十勝に伝わる紡ぎ編みの物語を引き受けて<otopukeknit>

十勝は音更町を拠点に活動するotopukeknit(オトプケニット)。作り手の清瀬恵子さんは2015年の8月、結婚を機に音更町へ移住。十勝に根付く手紡ぎの文化に触れた時、「この手仕事を自分なりに引き受けたい」という強い思いを抱き、同年12月に小さなニットブランドを立ち上げました。店舗は持たず、展示会を中心に活動を広げてきたotopukeknit。ブランド創立5周年を迎えた清瀬さんに、定番商品のフェルトハット誕生の経緯や、ものづくりに対する思いについて聞きました。(取材時期/2021年1月)

Shop Data

otopukeknit
URL http://www.otopukeknit.com
Instagram https://www.instagram.com/otopukeknit/?hl=ja
※商品が購入できるのは、基本的に販売会(不定期開催)のみです。SNSから確認を。

ひとりのための、フェルトハット

otopukeknitの存在を知ったきっかけは、十勝で出会った人が被っていたフェルトハットを見たことだった。物語の中に出てきそうな、ハットの高さ。ほんのりユニークで、凛とした佇まい。思わず「素敵ですね」と声をかけたらその人は、「otopukeknitのものですよ」と教えてくれた。オトプケニット。声に出して言いたくなる言葉の響きと、不思議と記憶に残る帽子の存在感。すごく心惹かれたけれど、直営店も、特定の取り扱い店舗もないらしい。だからこそ余計に、憧れが募ったのかもしれない。

清瀬恵子さん。兵庫県出身で、十勝に移住する前は東京でデザインや編集の仕事に携わっていた。

清瀬さんのもとを訪ねたのは、例年になく遅い雪がようやく積もった1月の始めのこと。藍色のセーターを着た清瀬さんが、自宅兼作業場に迎え入れてくれた。本がびっしりと並ぶ本棚の前には、糸車が一台。その横の机に、完成したフェルトハットが並ぶ。自宅の一画で清瀬さんは、来る日も来る日も、糸を紡ぎ、ニットを編み、ハットを作る。「1日8時間とか、もっとかな。時間の許す限り、ずっとやっていたい。それくらい、私のすべて」。清瀬さんはそう言った。

取材日は、otopukeknitのオンライン販売受注会「otopuke CIRCUS」の開催直前。今、机に並ぶハットは、これから誰かのものになる作品だ。「本当なら、展示会を開いて、直接手にとって被ってみて、お気に入りのひとつに出合ってもらいたい。でも、今の状況では難しい。いろんな葛藤があったけれど、オンラインなら今まで直接会場に来られなかった方の元にも届くかもしれない。少しでも、明るい気持ちになってもらえるかもしれない。そんな風に思って、開催を決めました」。

糸の色は、otopukeknitのブランドカラー。

それぞれのハットをよく見ると、一点ずつ小さなラインが縫われている。「これは、otopukeknitのタグのようなもの。いつもお客様への帽子が出来たら、あなたのための帽子という思いを込めて、一針ひと針縫うんです。『ここが前?』って聞かれる方もいるけど、それは決めてない。その人それぞれ、心地良いように、好きなように被ってほしい」。ブランド名を主張することのない、さりげなくて心のこもったそのひと針に、「あなたのため」という清瀬さんの思いが込められている。

「私自身、山が好きで。帽子も好きで。それで、山で歩く時にいいハットがないなって思ったんです」。清瀬さんが、フェルトハット誕生の経緯を話してくれる。「風が強い稜線を歩く時はトップを折り込んで、森に入ったらトップを高くして楽しめる。使わない時は折りたたんで、ザックのポケットにしまえるの」。山で役立つハットは、もちろん普段使いにもぴったり。実寸の約1.5倍の大きさで編んだハットを縮絨(しゅくじゅう)しているから、しっかりと厚みがある。冬でもあたたかいし、少しゆとりがあるから長時間被っても締め付けられず、頭が痛くなりにくい。ハットだけれど、ニット帽に近い感覚で楽しめる。ほど良く上品で、ほど良くラフ。そんなちょうど良さも、この帽子が愛される理由の一つかもしれない。

otopukeknitの原点

山の刺繍は知り合いの刺繍作家にお願いしたもの。

ハットは定番の作品ではあるけれど、清瀬さんは帽子作家というわけではない。清瀬さんが着ている藍色のセーターや、壁にかけられた赤と緑のセーターも、清瀬さんが手がけたものだ。毎年春に牧場に行って原毛を選ぶところから始めて、洗って染めて、紡いで編むまでを清瀬さん自ら手がけるセーター。「販売会でもハットやニット帽をメインに並べているけれど、セーターも必ず持って行くんです。セーターこそ、otopukeknitの芯になるものだから」。

手紡ぎ手編みの、羊毛のセーター。それは、かつて十勝の人々の身体を包んできた防寒着だった。当時はあたりまえのように、農家で羊が1~2頭ずつ飼われていて、農業ができない冬の間はその羊の毛で、家族のためのセーターが編まれた。子どもたちが成長して着られなくなったら、次の冬にまた新しい羊毛と合わせて少し大きなセーターを編んだり、解いて靴下に編み直した。そんな手仕事が暮らしの中で営まれていた。そのことに、清瀬さんの心は強く揺さぶられた。

「物語の中のものだと思っていた糸車が、夫の実家にあって本当に驚いて。糸を紡いで編むことがあたりまえだった頃の暮らしを想像したら、なんだか突き動かされるような感じがしたんです。編み物は子どもの頃に母から教わっていたこともあって、紡がずにはいられなかった。これから十勝で暮らしていく上で、紡ぎ編みの物語を私なりに引き受けたいと思ったんです」。こうして清瀬さんは、移住から約4ヵ月後の2015年12月22日にotopukeknitを創立。ここで生きていくという思いを込めて、音更町のアイヌ語「オトプケ」を屋号に掲げた。

羊の品種によってニットの仕上がりにも個性が出る。鮮やかな色は、自然由来の染料で。

羊の品種による毛の違い、羊毛の扱い方や染め方、羊毛の個性に合わせた紡ぎ方。すべてが奥深くて、難しくて、楽しくて。時には眠る時間も削って、糸を紡いだ。音更町にある工房で染めの技術を教わり、足寄町の石田めん羊牧場からセーターに使う羊毛を仕入れる。一つひとつの縁を大切にしながら、試行錯誤を繰り返し、少しずつotopukeknitの作品が生まれていった。

最初は、個人のオーダーを受けながら。知り合いに誘われて出展したアウトドアイベントを機に、フェルトハットの存在が広まるようになる。「そのハットどこの?」、「otopukeknitだよ」。山の上で、街中で、幾度となくそんな会話が繰り返されただろう。

引き受けるという選択肢。

「otopukeknitのブランドカラーは、エゾムラサキの花の色」。清瀬さんが言っていたのを思い出して、帰ってから野草図鑑で調べてみた。春先に道端で見かける、可憐で愛らしい北海道の野花だった。屋号に音更の地名を掲げ、タグやロゴに北海道の野の花の色をあしらうセンス。かつて十勝で営まれていた紡ぎ編みの物語を、「自分なりに引き受ける」という潔い決意。

あたりまえの暮らしの中からなくなりつつある手仕事の物語に出合い、突き動かされて。寝ても覚めても夢中になるくらい、大好きになって。伝えるでも、守るでもなく、自分の手で「引き受ける」と決めた。そしてその手で毎日毎日、糸を紡ぎ、otopukeknitの物語を紡いできた。「まだまだだよ」と清瀬さんは言うけれど、自分で決めた道を強く歩く姿は、素直に「かっこいいな」と思う。

不思議と記憶に残る帽子の作り手は、強くてきれいな覚悟を持った、気さくで粋な人だった。

この記事を書いた人

アバター画像

立田栞那

花のまち、東神楽町生まれ。スロウの編集とSlow Life HOKKAIDOのツアー担当。大切にしているのは、「できるだけそのまま書くこと」。パンを持って森へ行くのが休日の楽しみ。