都会で身につけた感覚をうまくアレンジして。〈Cafe&Life akao〉

センスの良さが光る池田町のカフェ、アカオ。店主の赤松好子さんは、池田生まれの池田育ち。古民家を自ら改装して店をオープンさせました。「好きなものがブレないから、寄せ集めでも統一感があるのかも」。赤松さんの「好き」を軸に、たくさんの人々の思いが繋がり、集まり、この場所が形成されています。
(取材時期 2018年)

Shop Data

Cafe&Life akao
住所 池田町字利別本町15-21
電話番号 050-7555-8868
営業時間 11:00~19:00(17:00閉店の場合あり)※冬季は異なります
定休日 火曜、第1月曜、不定休

Instagram @akaoo

akaoが十勝の人々の心を掴むまで。

気さくで話しやすく、明るいお姉さん。Cafe&Life akaoの赤松好子さんの第一印象である。だが取材を重ねたり、周りの人々の声を拾うと、どうやらいろいろな面を持っていることがわかった。たとえば池田町で店舗として使う中古住宅を、現金一括で購入した過去がある。赤松さんは「担保を持っていたかった」と言うが、イマドキの30代そこそこの女性が数百万の資金をサッと差し出せるだろうか。本気度の高さが伺える。青春時代を東京や札幌で過ごし、カフェ業界の流行や動向を現場で感じていた赤松さん。なぜ30代で故郷の池田町へUターンしたのか。そしてわずか3年の間に、どのようにしてアカオは十勝の人々の心を掴むカフェのひとつになれたのか。生まれ育った土地の感性を理解してこの土地に合わせて、都会で身に付けた感覚をアレンジする力を持っているから。私は、そう認識している。

赤松さんの実家は小麦やビート、豆類を生産する農家だった。現在は離農したが、幼い頃は豆積みの作業を手伝ったこともあるという。池田高校を卒業するまでは町内で過ごした赤松さん。周りには帯広へ遊びに行く同級生もいたが、赤松さんは「池田で間に合っていました」と当時を振り返る。町内にはオリジナルのファストフード店、たい焼き屋、商店も多く、学校帰りの寄り道スポットが数多くあったのだ。十勝で生まれ育ち、進学や就職を機に札幌や東京に出ていく若者の中には、「田舎暮らしが嫌」と呆れて旅立つ者も多い。赤松さんは池田町が嫌だったわけではないという。だが好きでもなく、無関心といったところだった。

手先が器用で裁縫が好きだった赤松さんは、札幌の服飾専門学校に進学。以降はファッション関係の道を突き進むこととなる。「専門学校時代はぶっ飛んでいましたね。ピアスを何個も開けて、髪はオレンジやピンクのときもありました(笑)」。今の赤松さんを知っている身としてはとても信じられない。家族や友人は、帰省するたびに変わる赤松さんの容貌に驚いたという。それでも学業はいたって順調。自らデザインした作品で賞を受賞したこともあるくらいだった。専門学校卒業後は東京へ。「自分のブランドを持つ」という夢を叶えるため、3年ほどパタンナー(デザイナーの画をもとに型紙を作成する仕事)としてフリーで働いた。しかし当時は2000年代初頭。東京ではすでにユニクロやGAPなどファストファッションの波が起きていた。「私は量産品を作りたいのではない。このままでは先は長くない」。時代の流れを察知し、新たな道を選ぶことにする。

東京ではフリーのとき、副業としてカフェでアルバイトをしていた赤松さん。場所は中目黒にあるニューヨークスタイルのオープンカフェ。そこで初めてベーグルとエスプレッソに出合い、魅了されていったという。「スタイリッシュで新鮮。全部カッコいい」。気がつくと7年もの間、カフェで夢中で働いた。東京から離れたのは2009年のこと。「変わらない東京の情景に、魅力を感じなくなった。お腹いっぱいになってしまった」のだそうだ。学生時代を過ごした札幌へ戻り、経験を活かせるカフェでの仕事を探した。「せっかく働くのなら、好きな店で働きたい」と考えていた赤松さん。狙いを定めたのは、札幌の有名店。なんとか働けないかと打診していたとき、偶然にもそのカフェの新店オープンの話が舞い込んできた。「一からお店を作っていくことを経験させてもらい、ものすごく大変でしたが、得たものは多かったです」。店を作っていく過程で、言葉では「なんとも説明のつかない感覚」を養うことができた。この経験は池田でアカオを開店する際に大いに役立つこととなる。

池田町へUターンして自分の店を開くと決めたのは、東京から札幌へ移った頃。明確なきっかけはないが、「東京で長く働いて、田舎っていいな、のんびりしているな。ふるさとがあるっていいな」と思うようになったから。札幌で経験を積みながら、資金をコツコツと貯めて2013年に戻って来た。

客層はさまざま。おばあちゃん7人組や、友人の両親が2人で来てくれたり、孫とおばあちゃんがソフトクリームを食べに来ることも。

「町のことをよく知ってから起業するのが良い」という助言をもとに、最初の1年は池田町観光協会で働くことに。赤松さんは町の宣伝をしたり、特産品の販売をしているうちに、町内外に知り合いや横のつながりを得ることができたという。そして目的である開業準備は、観光協会の任期が終わってからスタート。しかし誤算だったのは、当時は受けられる補助金がひとつもなかったこと。行政や商工会に相談したところ、担当する職員は奔走してくれたが、結果的に何ひとつ助成はなかった。赤松さんの例もあってか、現在は池田町産業活性化補助金(最大100万円)など新規開業向けの制度ができている。「後に続く後輩たちが開業しやすくなってほしい」と赤松さん。そのためにも実績づくりに余念がない。

アカオは外から見るとカフェというより、家だ。国道に近いが、周囲に店はほとんどない。玄関前の看板やソフトクリームの置物で店であることがやっとわかるくらい。一見客がふらりと訪れる場所ではないだろう。ただし中へ一歩入ると、おしゃれで居心地の良いカフェの空間が広がる。冒頭で述べたように、現金一括で中古住宅を購入した赤松さん。見つけた瞬間から、店のイメージはどんどん形になっていったという。リノベーションは実家の隣にある江川建設と二人三脚で行った。「江川さんはわざとボロボロの梁を『使えるか、コレ?』と持ってきてくれたりしましたね」。お隣さんの愛娘のビッグプロジェクトに江川さんも張り切ってくれたのだろう。改装を始めてから半年後にはオープンを迎えることができた。札幌での開業の経験が活きた日々だった。

オープン当初は札幌で学んだコーヒーと、独学の焼き菓子だけ。母の協力を得てランチを提供するようになってから売り上げが安定し始めた。ランチメニューの条件は3つ。「オペレーションがしやすい。ロスが少ない。そして、お母さんが知っているもの」。パスタやオムライス、ハンバーグなどが中心だ。それでも1人+お手伝い1人で店を回すのは簡単ではない。仕込みは夜にまとめて行うが、24時過ぎまでかかることもあるという。定休日は月に5回。友人とご飯を食べたり、お酒を飲みに行ったり。温泉に入るなど、体力回復に努めることも忘れない。

4年目を迎えて店のリズムを掴んできた赤松さん。今、新たなチャレンジを始めている。町内の同世代の農家、飲食店、商業者などそれぞれの分野で活躍する7名が集まって「十勝いけだ屋」という株式会社を立ち上げたのだ。

「この人たちとなら楽しくできるだろうと思った」と話す赤松さん。自慢のコーヒーを野菜と一緒に室(冬期保存庫)で寝かせて、ジャガイモや玉ねぎ、にんにく、山わさびと共にギフト商品として開発。池田町のふるさと納税の返礼品にもなっている。赤松さんのチームでの役割は明確。SNSやインターネット、雑誌の情報を伝えたり、センスを活かしたアイデアを提供することだ。「赤松ならきっといい感じにしてくれる」。彼女のセンスとやり切る力に信頼を抱き、頼ってくる人は少なくない。Uターンからわずか5年。“外から人を呼べるカフェ”を続ける赤松さんは、池田の大きな戦力だ。

この記事の掲載号

北海道十勝・移住の本 りくらす vol.4

自分らしい生き方、より良い子育て環境を求めて、あるいは家族や仕事の都合で。北海道への移住を選択した人を訪ねる「りくらす」。4冊目となった今号では、十勝に移住を果たした人たちの物語を紹介します。

この記事を書いた人

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猿渡亜美

剣山がきれいに見える十勝の山奥で、牛と猫とキツネと一緒に育ちました。やると決めたらグングン進んでいくタイプ。明治以降の歴史や伝統に心を揺さぶられ続けています。