっていない。「目指すところは絵本作家なので、今はまだまだ道半ばですけど。『やりたいことに進んでいく勇気』みたいなものを伝えていけたら良いなって」。控えめな口調でカルルスさんは言った。

その道は、ピンとまっすぐではないかもしれない。時々は迷ったり、立ち止まったり、やり直したりしながら。いつものとおり、揺らぎのある線を描くように、カルルスさんは進む。

スロウ日和編集部

北山カルルスさんのポストカードは、直営店SLOWlivingでも販売しています。※入荷不定期

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.74
「薪ストーブと、手づくりの冬」

北国の冬といえば、薪ストーブ。「料理」を軸に薪ストーブの活用方法や魅力を訪ねて。

この記事を書いた人

アバター画像

立田栞那

花のまち、東神楽町生まれ。スロウの編集とSlow Life HOKKAIDOのツアー担当。大切にしているのは、「できるだけそのまま書くこと」。パンを持って森へ行くのが休日の楽しみ。