アルトリ岬の先端に住む、福田さんが明かしてくれた“反省”

伊達市有珠町のアルトリ海岸は、またの名を「恋人海岸」とも呼ばれる美しい場所です。その海岸の端の、小さく突き出た半島のような場所に、有珠アルトリ海岸ネイチャーハウスという、私設の資料館があります。そこには、数万を超える貝や、海岸に流れ着いた宝の山が収蔵されています。施設を作ったのは、この地を愛してやまない福田茂夫さんという人物です。茂夫さんの日課は、妻の友子さんと共にアルトリ海岸のゴミ拾いをすること。二人が毎朝ゴミを拾いながら考えていることを尋ねると、今までずっと胸の裡に抱えてきたある反省を、こっそり教えてくれました。

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有珠アルトリ海岸ネイチャーハウス
住所 伊達市南有珠町106
電話番号 0142-38-2593
※訪ねる際は電話予約をしてください。
小耳にはさんだ情報 アルトリ海岸観察会を開催しているらしい

暑い夏の日、アルトリ海岸で二人は出会った

1977年、夏。有珠の海岸を目指して自転車を漕ぐ、1人の女性がいた。彼女を駆り立てたのは、看護学校の図書室で見つけた、『若きウタリに』という本。写真家掛川源一郎の写真とアイヌの歌人バチェラー八重子の詩で構成された一冊だ。本で見た、いきいきとしたアイヌの人たちの姿と、彼らを取り巻く有珠の自然にすっかり魅了された。隣町から漕ぎ出して、ここ、アルトリ海岸へと辿り着いた。

視線の先には、石を乗せた一輪車を押しながら砂浜を歩く若い男性が1人。話しかけてみると、近くに家を建て、そこでなんと私設の資料館をやっているという。訪ねると、家の中に収まりきらないほどの貝の山が。そして、聞けばあふれ出す、貝についての膨大な知識。「すっかり引き込まれてしまって」。それは、有珠山が噴火するちょうど1ヵ月前のこと。今回の話の主人公である、福田茂夫さんと友子さんが出会った日のエピソードだ。

多岐にわたる活動。きっかけは、幼い頃の記憶

福田夫妻は毎朝の日課として、ゴミ拾いをするためにアルトリ海岸へ出かける。出かけると言っても、家の目の前にある海岸だから、庭に出るようなものかもしれない。

始めたきっかけは、2016年の大きな台風だった。あまりに荒れた海岸を目の前にして、考えるよりまず先に体が動いた。拾えども拾えども、ゴミはなくならない。その年に集めたゴミは、45リットルの袋四百個分を超えた。「毎日1袋拾っていたら、大した数じゃないんです」と友子さん。

今でも1日に1袋分はゴミでいっぱいになる。ビニール製の漁具からプラスチックの破片まで、ありとあらゆる分解されないゴミがここに流れ着く。「それでも、ここはどこの海岸よりもきれいだと思いますよ」と友子さん。確かに、見わたす範囲に目立ったゴミはなく、砂浜には流れ着いた流木がところどころ、朽ちるときを待つばかりだった。

始まりの合図は特になく、おもむろに俯いて、思い思いの方角へ散らばっていく2人。その背中が、妙に印象に残っている。決して強いられているのではない。ポジティブなエネルギーに満ちているようだった。

それもそのはず。2人がゴミ拾いと同じくらい情熱を傾けているのは、“宝物さがし”だ。珍しい貝殻、カニの甲羅、中にはプラスチック製のおもちゃまで。ゴミかどうかを判断するのは、あくまで夫妻のアンテナ次第。

茂夫さんはNPO法人「森・水・人ネットワーク」という団体の理事として、毎年一回伊達市に住む親子を招いて「海の生物観察会」を開いている。海辺で遊ぶことを通して、自然への関心を持ってもらうための活動だ。「自然を守ろうとか大事だよとか、そういう理屈を抜きにして、自然の中で遊ぶ楽しみを伝えたい」。

集めた貝のコレクションは、なんと数万を超える。自宅に併設する資料館に収まりきらない分は、豊浦町の閉校した学校に新しく設えた資料館へ運んだ。「収納場所がないから、拾うのはもうやめようと思ってるんだけど」と言うそばから、ポケットから貝があふれ出す。

温暖化の兆しを、自分で見て感じること

そうした自然への興味は、幼い頃の原体験がきっかけだった。今の自宅の西側に見える、向有珠(むかいうす)町に生まれた茂夫さん。毎日毎日、日が暮れるまで海で遊んだ。高校を卒業して一度は東京に出るも、休みになれば房総半島へ出かけて海と戯れる日々。大人になって貝の図鑑を開いてみれば、幼少期の記憶がすぐさま蘇ったという。自然物が近くにない都会で働くのに限界を感じ、帰って来て、しばらくは教育委員会の仕事に従事した。自然への興味関心を活かして、約20年前からは主に貝を中心とした有珠周辺の自然物を集めて展示物や資料を作成する仕事を続けてきた。

「近頃、ここでは本来見ることのできないような、南に生息している生物をよく見かけるようになった」と茂夫さん。10年前から散々聞いていた「地球温暖化」という言葉が、見知らぬ貝の姿を見つけることで現実味を帯びる。それが一度や二度ではないことで、茂夫さんの中にあった違和感は「はっきりとした確信に変わった」。メディアで報道される「地球温暖化」の文字だけでは、伝わらないことが山ほどある。

まずは「今起こっていることはどういうことなのか、関心を育てること」が大切だ。海岸に出て、実際にどのくらいのゴミが流れ着いているのか、どんなに海が汚れているのかを自分の目で見ること。現状を知ればきっと、海洋プラスチックの問題に関心が及ぶだろう。すべては、そこから始まる。

茂夫さんたちも同じ道を辿ってきた。「いくら口で言っても、誰にも聞いてもらえないと思うんだけどさ。実際にアルトリ海岸はきれいになったんだ」。目の前に広がる景色は、行動がもたらす結果をただ事実として教えてくれている。

自分たちできれいにするメリットは、もっとある。それは、「これからも海を汚してはいけない」という気持ちになれること。さらに、どうやったらゴミが出ない暮らしができるか、考えるようになること。「今、ようやくスタートラインです」と2人は言う。

福田夫妻は、環境活動家というわけではない。有珠の自然と共に生き、これからもここで生きたいと願う、2人の生活者だ。ただ穏やかにここで暮らすことができたら。けれど現実は、そうさせてはくれなかった。

立ち上がった2人、湧き上がる問い

15年ほど前、近くにある善光寺自然公園を潰して、新たにパークゴルフ場を開設する計画が進められたことがあった。噴石の上に桜の木が根を張って咲くような、面白い地形が魅力的な公園だ。起伏に富んだ地形は、多種多様な動物の棲みかとなっている。

「どうして健康増進という名目のために、豊かな自然が壊されなくちゃいけないんだ。絶対だめだと思って」。誰も反対の声を挙げないことに危機感を覚え、福田夫妻はついに立ち上がった。仲間に呼びかけ、署名運動をすることに決めたのだ。

「村八分になるぞ」と冷やかされても、毎日毎日街頭に立ち、必死に呼びかけた。蓋を開けてみると、伊達市の人口の4割に達する一万五千もの“声”が集まった。そして、計画は白紙になった。

何より怖かったのは、「最初、反対意見が出なかったこと」。後になってから「実は最初から反対していたんだ」と言い出す人も多かった。なぜその人たちは茂夫さんが働きかけるまで無言を貫いていたのか。この問いにこそ、茂夫さんの思いは集約されている。

見落とされていた大切な反省

茂夫さんの父親は戦争経験者だ。茂夫さんは幼い頃から、父がどれだけ悲惨な経験をしたか、嫌になるほど聞かされた。資料を読み込んで自ら勉強もした。そして辿り着いた思いが、「第二次世界大戦の反省を、しっかりしてこなかったことへの反省」だった。

終戦後、半ば押し付けられるようにしてアメリカからやってきた「民主主義」の思想。果たしてそこに本来あるべき「声に出す自由」の意味を、私たちはきちんと考えてきたのだろうか。

茂夫さんは問いかける。「常に自分に言い聞かせているのは、10人いたら10人が賛成する状況は、危険だということ」。自分は反対だけど、周囲に反対する人がいない。このまま声を挙げたら、仲間外れになりそうだ。そうして自分の意見を殺すことは、「意見を持つ自由がない時代と同じだ」。

「本当にそれでいいのかって、いろんなことを検討していく。違った意見が出ることが、正常なんだということ」。長年心の裡に持ち続けていた反省を、あくまで穏やかに、けれども厳しく、自らに言い聞かせるように茂夫さんは聞かせてくれた。

「戦争経験者やマスコミが、どれだけ悲惨だったかを伝えるけれど、一番大切なことは言わない。それは、全員が戦争に賛成したわけではないだろうということ」。心の底で反対していた人はたくさんいたはず。でも、声を挙げる権利を持たなかった。「それに対する反省が、一番大事だったんだ」。

話は深まり、核心に近づいていく。すぐ近くで聞こえていた波の音が聞こえなくなる。自分の鼓動と、茂夫さんの声の余韻だけが胸に響く。

悲惨な「結果」だけが目立ってしまう戦争の過ちは、「過程」にこそあったのではないか。誤った方向に進んでいることに気づきながらも、声に出す自由を持てなかった時代があった。今だって私たちは、得た権利を適切に行使しないことがある。

意見を持つため、五感を通した経験を積む

茂夫さん曰く、これらの悪習が現代に及ぼす最たるものの一つが環境問題だ。2人は、高度経済成長期の真っ只中を生きた。開発し、自然を壊しながら経済を成長させることが美徳とされてきたような時代だ。その風潮に、誰も疑問を持たなかっただろうか。その結果もたらされた弊害の数々に、今、反省はあるだろうか。同じことを繰り返してはいないだろうか。福田夫妻が今日まで活動を続ける動機は、過去への深い反省にあった。

茂夫さんの抱える“反省”を、私たちは日常の中で活かすことができるはずだ。意思決定のシーンで、たとえ全面的に賛成だと思っても、一度は必ず立ち止まること。反対意見が出たら、批判せずに耳を傾けること。対話はそこから始まる。

「本当にそうなのか」という言葉は、茂夫さんが物事を考えるときの決まり文句だ。貝の名前を調べるときにも、「これが本当にその貝か。何度も何度も経験を積み重ねて、やっと『これはそうなんだろう』ってことが言える」。

自問自答を繰り返し、自分の頭で考えてみても、人生のなかで確証を持って言えることはわずかだ。だから福田夫妻は、砂浜に出てゴミを拾い、街頭に出て声を集め、同じようで違うたくさんの種類の貝を集める。身体と五感全部で、世界を知ろうとすることを止めない。そうして、自分だけの意見を大切に培ってきた。

『若きウタリに』を読んで訪れた、いきいきとした美しい有珠の自然と出合った日の思い出は、今も友子さんの心の中で輝く。孫が生まれてから、ことさら地球の未来のことが「他人事ではなくなってきた」。自分はきっと見ることのできない、孫が生きる未来まで、この美しい有珠の自然をどうにかつないでいきたい。だから今日も2人はゴミを拾う。たとえ誰にも見られていなくとも。この先の未来がわからなくとも。2人にとっての“宝物”を探しながら。

(取材時期 2019年10月25日)

福田茂夫さん

「スロウ日和をみた」で、アルトリ海岸を一緒に散歩しましょう。ご案内します。

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.61
「パンは語る」

道産小麦もあたりまえになりつつある現在。BIO小麦や薪窯、酵母。それぞれのこだわりを追い求める、北海道のパン。

この記事を書いた人

石田まき

石田まき

スロウ日和編集長。ライター兼カメラマン。初めて訪れた北海道で、空の広さに一目ぼれ。言葉と写真の両方でこの地の豊かさを伝えるため、九州から移住。ホタテが大好物。