松崎咲絵さんと修さんが手にした、大切な時間 〈新篠津村・焼菓子ガブリ〉

新篠津村の郊外にある、木造の一軒家。2つの扉を開けると、ほんのり甘く香ばしい空気と、オレンジ色の光に包まれます。焼き立てのスコーンやマフィンが並び、袋入りの可愛らしいお菓子でいっぱいの店内。松崎咲絵さんがお菓子を作り、修さんが接客します。これからも2人で続けていくために、店は週末のみ開店します。(取材時期/2020年12月)

Shop Data

焼菓子ガブリ
住所 新篠津村第37線南11
電話番号 000-0000-0000
営業時間 11:00~17:00
、冬季~15:00
営業日 土・日曜のみ営業
URL https://gabuweb.com
※営業日の詳細はWebサイトをご覧ください。

不安という感情は、人間の動物的な本能だ。けれど、大きく育てすぎてしまえばたちまち怪物と化して、心をがんじがらめに縛る枷(かせ)になる。さらには周囲に伝染し、他者を攻撃する大義名分にすらなりかねない。このやっかい極まりない感情とどう折り合いを付けて生きていくか。それが、心豊かな暮らしを実現させるポイントのひとつなのかもしれない。松崎咲絵さんと修さんの話を聞いて以来、そんな確信めいた思いが頭の中をぐるぐると巡っている。

新篠津村の郊外、深い雪に埋もれるようにして佇む木造の一軒家。松崎咲絵さんが、夫の修さんと愛犬と共に暮らす場所。そして週末になれば、多くの人がおいしい焼菓子を求めて訪れる場所。駐車場には、真っ白な雪に映える真っ赤な実を付けたナナカマドの木。「OPEN」の文字が書かれたバス停にあるような小さな看板には、今月の営業日のお知らせが貼られていた。店舗の扉にあしらわれた木彫りの足跡は、ヒグマだろうか。

扉にあしらわれた足跡。動物好きな咲絵さんらしい。

軽く押すだけで簡単に開いた扉の向こうは、予想外にもかなり暗い。再び目の前に現れた扉。おそるおそる開くと、ほんのり甘く香ばしい空気と、オレンジ色の光に包まれる。  

ゆっくり話が聞きたくて、最初の訪問は店休日の金曜日。けれど店内に入って右手の棚の上のスペースは、袋入りの可愛らしいお菓子でいっぱいだった。「週末の営業に合わせて、平日に焼くんです。当日は、スコーンとかマフィンを焼き立てで並べます」。教えてくれたのは修さん。咲絵さんがお菓子を作り、修さんが接客をする。それは、2020年3月にこの場所に店舗を構えるより以前から、変わらないスタイルだ。

子どもの頃から大の料理好きだったという咲絵さん。同じく料理好きだった母が持っていた調理道具を触り、料理本を読みながら育った。中学2年生になると、母に、家族の夕食は自分に作らせてほしいと頼んで実践するまでに。「朝ドラみたいですよね。ふふふ」。

地元の大学に進学する際は、デザインコースを選択。料理系の道へ進むか迷ったものの、「興味のあるものがいっぱいあって、デザインならいろいろな関わり方ができるかなと思って」。ジン(小冊子)を作る課題では、食に対するこだわりを文章や写真などで表現。スツールを作る課題では、キッチンでジャムを煮詰めるときに腰かけやすいデザインを考案。といった具合。

クリスマス用のギフトボックス。道内を中心に全国へ発送している。

そんな咲絵さんがお菓子づくりを本格的に始めたのは大学2年生の頃。自らを「ハマるというより…酷くやるタイプ」と言うだけあって、夜中までお菓子を作ることもしばしばだったとか。当然というか、卒業研究にもお菓子を絡めたテーマを設定している。それが、「菓子行商ガブリ」の誕生だ。

文字通り、札幌の街中でリヤカーを押しながらお菓子を販売するというもの。なんで行商なの? と尋ねれば、やはりこれも幼い頃の記憶に結び付くという。「焼き芋屋さんやパン屋さん(の移動販売車)を追いかけるような子どもだったんです。街中に現れたときに、一気に楽しい雰囲気になるのが好きで」。

二重扉の間、風除室に置かれた行商時代のリヤカー。

なんの変哲もない日常に紛れ込む非日常の要素。わくわくと胸を弾ませたことを、今も鮮明に覚えているそう。「なんでこんなに気になるのか、自分でも不思議でした。それをもっと考えてみようと思って」。このとき、「面白そうだから」と、行商に付いて回るようになったのが、大学の先輩でひと足先に卒業していた修さんだった。  

ある日突然、街中に現れるお菓子の行商人。「きっと、楽しい気持ちになってもらえる!」という予想は的中した。週に5日ほど、場所も時間も不定期に現れるガブリ。「ガブリを探して街中を歩くのが楽しくなった」、「ずっと探していました。ようやく会えてうれしい」…。といった声が次々に寄せられるようになっていった。

とはいえ、お菓子づくりと販売を咲絵さん一人で行うのは体力的にきつい。行商を生業にできるとは考えておらず、卒業研究を機にやめるつもりでいた。それに待ったをかけたのは修さんだ。「探してくれる人がこんなにたくさんいるのに、やめるのはもったいない! 僕がリヤカーを押す!」。製造は咲絵さん、販売は修さんと役割分担することで、「2人でならできるかも」と可能性が開けたと話す。

一方で、いわゆる「安定性」とは程遠いであろう独自の道を行こうとする咲絵さんへの、どちらかといえば慎重な声も聞かれるようになる。その多くはきっと、心配するがゆえに発されたものであったろう。でも、そんなものはとうに、乗り越えてしまっていたのだ。「やったことのない人の言葉は、聞かないことにしているんです!」。キッパリと言い切るところがカッコイイ。そうそう、その通り! 

自分のことは自分で責任をもって決める。やるかやらないか、その判断を下せるのは自分しかいない。たとえ親切心から発されたものであっても、自分で納得いかないままに他者の言葉に気持ちを押さえつけてばかりでは、いつしか心は行き場所を見失ってしまう。「若いからとか、女性だからなんて、何にも関係ないですよね!」。これまたキッパリ。10歳ほども年下の咲絵さんの言葉に勇気をもらった気分。

そして咲絵さんにとっては、自らへの戒めでもあるのかもしれない。「以前、動物性のものを食べられなくなってしまった時期があって」。高校生のときの話だ。生き物の命を奪うことへの、どうしようもない嫌悪感。10代らしい繊細な潔癖さで、「動物性のものを口にする人を、軽蔑するようになっちゃってたんですよ」。

でも、大学生になっていろいろな人と交流するうちに、次第に落ち着いていったそう。大きかったのは、ハンターのドキュメンタリー番組を目にしたことだ。生と死を真正面から見つめる姿に、素直に感動する咲絵さんがいた。「自分でしめる覚悟や経験もないのに、この人を軽蔑するなんておかしい」。それから少しずつ、動物性の物を食べられるようになっていった。

店名は、10代の頃から一緒に暮らしている愛犬ガブリエルの名前からだそう。

大学を卒業後、修さんと共に菓子行商を続けていた咲絵さん。咲絵さんがお菓子を焼き、修さんが行商に出て、冬は各地のイベントに出展する。その生活は2年ほど続いた。ありがたいことに売れ行きは順調。作るお菓子の量は日を追うごとに増えていき、咲絵さんは夜中までお菓子づくりに没頭した。生活は昼夜逆転し、2人の生活時間が合わないなんて日もザラ。そしてはたと気づく。「これは、違うんじゃないか?」。

当時を振り返って、「確認しているみたいだった」とは、修さん。きちんと収入を得て生活できている。これでいい、これで大丈夫…。そう、自分自身に確認しながら、顔を出しそうになる不安を紛らわす日々。

およそ月に一度発行しているニュースレター。担当は修さん。

田舎に移住して店舗を構えよう。「生活と仕事の一体感」こそが、咲絵さんが打ち出した打開策だった。修さんがびっくりするほどのスピード感で新篠津村の古民家を見つけ出し、2019年夏からリノベーション。すぐに完成させたいのであれば、すべて大工に任せてしまったほうが楽。でも、「自分の手でやってみて理解しておくこと」の大切さを知っている2人のこと、大工に教わりながらできる限り自分たちの手でやり遂げた。店舗スペースの隣は、咲絵さんがお菓子を焼く工房。「ここに来てから、お菓子がいっそう可愛く見える気がするんです」。丸眼鏡の奥、きゅっと目を細めて話してくれる。

営業日の朝、開店前に改めて店を訪ねると、くるくると動き回りながら開店準備を進める咲絵さんと修さんの姿があった。開店から間もなく1年。不安がない、というわけではないと思う。けれど、不安と向き合い、的確に対処する術を、2人はすでに持っている。自分で決める。暮らしにも仕事にも、責任を果たす。心地良くいられる環境を整える。…言葉にすればいろいろあるのだろうけれど、結局はこのひと言で表現されるのかもしれない。「今が楽しい」。そう思える時間を積み重ねていくこと。2人の笑顔には、どこにも無理がなかった。

この記事の掲載号

northern style スロウ vol.66
「思いを叶える場所へ」

自らの暮らす場所や環境について真剣に考えてみよう、という機運が高まりつつあるようです。それぞれの「大切な思い」を受け止めてくれる場所、北海道。自らの暮らしを現在進行形でつくり続けている人たちの物語をお届けします。

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スロウ日和編集部

好みも、趣味もそれぞれの編集部メンバー。共通しているのは、北海道が大好きだという思いです。北海道中を走り回って見つけた、とっておきの寄り道情報をおすそ分けしていきます。