生きて、創造する世界に立ち帰りたいと願う。〈画家 由良真一さん〉

展覧会が中止になるなど、画家にとっても過酷なコロナ禍にあって、クラウドファンディングを活用して画集を出版するという挑戦。「負けてたまるか!」むき出しになった魂の叫び。絵画、文章(言葉)、写真に秘められた力からもらえた生きる意欲を感じられる画集と出合いました。(取材時期 2021年)

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由良真一 アトリエ
住所 池田町字青山21-1
Webサイト https://shinichiyura.jimdofree.com

本ならではの表現世界に、時を忘れて。

10数年前、スロウ本誌(21号)に登場していただいた画家の由良真一さんが画集を出した。今年5月のことだ。コロナ禍で盛んに行われるようになってきたクラウド・ファンディングを活用しての出版。印刷は当社でさせていただいた。 「どんな画集になるんだろう?」長い間出版に関わってきた身としては当然のことだが、由良さんの画集に興味を持って遠巻きに見ていた。2日間にわたって印刷に立ち合われた由良夫妻とは、在宅勤務の身ではあったが、かろうじて挨拶を交わすことができた。しかし、中身についてはまったく知らないまま。

由良さんの画集(2021年5月出版)。

6月が近づく頃、由良さんから家に送られてきた画集を手にする。表紙から裏表紙へ、息もつかず、一気に読みきった(絵に目を凝らし、写真に見入り、文章にしみじみと目を通した)。そこには由良さんの絵ならではの、絵からこぼれ落ちる光、透明感のある豊かな色彩があふれていた。油絵ならではの肉感的な奥行きに一段と勢いが増していて、身体の内側がザワザワとうごめくのを感じながら、密度濃い時間を過ごすことができた。直に絵を見るのとはまた違った感動をもらえるのが、画集なのかもしれない。

由良真一さんという画家について、新たな発見がいくつもあった。文章と共に配置されているスナップ写真がスゴイ。誤解を恐れず言うなら、飛び抜けてウマイ。被写体の切り取り方がとりわけ決まっていて、しかも、どれもカッコイイ。被写体との間合いに確立された哲学を感じ取ることができる。成熟した大人が撮り溜めてきたプロ並みの写真がそこにはあった。 そこで、フト気づく。「写真を撮っているのは、久子さんなのでは?」気づくのが遅すぎるのだが、由良さんの絵に大きく関わってきているのがパートナーであり、妻でもある久子さんの写真なのではないだろうか? 

久子さんが撮る写真、由良さんが描く絵。ふたりの感性は長い間、刺激し合ってきた。

取材をさせていただくことにし、出版を記念しての絵画展に顔を出す。由良さんが椅子に腰を下ろすのが待ちきれない思いで、写真のことを切り出してみる。「スナップ写真は久子が撮りました。心強いパートナーです」。由良さんが話し始める。滋賀県大津市生まれ、熱海で育った久子さんの実家は名古屋で写真館を営んでいた。兄は美大へ進み、久子さんは東京で車のメーカーや外資系の広告代理店でマネジメント等の仕事をこなしてきたが、血は争えない。幼い時期に見つめ、刺激を受けた写真の世界に今も生かされている久子さんという女性がいる。

1979年、カリフォルニアのコミュニティカレッジでふたりは出会った。その後、由良さんはオークランドの美大に、久子さんはオハイオの大学に進学する。1984年、足寄町の山間に見つけた離農跡地を住まいとして、ふたりは画家生活をスタートさせた。由良さんは戸外でイーゼルを立て自然と向き合い、光を描く。その傍らで、久子さんは大地に座り、本を読んだり、草花の写真を撮ったりと自然に浸る時間を過ごす。アトリエでは久子さんをモデルにキャンバスに筆を走らせる。 あくまでも想像に過ぎないが、由良さんがシカゴで描いた人物の群像画、その構図や表情、降り注ぎ放射する光の様子などは、久子さんの写真のそれとどこかで交わり合い、影響し合ってきたのではないだろうか。絵から刺激を受ける久子さん、モデルから刺激を受ける由良さん。境界線はあるのか、ないのか。それほどにも強く影響し合いながら、ここまで歩いてきたふたりなのかもしれない。

「群像の動きをリアルに表現したいから。特に子どもの表情、動きを表現するときなどに、久子さんの写真を頼りにしてます」。初対面の人物、子どもの笑顔を引き出すのが自然で上手。「赤の他人なのに、かっこよく写っている」。久子さんの人間力、写真力を味方に付けながら、険しい絵の世界をここまで歩いてきた由良さんがいるのだ。

元は馬小屋だった腰折れ屋根の建物が由良さんのギャラリー。1階部分土間に敷かれた煉瓦、新たに手を入れた2階の床など、すべて自分たちの手で美しく、整えられている。光のまわり方が心地良い空間だ。

画家は絵を描くことで感性を磨く。感性が生み出す言葉にも命が宿る。

もうひとつの発見。気づいたこと。それは画家だから紡げる言葉の世界が、確かに存在することだ。自分が過去に描いた絵を見ているうちに、絵を描いていた時の光景、情景がクッキリと浮かんでくると話してくれた由良さん。対象にありったけの感性を注ぎながら、類い希なる集中力を使って絵を描いているとき、由良さんという画家の内側、脳内で起きていることが少し理解できるような気がしてくる。

人は目の前に広がる世界を言葉だけで理解しているのではない。五感、つまり感性こそが世界の理解に欠かせない。感性こそが、目の前に広がる時空への入り口。人は集中力を継続しきることで、潜在的な能力を引き出せるようになり、結果として、尽きることのない五感の力を活用できる。由良さんという画家が絵を描くときに、五感をフルに引き出し、働かせているからこそ、絵に一度注ぎ込んだエネルギーのようなものが、時を経て、映像となって、由良さんの元に環流してくるのだろう。画家としての言葉を紡げるのは、由良さんが常に画家として存在しているから。

「言葉に命が宿る」という言い回しがあるが、由良さんは言葉に命を吹き込む以前、絵に命を吹き込みながら創作活動を続けてきた。エネルギーが回りまわって、いきいきとした言葉となってほとばしる。画集の中で言葉として表現している世界には、画家の魂が見え隠れする。選び抜かれ、痛々しいほど研ぎ澄まされた言葉も共に、時空を駆け巡る。  あの農民画家、坂本直行さんの画集を手に取り、彼の文章を読んで、「自分も画集を出さなければ」と衝き動かされたのは、絵を描きながら、言葉の感性を磨いてきたから。「普段は無読書」。本をほとんど読まないという由良さんが、直行さんの言葉から深い啓示を受けた。画家が画家からの言葉を受け止めたのだ。 

3本の道、3つの世界の源はひとつ。それぞれに放たれる力はそこから。

由良さんの画集を通して見えてくるのは、3本の道だ。ひとつは透明感と軽やかな色彩あふれる絵。子どもや女性が噴水のしぶきを浴びながら、夏の日差しの中で無邪気に戯れているような。一見、ふんわりとした印象派を思わせる絵。

もうひとつ、何げない自然の中に身を置き、まるで自然と格闘するかのように、対象である自然に潜む生々しさ、生(性)の叫びを表現しているもの。今回の画集の中では、十勝、オンネトーなどで描いた絵がそれに当たる。川が流れ、滝となり、樹木は生長し、枝葉を広げ、時の流れの中で崩れ落ちるように枯れ果て、音を立てながら川の流れにドサリと倒れ込む。風が吹き、雨が降り、雪が積もっていく中で。そんな自然を前に、生の歓びを噛みしめたり、命の残酷さに心震わせたり、自然の驚異の前にひれ伏し、ひたすら耐え抜いたり。人の命も、命ある自然も、優しいだけの存在ではない。あるときは叫び、あるときは呪い、あるときは懇願する。狂おしく、猛々しいほどの命をどうすれば表現できるか。油絵ならではのテカリ、ぬめり、厚み。それらを駆使しながら、色を重ねていく。

由良さんはさらに抽象画に挑んでいく。3本目の道。色と形、縦横無尽にほとばしり、駆け巡る線と面。勢い、静けさ、歓び、哀しみ、怒り、笑い。ありったけの感性、感情が刺激される、目の前の抽象画。そこに潜む力。わしづかみにされた感情は、絵を前にして為す術もないままむき出しになり、中空にさらされていく。

これまであまり目にできなかった自然に向き合い、描いた絵。感情や意志がうごめき、どこか肉感的でもある。

由良さんは久子さんと出会えた。宇宙の計らいには素直に従うのみ。

3つの世界はすべて、由良さんの裡に同居していて、切り離すことのできない世界。始めてしまったものは、最後まで見届けるしかないことを知っている人は、どこまでも生き続けられる人でもある。一歩進んだ先の世界を見ることに、命をかけられる人は、生きることを宇宙から祝福されている人だ。

ひとりで歩いていくとしたら、あまりに険し過ぎる道。だから、由良さんは久子さんと出会えたのだ。授かったと言っても過言ではないだろう。由良さんは「ぼくを選んだのも、趣味が良いから…」と言っては、目を細めて悪戯っ子のように笑うけれど、ほんとうのところ、その通りなのだろう。「ふたりは同志だね」。親しい友人からはそんな風にも言われるらしいが、異論のあろうはずはない。端からふたりを見ていても、「カッコイイ生き方だな」と思う。背筋を伸ばしてスックと立ったふたりの姿。お互いに水をやり、愛情を注ぎ合って、ここまで歩いてきたんだなと、自然に思えるのだ。寄り添える世界を持つことで、より逞しく、より激しく、時に優しく生きることができる。

ギャラリー、アトリエ、住まいのある空間は樹木や建物によって外部から守られ、隠れ家のようでもある。

今回の画集は、「2015年のシカゴ以降」の由良さんの仕事がわかる構成だ。帰り際、今回の画集を出す以前からふたりが温めてきた本の構想に耳を傾けている時間は、生きる意欲を引き出してくれるものだった。由良さんの世界。3本の道が行きつ戻りつしながら、時に交差し、時に出会い、そこに久子さんの道が緩やかに併走していく。あのカリフォルニアから始まった道。豊かな空間が時間軸というレールの上を滑るように動いている映像が浮かんでは消える。未来において形になるはずのもうひとつの本。手に取り、ふたりが歩んできた道を再び感じてみたいと願わずにいられない。

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.68
「ここから始める、まちづくり」

まちづくりに携わる各地のキーマンを訪ね、軽やかで熱い活動とその先の地域の未来について訊ねた1冊です。

この記事を書いた人

萬年とみ子

紙媒体の「northern style スロウ」編集長。2004年創刊以来、これまでに64冊発行してきたなんて、…気が遠くなりそう。加えて、デジタル媒体を目にできる日がくるだなんて!畑仕事でもして、体力、つけなきゃ!