馬たちが教えてくれる、生きる速さ〈ノースポールステイブル〉

ノースポールステイブルでは、装蹄師の蛭川徹さんと千鶴子さんが、現役を引退した競走馬や事情があり行き場をなくしてしまった馬たちと共に生活しています。倒木を運んだり、畑を耕したり、時には人を乗せたそりを引いたりするのが、馬たちの仕事です。サイロを改装してつくったギャラリーの中には、千鶴子さんが描いた馬たちの絵が飾られています。牧草馬車や馬そりの体験ができるスロウなツアーも実施中。

Shop Data

ノースポールステイブル
住所 幕別町忠類共栄161-3
電話番号 090-1524-3912
URL https://www.facebook.com/atoriekodou
スロウなツアー実施中 https://slow-life-hokkaido.com/ja/tour/horse-drawn-farm-cart-ride

寡黙な装蹄師、蛭川さんとの出会い

いつも、心待ちにしている日がある。幕別町忠類に暮らす蛭川さん家族と、16頭の馬たちに会いに行く日だ。

2019年1月に初めてノースポールステイブルを訪れてから、半年ほど経つ。例年よりずっと少なかった雪はいつもより早く解けて、季節は夏へと移り変わろうとしていた。きっかけは、ある冬の日。「十勝に、森の中で馬そりに乗れる場所がある」という話を聞いたことだった。それだけでとっても心惹かれたのだけど、十勝のどこで、誰がやっているのかはわからなかった。すぐに調べてはみたものの、インターネットで検索するという、一番早くて簡単な方法では辿り着けなかった。

「こんな人がいるらしいのですが」と、地元の観光協会などに電話をかけてみたところ、「ああ、蛭川さんのところですね」と、名前と連絡先を知ることができた。蛭川さんに電話をかけて教えてもらったのは、徹さんの本業は装蹄師であること、馬そりや乗馬の体験についての宣伝にはあまり力を入れていないこと。それから、一緒に生活する馬たちの多くが、引退した競走馬や、事情があって行き場を失くしてしまった馬であること。

住所を頼りに、ノースポールステイブルへ向かった。看板はないけれど、緑色の屋根のサイロが目印で、道路沿いから敷地内を自由に歩く馬たちの姿が見えたから、すぐに「ここだ」とわかった。ゲートを開けて出迎えてくれたのは千鶴子さん。その後ろで徹さんが馬具の準備をしている。さらにその後ろから、サラブレッドの「大豆」が一目散にやって来て、挨拶してくれた。この流れは、それ以来いつ来ても変わらない。

カメラに向かって歩いてくる大豆。「自分がサラブレッドだってわかってないの」と、千鶴子さん。

大豆の身体にそっと手を伸ばして、触れてみた。あたたかくて、逞しい。何か食べ物を持っていると思ったのか、モグモグと口を動かしながら掌に顔を近づけてくる。間近で見た大豆の眼差しは、どこまでも穏やかで優しかった。こんなにも優しい馬の表情を、初めて知った。

「うちにいる馬たちは、みんなのんびり暮らしているから、優しい顔つきになるのかもしれません。特に大豆は調教を受けたことがないからか、人に対する警戒心がなくて人懐っこい」と、千鶴子さんが言う。

競走馬の世界を経て、この場所へ

サラブレッドは速く走ることを目的に品種改良された、主に競馬場で活躍する馬種だ。大豆も別の牧場で、競走馬になるべく生まれたのだが、1歳の頃、調教を受ける前に足に病気が見つかり、処分されることが決まっていた。しかし、徹さんと千鶴子さんに出会って、2002年にノースポールステイブルの一員になった。今年で19歳になる。

競走馬を引退後、乗馬クラブに引き取られたが高齢のため働けなくなってしまったレオと、馬術競技のために飼われていたが、元の飼い主との相性が合わなかったガロ。2頭は元の持ち主によって手放された後、蛭川夫妻の下で新しい居場所を見つけた。

徹さんと千鶴子さんも、かつては競走馬の世界にいた。徹さんの実家である競走馬の育成牧場で共に働き、「良いことも、そうじゃないことも」たくさん知った。

競走馬の仕事は、速く走り、レースに勝つこと。競走馬になるべく、年間約7000頭のサラブレッドが生まれる。調教を受け、レースに出場するのが2~3歳。大豆のように事故やケガによって、年齢に関係なく処分対象になってしまう馬も少なくない。活躍できた馬の多くも4歳を過ぎると現役を退き、繁殖牧場や乗馬クラブなどに引き取られていく。しかし、行き先を失くしてしまう馬が多いことも、現実だ。

2006年の夏、2人は馬と心地良く暮らせる場所を探し求めて、日高山脈を越えたこの土地へ移り住んだ。

馬と一緒に過ごすことが何より大好きな2人にとって、競走馬の世界はスピードが速過ぎた。「馬の寿命は本来であれば、大体30年位。人と馬が一緒に年をとっていける、長く一緒にいられる場所にいたかったんです」とは、千鶴子さん。「縁があって出会った馬たちの可能性を広げてあげたい。そのために、自分のできることをしたい」とは、徹さんの言葉。

草を食むミザルー。馬は花以外の草を食べてくれるので、ノースポールステイブルの「ガーデナー」でもある。


2人ができることとは、馬たちに居場所をつくること。その後は、「飼う」でも「育てる」でもなく、一緒に暮らす。馬たちも、自分たちのできることをする。たとえばレオやガロは、ここを訪れた人たちを乗せて、森を案内するのが仕事だ。ばん馬の血を引くモモは、森から倒木を運んだり、畑を耕したり、時には人を乗せたそりを引いたりする。そうやって自分の仕事をして、「自分や働くことができない馬たちが食べる牧草代を稼ぐ」。それが、ここでの生き方だ。

かつてはあたりまえの交通手段だった馬そり

馬具の一つひとつにも味がある。

初めて訪れたあの冬の日、「せっかく来たんだし、乗ってって」と、徹さんとモモが馬そりで冬の森を案内してくれた。「40~50年前は、この辺の人にとって、馬はあたりまえの移動手段だった」と、それまで多くを語らなかった徹さんが、背中越しに当時の様子を教えてくれた。ここで使われるそりや馬具のほとんどが、かつて実際に使われていたもの。地元の人々が譲ってくれたそうだ。

手綱を握る徹さんの他に大人2人をそりに乗せて、モモは歩く。ゴトンゴトンと揺れるそりの中で、馬が人を乗せて道を行き交う光景を想像してみる。浮かんだ光景は映画や絵本の中の世界のようで、そんな時代がどこか羨ましく思えた。

でも、安易に羨ましがってはいけないのだろう。「みんなが馬好きだとは思わないほうがいい」と千鶴子さんは言う。こんなに便利な世界で生きている私たちからすれば計り知れないほどの苦労があった時代でもあるだろうから。優しいだけではない、馬ありきの生活。ただ、かつて北海道の暮らしの中心にいつも馬の姿があったことは、忘れずにいたいと思う。

「焚き火が好きだって言ってたから」と、いつも外でお茶を淹れてくれる千鶴子さん。

夢が詰まったサイロギャラリー

雪が解けた頃、再び2人と馬たちに会いに行くと、サイロの中に階段ができていた。1階はストーブで暖まったり、お茶をするための休憩室、2階は馬に関する本や資料を並べるライブラリー、3階は千鶴子さんの絵を飾る展示室として、3階立ての「サイロギャラリー」。「地下は貯蔵庫、ワインセラーにするのもいいな」と、徹さんが楽しそうに呟く。

サイロの窓から、フランスギクの花が辺りを埋め尽くすように咲く道や、その先に広がる畑、馬たちがのびのびと歩く放牧地が見える。ここから馬たちの姿を眺めるのが、千鶴子さんの日々の楽しみの一つ。千鶴子さんが描く絵のテーマは、一緒に暮らす馬たちと、家族やここを訪れる人の姿。「絵の題材がいつも側にあるから、描きたいものがなくならない」と幸せそうに笑う。

ギャラリーの構想は、2人がここに移住してきた頃から、ずっと描いてきたものだ。「サイロは、北海道の暮らしを支えていた証だと思うから。北海道のランドマークとして守っていきたくて。それにほら、『サイロギャラリー』って、夢があるでしょう?」。長い時間をかけて、地道に足元を固めてきた場所で、小さく素朴な花が咲く。千鶴子さんの喜びあふれる笑顔から、そんな光景が思い浮かんできた。

「ゆくゆくは、馬や馬との暮らしを知りたいと思った人たちが、自然と集まる場所にできたら」。馬に導かれて、この場所に根を下ろした2人の居場所が、別の誰かの拠点になる。そこでまたきっとたくさんの縁がつながり、広がっていくのだろう。

生きる速さを、馬たちが思い出させてくれる

5月の終わり、徹さんとモモが、牧草を敷き詰めた馬車に乗せてくれた。その日は徹さんと一緒に歌を口ずさみながら、まっすぐに続く農道を進んだ。モモは人が歩くより少し早く、走るよりはちょっと遅く、歩いた。作物が育ち始めた畑のずっと奥には、びゅんびゅんと道路を走る自動車が見えた。

馬車を引いてくれるモモと蛭川さん。

「馬たちが、“生きる速さ”を思い出させてくれる」。ノコギリソウの咲く放牧地で、千鶴子さんが話してくれたこと。馬たちの姿が日常にあった時代と、多くの人が車に乗る今と。数十年で「あたりまえ」は、こんなにも変わった。時間はいつだって、同じ速さで流れているのに。「あたりまえ」を変えたのは、私たちの“生きる速さ”だ。

「自分らしく生きる」ための一つの方法。それはもしかしたら、「その人にとって大切なものを、見落とさない速さで生きること」なのかもしれない。そんな風に歩いていけたら、道端に転がる小さな幸せや、心の中にある素直な思いに気づけるだろう。

徹さんも千鶴子さんも、2人らしい速度で日々を歩んでいるように思う。2人と共に暮らす、馬たちも。無理に急がず、一歩一歩、大地を踏みしめて、自分の居場所をつくっていく。そんな誠実な生き方に惹かれて、何度でも、ここに来てしまうのだ。「ここは、本音で暮らしていける場所」と話す2人と、穏やかな馬たちに会いたくて。

この記事の掲載号

northernstyle スロウ vol.60
「継ぎたいものは、何ですか?」

創刊15周年を迎えた60号。歴史的建造物やアイヌ民族の家庭料理など。彼らは何に価値を見出し、どんな思いで「継いで」きたのだろう。

この記事を書いた人

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立田栞那

花のまち、東神楽町生まれ。スロウの編集とSlow Life HOKKAIDOのツアー担当。大切にしているのは、「できるだけそのまま書くこと」。パンを持って森へ行くのが休日の楽しみ。