下川町で30年。多様性を運んできた旅人、栗岩英彦さん〈モレーナ〉

下川町に、まだ移住者が少なかった頃。30年前、この土地が醸し出す空気に惹かれて移住してきた、旅人の栗岩さん。この町に辿り着き、唯一無二のレストラン「モレーナ」を開店してからのこと。そして、いま取り組んでいる新たな挑戦について話を聞いてきました。店についての情報は、こちらでも詳しく触れています。(取材時期/2020年12月)

Shop Data

レストラン モレーナ
住所 上川郡下川町北町309
電話番号 01655-4-4110
営業時間 11:00~17:00
定休日 不定休(おおむね月曜日)

1991年の夏に東京より移住。私は47才だった。

下川へはそれまでに、釣りやきのこ狩りに何回か来た事はあったが、その時はここが私の終生の土地、第二の故郷になるとは夢にも思わなかった。

1990年、ポルトガルのリスボンで暮していたが、ふと、もう旅を止め、どこかに錨を下そうと思った。

東京ではなく、どこか思いきり静かな、自然の豊かな、田舎でのんびり暮そうと思った。

その時に頭に浮かんだのが下川だった。

「なぜ下川に住むのか、どこが良いのか」と色々と人に聞かれ返答に困った。

ここを選んだのは旅人の直感だった。住めば都である。

―栗岩英彦「下川移住1991」

町の魅力を語るのに、欠かせない店「モレーナ」

人口3200人の小さな町、下川町。本誌でたびたび取り上げてきたこの町の良さを誰かに語る時、欠かせないのは「モレーナ」の存在だ。

モレーナは、町の中心部からやや離れた離農した農家住宅を改装したレストランだ。昔の音楽がカセットテープから流れ、窓の外には緑豊かな牧草地が広がっている。気ままに歩き回る猫のアーネストと犬のマリオが、流れる時間をさらにゆっくりしたものに感じさせる。どこを切り取っても、唯一無二の空間。モレーナは、店主の栗岩英彦さんが世界中を巡った旅が、ギュッと凝縮された場所だ。

1974年、鉄のカーテンの時代。栗岩さんはシベリア鉄道でヨーロッパに行き、ロンドンでアルバイトをした。そこからシルクロードを通り、インドの村で1年ほど暮らす。沢木耕太郎の著作『深夜特急』と同時代、小説に登場するのと同じような国を巡る旅だった。

帰国後しばらくして、北海道トムラウシで妻、文子さんと出会い結婚。文子さんを連れて再び旅に出た。中国で天安門事件に巻き込まれ身の危険を感じ、ヒマラヤを越えてパキスタンに逃げ、そこであやうく死にそうになるという波乱万丈の旅だった。最後に訪れたポルトガルのリスボンはとにかくふたりの性に合っていて、気づけば半年滞在していた。どこの国でも、現地の言葉を覚えて人々と交流を持ち、ギターを弾き、絵を描いて、暮らすように旅をした。

日本に帰ってくるなり住む場所を探し、辿り着いたのが下川町だった。スリルとロマンあふれる旅を経たふたりが選んだ町だ。さぞかし大きな理由があったことだろう。しかし話を聞いてみると、そうでもなかったようだ。


「はっきり言って、ここは静かな目立たない町だったよ。自然はあるけどね。惹かれたのは、ここから出ている空気。自由な空気っていうのかな」。

その日の気分で行先を決めていたほど、直感を大事にしてきた旅人だ。直感力は人一倍、磨かれているにちがいない。旅人が終生の地を決めた。それも直感で。さらに30年経っても、そこに住み続けている。下川町の魅力を語るには、これだけで十分とすら感じさせる。

最初の4年間は、離農した農家住宅を手に入れ廃材を譲ってもらいながら、大規模な改修を続けた。たまに農家でアルバイトをしたり絵を描いたりと、自由気ままに暮らした。その頃には先に移住していた人や一部の町民ともつながりができていた。気づけば栗岩さんは、移住者の有志で立ち上げた「あぶらこの会」初代会長になっていた。

地に足をつけようとしていたが、異国の風が再びふたりの後ろ髪を引っ張った。旅に出たくなったふたりは、どうにかして資金を得ようと考える。文子さんの提案で、レストランを開くことに決めた。

1995年、レストランモレーナを開店。提供するのは、インドでギターを教える代わりに、現地の人に習った北インドカレーがメイン。見慣れないスープ状のカレーに最初は戸惑う人も多かったというが、瞬く間に話題になった。やがて客が定着し、人気店に。毎日遅くまで営業し、夏に貯めた資金で冬は旅に出る。そんなサイクルがしばらく続いた。いつしか下川町は、旅に出たふたりが帰る場所になっていた。

脳梗塞、愛する人の死。立ち上がって掴んだ新たな夢

30周年パーティーの栗岩さん。


2010年の冬、平和な暮らしは突然の終わりを告げる。栗岩さんは脳梗塞で倒れ、入院することになったのだ。自力で歩くことすら絶望的と言われながらも、周囲の仲間たちの支えがあって、少しずつリハビリを始めようとしていた。

そんな矢先に東日本大震災が発生。日本中が暗く沈んでいた時、最愛の妻、文子さんを突然の病で亡くす。その瞬間、手が届きそうだった小さな希望の光は、もっと遠く、見えなくなってしまった。

酒浸りになり、茫然として何も手に付かない。周囲の町民たちも、ただ気にかけることしかできなかった時があった。当時のことを振り返った手紙にはこう書いてある。

“ある日、庭を見たら雑草が背の丈まで伸びていました。その時、落ち込んでる自分を見て一番悲しむのは、亡くなった文子だと思いました。私は立ち上がり、モレーナを再開したのです。”

自力で前を向いた栗岩さんは、リハビリと店の営業を再開。最初は、タマネギをテープでまな板に固定して刻んだ。今もマヒが残る足を引きずりながら、日々カレーを提供している。

下川町に来て、楽しいことも辛いことも、たくさんあった。どんなときも周囲には、文子さんと仲間たちがいた。時が経って文子さんがいなくなっても、周囲にはいつも誰かがいた。栗岩さんは、一人でいるときも孤独ではなかった。
栗岩さんの周囲に人が絶えない理由。それは、拒んだり否定することなく、誰に対しても等しく接する人だからだろう。

そんな価値観は、やはり旅をすることで培われてきたという。助けるより、助けられることのほうが多い旅。そこで得た一番の学びは、人種や格差を越えて、「人間は人間である」というシンプルなことだった。大切なのは、年齢や経歴などではなく、1人の人間として目の前の人とつき合うこと。栗岩さんの振る舞いは、これまで数多の国々で受け取ってきただろう、数えきれない優しさを想像させるのだ。こうやって私たちは、モレーナという場所や栗岩さんを通して、栗岩さんが旅で得たものに触れることができる。モレーナがそっと教えてくれるのは、「人生において、大切なことは何なのか」ということだ。

旅でもらった恩を、周りの人に返す日々

さまざまな場所から、個性豊かな移住者が集う下川町。多様性を尊重し合う町の雰囲気がつくられてきたのは、栗岩さんの存在によるところも大きいだろう。「町が化石になってしまうから、新しい人のエネルギーは大切だ」と、積極的に移住者の応援をしている。

栗岩さんが下川町への移住を決めたときのように、町の〝空気”に直感を得て、それを信じてやって来る人たちが後に続いていく。そうやって町の空気は絶えず入れ替わり、澱むことなく循環する。いつも新鮮な空気が流れているのが、今の下川町なのだ。

この冬、栗岩さんはこれまでの旅をまとめた2冊の本を出版した。栗岩さんから聞く旅の話はいつも面白く、「絶対残したほうがいい!」と感じていた町内在住の富永宰子さんが後押しした。旅のすべてが大学ノートに細かく記されていることを知り、本の執筆を提案。「このまま焼却炉ですべて燃やされてもいいと思っていた」栗岩さんだったが、富永さんや周囲の人たちの熱い思いに応えようと、出版を決めた。

下川町は、小さな町でありながらいろんな特技を持つ人が集まっている町だ。町内の編集者やデザイナーたちに声をかけ、2020年春、さっそく出版チームが結成された。資金は日本中に散在する栗岩さんのファンから募った。そうして出来上がった本は、情景だけでなく匂いや手触りまでも伝わってくるようなものになった。まずは本を通して栗岩さんの青春時代を知り、いつの日か必ずモレーナで北インドカレーを味わってみてほしい。

下川町の移住情報はコチラから

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.66
「思いを叶える場所へ」

自らの暮らす場所や環境について真剣に考えてみよう、という機運が高まりつつあるようです。それぞれの「大切な思い」を受け止めてくれる場所、北海道。自らの暮らしを現在進行形でつくり続けている人たちの物語をお届けします。

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スロウ日和編集部

好みも、趣味もそれぞれの編集部メンバー。共通しているのは、北海道が大好きだという思いです。北海道中を走り回って見つけた、とっておきの寄り道情報をおすそ分けしていきます。