美瑛での暮らしの先に 拓真館で描く夢

娘の季乃ちゃんは学校のため不在。散歩に同行した。

今回お邪魔したのは、アートディレクター・フォトグラファーとして活動する前田景さんと、妻で料理家のよしこさん、そして娘の季乃(きの)ちゃんが暮らす家です。彼らは美瑛町にある写真館「拓真館」をリニューアルするために、2020年の春に東京から移住しました。なぜ、2人は美瑛に?実は夫の前田景さんは、拓真館を立ち上げた写真家・前田真三氏の孫なんです。(取材時期 2020年10月)

Shop Data

拓真館
住所 上川郡美瑛町字拓進
電話番号 0166-92-3355
営業時間 夏季 9:00~17:00/冬季 10:00~16:00
休館日 なし(冬季休業1月末~4月上旬)
URL http://www.takushinkan.shop(拓真館)
https://maedakei.jp/ (前田景さん)
http://s-s-a-w.com/(たかはしよしこさん)

どんな時も尊い、それぞれの「今」を残したい

「取材相手、私たちでいいんですか? まだ、こっちに住んで数ヵ月しか経ってないのに」。

席に着きながらそう言って、「ね」と視線を交わす前田夫妻。
「いいんです! この連載では、住んだ年月に優劣はないと思っているので」と、考えるより前に返していた。そのとき、スロウ日和でやりたかったことの輪郭が、よりはっきりしたような気がした。

たとえ北海道に住んで1ヵ月の人だろうと、50年が経つ人だろうと。北海道に対して抱く思いは、年月に関わらず等しく尊いはずだ。
月日が経って、あらゆることに新鮮さは見出せなくなったとしても。頬を撫でる風に、「ここに住んでいてよかった」と、ふと思う日もあるかもしれない。
一方で、越してきたばかりの人の目に映る北海道も、大切な何かを教えてくれるものになる。北海道で暮らす人たちの、かけがえのない「今」を、この連載で残していきたい。思いも経歴もさまざまな人たちのストーリーから、北海道の足元の豊かさをもっと掘り下げてみたい。

楽しい記憶が刻まれた場所・拓真館で

景さんは東京生まれ東京育ちで、これまで美瑛に暮らしたことはなかった。よしこさんの生まれは、四国の徳島県。東京で出会った2人は結婚。式場探しをすることになった。

ヨーロッパの映画に出てくるような、カジュアルな式を森のなかで挙げることが夢だったよしこさん。「東京にそんないい場所はないし、縁もゆかりもない郊外で挙げるくらいなら」。
景さんの発案で、拓真館の敷地内(屋外)にある白樺回廊で結婚式を挙げることに。白樺に囲まれた回廊の真ん中にあるスペースに机と椅子を置き、手づくりのウェディングパーティーが催された。人生で一番、幸せな日。そのころの2人は、自分たちが将来ここに住むことになるなどかけらたりとも考えてはいなかったのだった。

白樺回廊。周囲をぐるりと歩けるようになっている。
パッケージにもなっているおかっぱヘアはたかはしよしこさんのトレードマーク。

結婚後、料理家「たかはしよしこ」のパートナーとして、景さんが商品のデザインを共に手がけることになった。そして生まれた看板商品は、異国の味を想像して作ったという「エジプト塩」などの調味料シリーズ。その販売も兼ねて、よしこさんは以前より親しくしていた洞爺湖町のベーカリー、ラムヤートに足繫く通うことになる。

湖畔沿いに暮らす気持ちのいい人々。穏やかな時間が流れる、北海道の自然。この出会いが、よしこさんが心の底に抱いていた夢をほんのりと呼び起こす。それは、「いつかは田舎に住みたい」というもの。洞爺での時間は、「自分も田舎でこんな暮らしをしてみたい」という思いを芽生えさせるきっかけになったという。

海外旅行でも、首都圏や観光地から離れたカントリーサイドを旅することが多かったという2人。

移住を決定するために、必要なもの

その後、東日本大震災が発生。首都圏に住む友人たちのなかには、住まいを地方に移す人も多かった。自分たちのこれからの暮らしも、当然見つめなおすことに。そんな思いと裏腹に、東京での仕事は軌道に乗り始める。2012年、よしこさんは縁あって東京の西小山にS/S/A/Wというレストランを構えた。

やがて娘の季乃ちゃんが生まれ、翌年には景さんがデザイナーとして独立。2人ともバリバリ働いて、子育てをした。日々はめまぐるしいスピードで過ぎていく。「なんかわからないけど、常に忙しかった」。今振り返ると、濃密な東京での暮らし。あの日々があったから、私たちはここにいる。2人の顔つきから、そんなメッセージが伝わってきた。

これまでたくさんの人の移住ストーリーを聞いてきて、なんとなくわかってきたことがある。

移住を本気で実行に移すには、考えるための時間と、底から沸いてくる強い思い、タイミング。このすべて、あるいはどれか一つの大きなきっかけが必要な気がする。この夫妻に、このあとどれかが訪れるのだろう。楽しみにしながら、話の続きに耳を傾けた。

別れが気づかせてくれたこと

心のどこかに北海道への憧れを抱きつつも、東京には仕事があり、店がある。こんな日々はしばらく続くのだろうと思っていた矢先に、悲しい出来事と出会いがやってくる。

2人と同じように、全力で仕事に打ち込んでいたよしこさんのお姉さんが、病に倒れてしまう。実家の母も東京に駆けつけて、前田家で看病しながら同居する暮らしが始まった。病床の姉を前に、仕事と暮らしのバランスの大切さについて、よしこさんは我が身を振り返ることになった。一番の資本は、どうあがいても健康な身体なのだという真実。「元気になったら、美瑛で暮らそう、空気がきれいなところでゆっくり静養しようねって」。よしこさんは弱っていく姉に、明るく声をかけ続けた。

いつだって人生は、描いた通りに進んでいってはくれない。よしこさんのお姉さんは、美瑛行きの日を待たずして他界してしまう。

話を聞いている間、窓から見える景色は目まぐるしく変わった。晴れていたかと思えば、急に曇って雨が降った。ゴロゴロと雷の音がして、強い風が吹くと明るい陽が差した。木漏れ日がゆっくり揺れて部屋に影を落とし、色づいた葉が一斉に舞い落ちる。

部屋から窓の外を見ながら、「秋が終わる―」とよしこさんがひとりごとのように呟いた。景さんがお茶を淹れてくれている間、葉が風にこすれる音を2人で聞いた。

ルート・ブリュックのサマーハウスとの出会い

同時期、フィンランドのアーティスト「ルート・ブリュック」の取材でラップランド地方を訪れていた景さん。ルートが過去に使っていたという、水道も電気もないサマーハウスへ案内してもらう。そこは、廃屋同然の状態から手づくりで仕上げた、それ自体が作品のような住まいだった。世界的なアーティストであるルートも、サマーハウスで創作に没頭する時間が、「生きるために」必要だったことを知る。

ラップランド地方は北極圏に位置し、夏が短く冬が長い。四季の移り変わりがはっきりしているため、自然観察に適している。同じ場所を、違う時間帯で事細かに観察し記録する。そこからインスピレーションを得ることが、ルートの創作活動に活かされていたという。

その話を聞いて、景さんの頭に浮かんだのは美瑛という土地だった。丘が多く山に囲まれているため、すぐに天候が移り変わる。それらを観察し、自分の仕事に活かすには最高の土地かもしれない。移り変わりが早いことが、美瑛の特徴であり、面白いところ。祖父が本に記していた言葉が、眼前の景色と重なる。

ルート・ブリュックの取材で目にしたそれらに、景さんは静かな衝撃を受けていた。「美瑛に住もう」。日本に帰ってきた景さんの意思は、もう揺るがなかった。

心の隅から消えない、大切な場所 拓真館

美瑛行きを決めた理由として、欠かせないのは拓真館の存在だ。数年前、拓真館の30周年パーティーを手伝うため美瑛を訪れた2人。10年前に結婚式を開いたときには見えなかった“綻び”が、どうしても目についたそうだ。前田真三氏を知る世代が少なくなったことで、減りゆく来館者。建物の老朽化。2人に流れていたのと同じだけの時間が、拓真館にも流れていたことに気がついた。

「いつかは自分が着手しなければ、このまま存続させることはできない。手を加えることができるのは、血を継いでいる自分しかいない」。

よしこさんの姉との別れやルートのサマーハウスとの出会い。そして、ずっと頭の隅にあった「拓真館をなんとかしなければ」という思い。いくつかのきっかけが重なったとき、景さんは今がその時なのだと、美瑛に行くことを決めたのだった。

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リビングの陽だまり。移住を機に、撮影用として残っていた祖父の一軒家をリノベーションした。

波乱に満ちた、北海道暮らしのスタート

季乃ちゃんが小学校に上がることを考えると、引っ越すのは2020年の春が最良のタイミング。気がかりだったよしこさんの店のスタッフも、新しいスタートを温かく応援してくれていた。さらによしこさんは、拓真館の敷地内でレストランを始める計画をしていた。長年心に思い描いてきた、自然の中で季節の食事を提供する夢が、ついにこの手に。

「さぁ」というタイミングで、思いもよらないことが起きる。新型コロナウイルスの影響で、計画が足止めされてしまったのだ。暮らしもそうだし、東京の店も、拓真館もそう。すべてのことが不安でいっぱいだった。時期を待ち、4月末に静かに移住。「のんびりスタートになったことは、逆によかったのかも」と、2人はこの夏を振り返る。



地に足のついた暮らしから始まること

拓真館のリニューアルをするためやってきた2人。けれど今は、目の前の暮らしを存分に味わい、楽しむことに力を注いでいる。夏にはラベンダー畑の隣のスペースを耕し、野菜づくりを始めた。

よしこさんは自分で畑を耕すようになって、朝採った野菜のおいしさに感動したという。これまで買うしかなかったものを、自分で作れるようになった喜び。山菜やきのこなど、食べ物がそこら中タダで手に入ることが、新鮮でうれしくてたまらない。顔を輝かせて、そのすばらしさを語ってくれた。

「今後、自分で育てた野菜をレストランで提供するんですか?」と聞くと、「それはやらない」と、きっぱり晴れやかに言った。一年やってみて、性に合わないことに気づいたそう。そして、「自分で育てた野菜のおいしさと、プロが作る野菜のおいしさは別物」ということにも。

それでも、自分で育て、収穫し、味わう豊かな体験を通して、新たなアイデアが湧いた。「ゆくゆく、ここでレストランを開くことになったら、この畑で朝採れた野菜を使ったり、収穫体験をしたりできる場所にしたいの」。

拓真館で店をやることが決まった当初、もっと大規模なレストランを始める予定だった。けれど、景さんと何度も本音で話し合い、見えてきた形は違った。よしこさんがやりたいことはシンプルに、目の前の人に季節のおいしい料理を作り、手渡すこと。「手に届く範囲でいい」。そして白羽の矢が立ったのは、白樺回廊の隅に佇む、小屋のような建物だった。2021年、よしこさんのメッセージが詰まった空間が生まれることが、何より楽しみだ。

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白樺回廊の真ん中の敷地にて。

祖父の姿に手を伸ばし、思いを巡らせながら

ぐるりと散策できる白樺回廊の中心には、庭が広がっている。この庭をなんとかしなければと思っていた景さんは、東川町の「北の住まい設計社」の渡邊社長に相談を持ち掛けた。プロに直接見てもらったところ、拍子抜けする答えが返ってきた。

「外来の植物もあまり生えていないし、このままでいいんじゃない?むしろ草刈りもしない方がいいよ」。

この言葉には、驚きつつも納得する部分が大きかったという。今夏、拓真館の自然を観察して気づいたこと。雑草が生えるところ、生えないところの違い。どんぐりの実が落ちて、芽が出るところの特徴。土に触れ、見て感じていたのは、手を入れなくとも成り立っている自然のバランスの妙だった。

庭に手を入れるとき、雑草を抜くとき、景さんは考える。「おじいさんが、ここでやりたかったことは何だろう」。いつでも祖父の心に触れながら取り組もうとする、景さんの姿があった。

「この場所を遠慮なく思いきって変えていけるのは、血のつながった自分しかいない」。使命であることを強調するように、景さんは何度もそう言った。けれどもしかしたら、手を加えるのに必要なものは、血のつながりだけではないかもしれない。話を聞いていて、そんな思いが湧いてくる。何より大切なのは、祖父を思う気持ちではないだろうか。

「このままではいけない」と語る景さんの言葉の背後には、少しずつ朽ちていく写真館の体裁を守ることだけではなく、祖父の魂でもある拓真館が消えていくのは寂しいという、景さん自身の個人的な感情が含まれているように感じたのだ。

そうして祖父の夢に思いを巡らせながら景さんが作り上げる拓真館は、やはり景さんを通した新しい姿になっていくだろう。よしこさんのレストランとともに、これからが楽しみでたまらない。

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2人だからできることを、焦らずゆっくり探す日々

移住すると、住むことで見えてくる「いろいろ」がある。特に北海道では憧れが先行して、イメージと異なる現実にぶつかり帰ってしまう人も多い。けれど、前田家は違う。

「知れば知るほど、ここが好きになる!」と、いつもの輝く笑顔でよしこさんは言う。それは季乃ちゃんも景さんも同じ。景さんのインスタグラムの投稿からも、暮らしを楽しんでいる様子があふれんばかりに伝わってくる。夏が短いこと、天気が変わりやすいこと。ただそこにある現実を前向きに、良い方に捉えられることは、より良い移住―ひいては良い人生を送る一つの力だと思う。どんなことにも「いいね」と言える強さがほしい。

拓真館のことについても、すぐ側に住み実情を知ることで、「前向きに思えることもたくさんあった」と景さん。ずっと守ってくれていた人々がいたこと。いま支えてくれているファンの存在。そのうえで、「自分たちにできることは何だろう」と考える2人。

「拓真館」という名前は、拓進というここの地名と、写真の「真」にちなんで名づけられたという。まずはこの地にしっかり根を下ろし、暮らしを楽しむことが最初の一歩。2人は、焦らずじっくりとこれからの道を探っているところだ。


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四季を追うというより、追われている暮らし

「暮らしを楽しむ」といえば、今季の前田家一大ブームとなっているのが「きのこ」。実は、よしこさんが世界で一番好きな食べ物はきのこだ。娘の名前も、最初は「季乃子」にしようとしたくらい(両親から止められ、「子」は取ることにした)。

秋がくると、美瑛町の山地では地面からきのこが大量に顔を出した。食べられると知ってからは、毎日がパラダイス。種類を調べ、食べられるものは食べ、余ったものは乾燥させて保存。生え続けるきのこに追われるという、願ってもない夢の”きのこライフ”を満喫している。

昼食に、4種のきのこを炒めたパスタときのこのポタージュをいただいた。シンプルな調理なのに身体の奥底から元気が湧いてくる、滋味深い味。種類によって異なるきのこの食感が、最高においしい。

よしこさんの店「S/S/A/W」は、四季の頭文字からきている。刻々と変わりゆく季節を追いかけ、旬の料理を提供したいという思いがあってのこと。けれど今となっては「むしろ季節に追われている」と笑う。

自然に囲まれたこの場所では、一日とて同じ日はない。毎日が自然からのメッセージであふれている。それらを肌で感じたよしこさんの料理への向き合い方もまた、日々変わっていくことだろう。


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運命と偶然が重なりあって、人生は進む

もともと持って生まれた、家族や血縁関係。思いもよらずに訪れる、出会いやきっかけ。そういうものが重なりあって、人生は進んでいく。逆らえない時間のなか、どうせ進むなら2人のように、楽しく前向きに生きていきたい。

話を聞いたのは、きのこの収穫も終わりかけという秋の暮れだった。これから前田家にとって、初めての長い冬がくる。私は”移住者の先輩”という顔をして、「冬が一番いいですよ」と伝えた。前田家ならきっと、北海道の冬を好きになるだろう。

移住して最初の一年は特別なものだと思う。この一年で出会った感動は、困難に直面した時に支えてくれる大切な思い出になるはずだ。

そして2人がここで見つけた感動を、新しい拓真館のメッセージとしてたくさんの人に伝えていってほしい。


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前編はコチラ

突然ですがとっておき情報です!

拓真館の敷地にある畑で野菜を作りたいファーマーを募集します!



「畑は、本当に野菜づくりが好きな人に任せたい!」とよしこさん。ここで菜園づくりをやってみませんか?きっとおいしい料理になって返ってくることでしょう。

  • 作った野菜は、料理家たかはしよしこの料理に使用させていただきます。
  • レストランで使用する分以外は、自分で販売していただいて構いません。
  • 敷地内で採れたて野菜を販売することも思案中!
    問い合わせは、info@s-s-a-w.com まで。

この記事を書いた人

スロウ日和編集部

スロウ日和編集部

好みも、趣味もそれぞれの編集部メンバー。共通しているのは、北海道が大好きだという思いです。北海道中を走り回って見つけた、とっておきの寄り道情報をおすそ分けしていきます。