十勝で暮らしていると、お皿にどっさりと積まれた大判焼きに出合うことがよくあります。十勝産小豆たっぷりの「あん」は食べると力が湧いてくるし、とろりとした「チーズ」は甘い生地との相性が良く、やみつきになってしまいます。ちょっとした集まりに、農作業の合間に、学校帰りに、合格祝いに。たかまんは今や十勝の人々の日常に、欠かせない存在となっている「たかまん」。多いときは1日に2千個以上の大判焼きが売れるという店の謎に迫りました。
Shop Data
高橋まんじゅう屋
住所 帯広市東1条南5丁目
電話番号 0155-23-1421
営業時間 9:00~18:00
定休日 水曜(祝日の場合翌日)
オリジナルの焼印 合格、勝、祝、寿、近所にある帯広柏葉高校の校章の5種類。予約をすると押してくれる。
おすすめの時間帯 開店直後の9時台と夕方以降は空いていることも。お昼とおやつの時間帯は混んでいる。
10個20個はあたりまえ。1日2千個以上を焼くことも
午前10時頃、高橋まんじゅう屋に電話がかかってきた。「70個の大判焼きを注文したい。12時に取りに行く」。店主の高橋道明さんと妻の美哉(みや)さんは動じない。平日の昼間に70個の大判焼きの注文が入ることは、珍しいことではないのだ。しかし冷静に考えてみると、70個という数字は相当なものだ。どうやら十勝の人々はこの店の大判焼きがとてつもなく好きらしい。何故だろう? 前々からその謎を解き明かしたいと考えていた。
愛称は「たかまん」。商品は大判焼き、むしパン、肉まん、ソフトクリーム、かき氷。客が求める組み合わせは多様だが、ほとんどの客が大判焼きを購入する。2個や3個の注文もあるが、しばしば10個20個単位で注文が入るのが特徴。1時間に100個以上の大判焼きが売れていくのだ。だから道明さんは開店中ほとんどの時間、焼台の前に立っている。
大判焼きの生地は少し甘い。中には、生地に合わせた十勝産小豆のあん、塩けのきいたチーズ。売り上げる個数はあんもチーズも同じくらいで、多くの客が両方を買っていく。多いときは1日2千個以上。それだけの数の大判焼きは誰の手に渡っているのだろうか。老人会の会合、ママどうしの集まり、農家の休憩時間…。学校祭のバザーでも定番商品となっていて、数百個単位で注文が入るという。確かに、机の上に山のように積まれた大判焼きを何度か見たことがある。その光景は十勝の人々にとってあたりまえのことなのだ。
開店時間は9時。午前中の客足は落ち着いているが、10時をまわると駐車場に次々と車が入ってきた。車社会の十勝で、歩いて買いに来る人はあまりいない。よちよち歩きの娘の手を引く母親、年老いた母親の手を引く娘。作業着を着た若い男性、老夫婦。さまざまな客が訪れる。接客の担当は妻の美哉さんだ。注文を聞いてから包むまでは数分。2~3個の注文なら数十秒だ。そんな短いやり取りの中で世間話が聞こえてくる。この日は前日の地元新聞に、高橋まんじゅう屋が十勝出身の将棋女流名人の対局に「勝」と書かれた大判焼きを提供するという記事が載ったことが話題に上がった。「うちは99%が常連さんだから」。取材をした約2時間、初めて来たであろう客は1人いたかどうかだった。
初代は冷菓店。町内ごとに1軒は同じような店があった
高橋まんじゅう屋を創業したのは道明さんの祖父、幸造(こうぞう)さんと祖母、ヒサノさん。幸造さんは四国生まれで、子どもの頃に清水町に入植したという。頭が良く、算数の先生をやっていたそう。太平洋戦争中は中国に疎開していたが、戦後、引き揚げてから清水町でせんべい屋を始めている。
1954年に帯広へ移転。今の店の場所を選んだのは、たまたま空いていたから。人の行き来が多い、神社と駅の中間。「結果的にいい場所だったと思う」と道明さんは言う。当初は「高橋冷菓店」という屋号で、メインはアイスキャンデー。4月にオープンして、夏は順調に乗り切ったけれど、冷え込みが厳しく、暖房も充分ではない冬に苦境に陥った。そこで幸造さんは大判焼きを始めようと決意した。ちなみに大判焼きは珍しいものではなく、同様の店が各町内に必ず1軒はあったとか。幸造さんがすごいのは、切り替えが早いところ。道明さんは祖父について「1年目の冬に大判焼きを始める、アイデアのある人だった」と話す。
全国的にも珍しかったチーズの大判焼きで繁盛店に
アイスキャンデーを製造していたのは、道明さんが中学に入る頃までだ。そのときには道明さんの父、2代目の修さんに代変わりしていた。設備が整っていない時代に繊細なアイスキャンデー作りを続けることが難しくなり、修さんは大判焼き専門にシフトした。当時は大判まんじゅうと呼ばれていたため、屋号を「高橋まんじゅう屋」に変更。肉まん、あんまん、むしパンといった新商品が続々登場した。
2代目の修さんは職人肌の男。妻・睦子さんと長年2人3脚で店を営んできた。「(父は)味覚が鋭い人だった」と道明さんは言う。今では定番商品となったチーズの大判焼きを開発したのも、修さんである。牛乳の生産量が増え、大量廃棄が社会問題になっていた約30年前、なるべく地場産品を商品に取り入れたいという思いがあり、十勝のチーズを入れた大判焼きを作ることになった。当時、チョコやクリームの入った大判焼きはあったが、塩けのきいたチーズ味は全国でも珍しかった。これが大ヒットし、店は段々と忙しくなる。
修さんが製造のスペシャリストなら、睦子さんは販売のスペシャリストだ。実家が清水町で商売を営んでいたこともあり、睦子さんは商売人として天性の力を持っていた。中学を卒業した後、芽室町の商店にて住み込みで働いてその力を磨いた。23歳で結婚し、高橋まんじゅう屋へ。「人の顔、名前、関係がしっかり頭に入っている」と道明さん。3代目に譲った後も、時おり店に立っていた。ちゃきちゃきと働く睦子さんの姿は、多くの客の印象に残っている。
3代目の道明さんが店に入ったのは、東京の大学を卒業して十勝管内の会社に就職し、7年が経った頃。繁盛して手が回らなくなった店を手伝うことになった。「やるしかないんだ」。そんな状況下で、道明さんは家族の仕事を見よう見まねで覚えていった。「最初は1列焼くのも、1個を焼くのも大変だった」。長い間、修さんと2人体制で焼いていて、後を継いだと言えるようになったのは2009年頃のことである。
1時間に作れるのは200個。製造コントロールが鍵
たかまんの大判焼きは、客が思っている以上に作るのに時間がかかる。油を引いてから焼き上がるまで、約30分。1時間にできるのは最大でも200個。だが、あまりにも提供スピードが早いから、客の多くは10分程度で出来上がると思っているかもしれない。
たかまんの特徴は、10個、20個の注文が頻繁にあるところ。それでいて作り置きは最小限である。「同業他社が辞めていってしまうのは、作る量のコントロールが難しいからかもしれない」と道明さん。たとえば前の客が予約せずに数十個を注文してストックがなくなると、次の客は30分待たなければならない。そのような事態にならないよう、たかまんでは予約することを推奨してきた。経験を積み重ねて、数十個の注文が入っても動じず、臨機応変に対応する力を得たのだ。数ある大判焼き屋が閉業する中で、たかまんが生き残ったのは、その対応力にも要因があるだろう。
現在、製造を担当しているのは道明さんの弟、幸司さん。高校を卒業して調理師学校に通い、30年ほど前に店に入った。あんや生地を作るなどの作業を一手に引き受けている。個数のコントロールが難しい大判焼き。「温度や湿度に関わらず、安定して生産できるのは弟の“読み”があるから」と道明さん。製造は幸司さん、焼くのは道明さん、販売は美哉さん。3人のコンビネーションによって、今のたかまんは成り立っているのだ
美哉さんの仕事力は、努力の賜物
道明さんと美哉さんは知人の紹介で知り合った。幼稚園教諭だった美哉さんは高橋家に嫁いだことで、畑違いの仕事をすることになる。当時は道明さんも店に入ったばかりで、2人ともあたふたしていたとか。「入ったときは大判焼き1個80円で、やっと暗算できるようになったと思ったら、3ヵ月後に90円になった。100円ときて今は120円。最初の頃は夢にまで出てきましたね」。覚え方は「掛け算の九九と一緒」という美哉さん。120×2、3、4…10、15、20と暗記していくとか。難しくなるのが、他の商品が混ざったとき。美哉さんは注文された商品を包みながら複唱する。「あんとチーズとむしパン3個ずつの9個とソフトクリーム2本でお会計は1480円」。暗算をして、声に出してたしかめ算をしているような…。どう考えてもレジや計算機より早い。
また、ソフトクリームの巻きの美しさにも見惚れる。通常の渦巻きとは違った波打つような規則正しさ。これを見ると「たかまんに来たなあ」と感じる。美哉さんは店に入って1年間、巻き方の修業をし続けたという。代金はもらわずに「ねえ、ソフトクリーム食べていかない? 練習したいの」と学生に声をかけて、技術を磨いていった。
客の望みを叶えつつ、譲れないものはある
「合格」「勝」「祝」「寿」…。オリジナルの焼印は、道明さんの代から対応している。きっかけは出身でもある帯広柏葉高校のPTAから、校章の焼印が入った大判焼きを頼まれたこと。「チーズの焼印があるのだから、できるでしょう」。今では毎年受験シーズンに、校章と「合格」の大判焼きを帯広柏葉高校に納品している。「合格」の大判焼きを買うのは高校や大学受験の合格者だけではない。自動車免許の試験に受かった人、そば打ち名人の試験に合格した人も買っていくという。「合格、勝、祝、寿があれば、大体のことは大丈夫でしょう?」。客の願いをなるべく叶えようと努めるのも、たかまんが繁盛する理由の一つだ。
だが、譲れないものもある。「原価設定を高くしているので、父からは『値上げはギリギリまで我慢すること』とよく言われました。少し余ったからといって、値下げしたこともありません」と道明さん。今も、薄利多売が主流の世界。500個の注文でも単価を安くすることはないという。また、生地は24時間以内に使い切るようにしている。生卵を使っているために、長期間置いておくことはできないからだ。2018年に発生した北海道胆振東部地震の時は、電気がストップして店は営業できず、すべての生地を廃棄した。「1日くらい大丈夫だと思うかもしれないけれど、嫌でしょう」。取り引き先を変えないのもポリシー。「向こうから辞めたい、変えてほしいと言われない限り、同じ業者から仕入れています」。高橋まんじゅう屋側の都合で取り引き先を変えたことは一度もない。その理由は「昔、売上が厳しいときに助けてもらったと聞いていますから」。
両親が大きくしてくれた店を守り続けていく
2019年5月、帯広市の最高気温が38・8度を記録した。外出を控えるように報道され、たかまんもさすがに暇になるのかと思いきや、「なんでこんなに出るのだろう」と高橋夫妻が不思議に思うほど、大判焼きが売れた。朝一番でたかまんを買って、釧路に涼みに行くという人もいた。自宅、スーパー、デパートはエアコンで寒いくらい。そんなとき、十勝の人々は大判焼きが食べたくなるのだという。普段から焼台の熱で暑い店内は、灼熱状態になった。ふと温度計を見てみると、50度を超えていたらしい。「数字を見たら、嫌になっちゃうね」と美哉さんは笑う。
初代が大判焼きを始めて、2代目がチーズの大判焼きなどヒットを生み出し、3代目は客の思いを尊重してきた。現在は、仕込みは弟の幸司さん、焼くのは道明さん、接客は美哉さんという3人体制で切り盛りしている。「父さんと母さんが一生懸命大きくしてくれた店。守っていきたい」。取材の4日後、2代目の修さんが84歳で息を引き取った。謙虚な3代目は、自分たちなりに「たかまん」を守り続けていく。
(取材時期 2019年7月25日)