まるで、映画の中のよう。十勝が誇る薪窯パン屋〈toi〉

十勝は音更(おとふけ)町に、まるで映画に出てくるようなパン屋があります。十勝産のBIO小麦を使用し、自家製粉で、薪窯。パン屋の理想を詰め込んだような店、〈toi〉です。すべてのこだわりは、「色のない、自然なパンを目指す」ため。開業のきっかけは、音更町の小麦農家「中川農場」の中川泰一さんとの出会いでした。「この小麦を扱える自分でいれているかどうか」、常に自問自答を重ねる中西さん。パン屋と小麦農家が、今年の実り具合やパンの味について直接意見を交わせる環境は、北海道ならではの豊かさと言えるでしょう。それぞれへの思いを尋ねました。

Shop Data

パンとコンフィチュールの店 toi
住所 音更町字上然別北6線23-4
電話番号 0155-32-9177
営業時間 夏季10:00~17:00 冬季10:00~16:00
定休日 月・火曜
URL https://www.instagram.com/toi
編集部おすすめのツウな食べ方 黒いパンを肴にワイン
店主の出身地 大阪

特別な小麦に出会ったことで、運命は動きだした

2019年1月。寒い十勝の冬に、うれしいニュースが舞い込んできた。

「音更町に、新しいパン屋ができたらしい」。

噂を聞いたその週末、早速車を走らせた。音更町から鹿追町へと続く道道135号線の上然別(かみしかりべつ)から、少し丘を登ったところ。周囲に店舗も建物もない雪原の中に、パン屋「toi」はあった。

扉を開けると、小麦の香りにふわっと包まれた。冬の光が差し込む明るい店内の棚には、佇まいからして美しいパン。関西生まれの店主、中西宙生さんに話を聞いてみると、「近くに小麦農家さんがいてはって、そこの小麦に出合ったからここでパン屋を開いたんです」と言う。まるで、映画のよう。いつか話を聞ける日が来ることを、ずっと心待ちにしていた。

中西さんが職業としてパン職人を選んだのは、「これしかなかったから」というシンプルな理由からだった。スタジオカメラマンをはじめとして、これまでに業種を問わずいくつもの職を経験してきた。どれも嫌いなわけではなかったけれど、身体を壊すなどして長くは続かなかった。

けれどパン屋だけは違った。朝も早く、体力的な負担は大きい。身体の問題だけではないどこかで、「ムリがなかったということでしょうね」と振り返る。目の前に残った、パン屋という道。その道を、まっすぐ進み始めた中西さんがいた。

大阪のパン屋で修業していたある日、「ベッカライビオブロード」のパンと出合った。噛めば噛むほどうまい。「なんでこんなにおいしいんやろ」。聞けば、有機小麦を使っているとのこと。以来有機小麦への関心を高めた中西さんだった。

ルーツは、フランス郊外にあるベーカリー

大阪のパン屋を辞め、自分の店を開くための土地探しを始めた。その間、研修としてヨーロッパのベーカリーを巡っていた中西さん。中でも、広い土地に薪窯を構え、暮らしのためにパンを焼くフランス郊外のベーカリーが印象的だった。

そこで目にしたのは、田舎でのびのびと働くベーカリーの家族。フランスの人たちは、文化として何千年も前から、あたりまえに食卓にパンがある暮らしを営んできた。だから、街から遠くてもパンを買いに来る習慣がある。その光景が、中西さんにあることを決意させた。

「一生の職業と決めたら、田舎でこんな風に生きたい」。

パン作りのノウハウの研修というよりは、それを含めた「生き方」を教えてもらったような気がした。いずれ街で店を開くことになったとしても、この光景を忘れることはできないだろう。だったらいっそのこと腹を据え、田舎でパン屋を開きたい。

BIO小麦と出会って、ここでやることを決めた

帰国後、気になっていた有機小麦を知るために、小麦の一大産地である、北海道は十勝地方の音更(おとふけ)町にやって来た。訪れたのは、芽室町の有機栽培作物の問屋として知られるアグリシステムという企業。その企業が主催する、生産者を巡るツアーに参加した。そのツアーで出会ったのが、有機小麦農家、中川農場の中川泰一さんだった。

「衝撃を受けたんです。小麦にも、畑の土にも、人にも」。何が衝撃だったのか。尋ねると、うーんと唸る中西さん。「うまく言えないから、中川さんの近くでパンを焼いてるんです」。

toiのパンは、中川さんの小麦への言葉にならない思いを表したパン。そうとも言えるのかもしれない。

中央の男性が、中川農場の中川泰一さん。

アグリシステムを訪問した翌日のこと。「風土火水」という直営のベーカリーを開店する計画を聞き、そのスタッフとして誘われた中西さん。勉強にもなると思い、妻の貴子さんと一緒に関西から十勝へ越して来た。

風土火水に2年勤めた頃、いよいよ自分の店のことを考え始めた中西さん。十勝へ来ることを決めたときは、当然いつか関西へ帰ってパン屋をやるつもりだった。一度は神戸で土地を探すも、薪窯が使えるような広い土地は見つからなかった。それに、いろいろ見てきた今となっては、「わざわざ小麦の産地である十勝を出る必要はない」と考えるようになった。ここへの愛着も日々増していたことから、十勝で独立することを決める。

今の土地を選んだのは、「残ったのがここしかなかったから」。職業選択のときと同じように、またしても残ったものを受け容れる中西さんだった。今手元にあるものを素直に享受して、活かす。その考え方は、小麦農家の中川さんから教わった部分が多いという。

全国のパン屋から注文が入る、中川農場のBIO小麦

農家に生まれた中川さん。家業に縛られず今後の進路を考えるため、専門学校卒業後一度は都会に出た。これからのことを考える中で芽生えたのは、「人の役に立ちたい」という漠然とした思い。自分の家には、農機も土地もある。「衣食住の“食”でなら、自分も貢献できるかもしれない」。そう気づき、Uターンして家業を継いだ。

「選んでないんです、人生。置かれた立場の中で、どう攻めて、一生をやるか」。中川さんにとってはそれだけが、「自分で、人生を良いものにするために必要なこと」だった。

中川さんは、「攻める農家」だ。手がける主な作物は、有機農産物の小麦という意味の「BIO(ビオ)小麦」。農薬を使わない環境保全型農業で、一般的な小麦から古代種やライ麦などの珍しいものまで、幅広く育てている。父親に教わったやり方を、徐々に有機栽培に移行させたのは約15年前のこと。当時、世間では健康志向の食べ物のニーズがわずかずつではあるが、高まってきていた。中川さんはその道に活路を見出し、前例のないチャレンジに挑み始めた。

BIO小麦を生産する「難しさ」はひと言で言い表せないほどたくさんある。化学農薬を使えず、自然の代替え農薬がないこと。さらに有機認証を得るためには同じ圃場で3年以上継続することが必要なため、小麦だけでなく、ほかの作物での有機栽培技術が必要になること。有機農産物を取り扱う農協がないため、生産から販売まで、すべて生産者が行う必要があること。

何度も失敗を重ねながら、それでも諦めずに農家を続けてきた。「今やっと、やってよかったなぁと思えるんです」と中川さん。心が折れそうなとき、いつも支えになってくれたのは、BIO小麦を使ってくれる全国のパン屋の存在だった。

toiの中西さんもそのパン屋の1人だ。中川さんが作る小麦に心底惚れ込んでいた中西さん。どのように作られているのか知るために、何度も畑に通って仕事を手伝った。

「手伝いながら、中川さんが何年もやり続けてきたことを想像するんです」。他の人が、やろうとしてもできないこと。信念を持って続けてきた中川さんのこれまで。自分も畑に入り小麦に触れることで、見えてくるもの、感じられるものがあった。

「この小麦を使える自分でいられているかどうか。いつも自問しています」。

「色がない」という色を持つパン

toiのパンは、小麦が主役だ。曰く、「小麦のおいしさをそのままパンという形にするだけ」。小麦粉も、なるべく小麦そのままの味がいい。だから中西さんは、石臼による自家製粉という手法をとっている。

小麦のミネラルや栄養分が詰まっているといわれる、表皮や胚乳。それらは機械による製粉では失われてしまう。さらに農薬の影響を受けやすいため敬遠される部分だが、BIO小麦の場合はそれらを心配する必要がない。そして、自家製粉を選ぶ理由がもう一つ。「挽いて空気に触れたときから酸化が始まるため、できるだけ直前に製粉したい」。主役は大事に、丁寧に立てる。中西さんの名脇役ぶりが伝わってくる。

中西さんが作りたいのは、“色がないパン”。つまり、「自分らしさ」をどこまでも削ぎ落としたパンだ。「食べ物は、食べられたらそれでいいんです。“色”は必要ない」。それが、中西さんの考え。

酵母はブドウ種やホップを使った天然酵母。パンは手づくりの薪窯で焼く。いずれも、季節や気温、湿度などに左右され、自分でコントロールできるものではない。言ってしまえば、自分の思い通りに“できない”ものなのだ。だからパンの仕上がりも、客観的に捉えることができる。「どういう味になるのかも、パン次第。どう仕上がったとしても、『こうなったか』という感想に落ち着きます」。

そんなtoiのパンは、とはいえやはりtoiらしさが出ているパンだった。「色がない」ところにこそ、中西さんの色はしっかりと出ている。

まっすぐに小麦を感じられるその味は、決してわかりやすいおいしさとは言い難い。舌で感じた表面的な味を表す「おいしい」という言葉では、抜け落ちる何かがあるような気がする。中西さんがおいしさよりも大切にしているもの。それは、「身体に馴染む味」であること。

小麦由来の、身体に馴染む自然な味

たとえひと口目がとってもおいしくても、途中で飽きて食べ進められないものもある。「おいしさよりも、身体にどう馴染むか」。中西さんのものさしは、塩味や甘味、雑味やうま味などのバランスによる「おいしさ」ではない。味覚野によるバランスだけでは表現できない味のように感じられる。toiのパンを食べて覚えるのは、「負荷なく身体にスッと溶けていくような感覚」だ。別の言葉で、「自然」な味とも言える。

toiのパンの主役が小麦ならば、つまるところ中川さんの小麦が主役ということ。中川さんがBIO小麦を通して伝えたいことは、小麦が育つ環境を取り巻くものすべてだ。水や土、風や太陽。ある程度放っておいても、農薬を使わなくても、しっかり実ってくれる自然の懐の深さ。

だからtoiのパンはこんなにも「自然」なのだと、自然の味はこんなにも豊かなのだと、小麦とパンがつながるイメージが、はっきりと浮かんだ。

十勝の食材を使った総菜パンも日替わりで並ぶ。

パン屋の理想を詰め込んだ、ここにしかない店

「こんなパン屋、日本でここだけですよ」と、中川さんが言う。郊外にあって、自家製粉で、薪窯で。「そんな、パン屋の理想を全部詰め込んだような店はなかなかない。やろうと思ってもできることではない」。

「やろうと思ってもできることではない」。どこかで聞いたこのセリフは、中西さんが中川さんのことを語るときと同じだった。流れに身を任せながら、置かれた状況で最大限にチャレンジしていく小麦農家とパン屋。両者がいて、初めて生み出されるパンがある。

ちなみに、toiで使う小麦のすべてが、中川農場の小麦というわけではない。不作の場合を考えると、一つの農家からのみ仕入れることはリスクにもなるからだ。「できるだけ分散させたほうがいいよ」と中川さん。小麦の生産者が店に来て、パンのことや今年の小麦の実り具合をお互いに直接伝えられる距離の近さ。改めて、なんと豊かな土地だろうと思わされる。

今後、店の周囲に広がる敷地を活かして、フルーツを育ててコンフィチュールの具材にしたいと、これからの構想を話してくれた中西さん。「ここだからできることがたくさんある」。夢は膨らむばかりだ。

店を構えてから、もうすぐ1年。今後のことを考えると、まだまだ不安になることもあるという。けれど、中西さんのすぐ近くに、同じような道の先を歩む中川さんがいる。

「やってよかったなぁ」。中川さんの言葉が、中西さんの姿に重なる。15年後にそう語る、中西さんのとびきりの笑顔が頭に浮かんだ。

(取材時期 2019年10月25日)

中西宙生さん

「スロウ日和をみた」で、近くのおすすめの店を教えます♪

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.61
「パンは語る」

道産小麦もあたりまえになりつつある現在。BIO小麦や薪窯、酵母。それぞれのこだわりを追い求める、北海道のパン。

この記事を書いた人

石田まき

石田まき

スロウ日和編集長。ライター兼カメラマン。初めて訪れた北海道で、空の広さに一目ぼれ。言葉と写真の両方でこの地の豊かさを伝えるため、九州から移住。ホタテが大好物。