豊浦町や比布町などを中心に、北海道でもおいしいいちごが収穫されるようになってきました。いちごを始めとする果実は、人だけでなく虫や菌も大好物。そのため、無農薬で育てることは難しいと言われています。そんな常識を飛び越え、新規就農1年目で無農薬いちごの収穫に成功した農家がいます。豊浦町「たねびと」の、佐藤英貴さんです。かつて自然の脅威に多くのものを奪われた一人の男性は、いつしか自然の力を借りて、大きな夢の種を育て始めました。「たねびと」では、4月下旬~6月下旬にかけて、いちご狩りも体験できます。
Shop Data
G.S.W grow seed works たねびと
住所 豊浦町字大岸461
電話番号 080-6002-2020
営業期間 いちご狩りは例年4月下旬〜6月下旬
URL https://www.instagram.com/grow.seed.works
おすすめの食べ方 まずは獲れたてをガブリ
震災を経て、自分たちの正しさを探す道へ
甘くておいしい果実が大好きなのは、なにも人間だけじゃない。虫も、菌も、みんな大好きだ。すぐに虫に食べられたり、病気になったりしてしまうから、果実を無農薬で育てることはほとんど不可能。ずっとそう言われてきた。海と山に囲まれた豊かな町、豊浦町。ここで、2018年、新規就農者が北海道で無農薬のいちご栽培に成功したという。そんな話を聞きつけて、初夏の終わりに農場を訪ねた。
収穫されたいちごが出荷の時を待つ、ハウスの横にある事務所に招かれた。入るやいなや、甘くて幸せな香りにふわっと包まれる。迎えてくれたのは、就農3年目のいちご農家、佐藤英貴さんと妻の律子さん。同じ空間で、静かにそばにいる娘の聖ちゃんの3人。佐藤一家がこの地に移り住むまでには、悲しい、でも今の家族にはなくてはならない出来事があった。
2011年3月11日。多くの人の運命を変えたその日まで、佐藤一家は宮城県の海沿いで、いつもと変わらない幸せな日常を送っていた。地震の発生後、家と持ち物のすべてを津波に奪われた。けれど幸い、家族全員の命は無事。絶望と恐怖の中で、家族みんなで明日を迎えられること、当時2歳だった聖ちゃんの存在が、何よりの希望だった。そして震災の全貌が徐々に明らかになっていくにつれ、原発事故に関するニュースが連日報じられるようになった。それが、佐藤さんに大きな変化を強いることになる。
正確な情報が手に入らない中、自分たちで“正しさ”の選択をしていかなければならなかった。佐藤さんはその頃から、これまでまったく意識してこなかった「食」や「環境」に対して、真剣に向き合うようになった。そうしたかったというよりも、そうせざるを得ない状況だった。一番安心できるのは、自分で食べ物を作ること。農家になるという選択を頭の片隅で意識し始めたのも、ちょうどその頃だった。
自然環境、共生、環境教育。そんなキーワードが気になり始めた頃、北海道の豊浦町にシュタイナー教育を実践する学校があることを知った。シュタイナー教育とは、オーストリアの哲学者、ルドルフ・シュタイナーが提唱した子どもの個性を尊重する教育法のこと。北海道旅行も兼ねて、という感覚でサマースクールに参加したとき、佐藤一家は豊浦町の自然に心を奪われてしまった。
遠く、どこまでも見渡せる広い空。圧倒的な北海道の大自然。直観で「ここに住みたい」と感じた。ちょうど、これからのことにモヤモヤを抱いていた時期。豊浦の大きな自然は、そんな迷いを包み込んだ。2014年、佐藤一家は3人で、知り合いもいないこの町へと越してきた。
いちご農家「たねびと」の始まり。一つずつ仕組みを紐解いて
最初の半年は、遊休農地調査員として使われていない畑を調査する仕事に従事した。たくさんの農家に話を聞けたことで、就農への意思はより具体的なものになっていった。
農家として起業する以上、やりたい農業のスタイルは決まっていた。それは、有機栽培、無農薬で安心できる作物を作ること。それさえできれば、作るものは何でもよかった。いちごを作ることにしたのは、豊浦町の特産品がいちごだったから。ということはきっと、ここにはいちご栽培に適した環境があると踏んでのこと。「もし特産品が水菜だったら、水菜を無農薬で育てていたと思います」と佐藤さんは笑う。
遊休農地調査の仕事を終え、2年間の研修が始まった。「有機栽培で、無農薬で、いちご」。周囲の人は、誰しも「無理だからやめとけ」と言った。農業普及センターに相談しても、「まずは普通のやり方で、ちゃんと育てることから始めないと」と言われた。
けれど農薬を使って始めたら、佐藤さんが農家を志した意味がなくなるのと一緒。自分が心から安心できる方法で食べ物を作る。そこは、どうしても譲れなかった。だから、「どうしてできないのか、一つひとつクリアしていくしかなかったんです」。そのスタートラインに立った時、いちご農家「たねびと」は生まれた。
無知を武器にして、もっと深みへ
研修と並行して、2年目から今のハウスで北海道の品種「けんたろう」の試験栽培を始めた。いつしか佐藤さんの熱意に押される形で、親方は有機栽培に同意してくれるようになった。とはいえ、有機で無農薬栽培のいちごは北海道では前例がない。有機栽培の実践者に話を聞き、専門書を開くことが、佐藤さんにできる唯一のことだった。最終的には自分の頭で考えて、何度も何度もトライ&エラーを重ねる。残された道はそれだけだった。
「きっと、知らないがゆえに挑戦できたんじゃないでしょうか」と律子さん。無農薬でいちごを作るということの“無理難題さ”や“一般常識”を知らなかったからできたこと。それゆえ佐藤さんはまず、目の前のあらゆることに「どうしてこうなっているのか」と成り立ちを考えることから始めた。
たとえばいちご栽培における大きな難点と言われる、土壌障害。それを防ぐために使われる農薬は、土着の菌、良い菌、悪い菌すべてを排除しようとする考えだった。どんな環境でも、悪い菌を一掃することは不可能なはず。佐藤さんは農薬を使わずに、米糠と堆肥を土に混ぜ込んで、太陽熱によってすべての菌を増やす方法を選んだ。いずれも共存させながら、土着の菌や良い菌をより増やし、他の悪い菌が入ってきても負けない環境をつくってあげる。
こういった細やかな試行錯誤を、驚くほどのスピードで重ねていった。なんと、1年目からいちごは赤い実をつけ佐藤さんの努力に応えた。その結実の速さが証明しているのは、佐藤さんがいかに研究熱心な人なのかということ。誰よりも畑で悩み、向き合った時間の積み重ねがあってこそだろう。
3棟のハウスを見せてもらった。繁茂した濃い緑の葉と、いくつも実ったいちご、マルチの下から力強く生える雑草、飛び回る自家受粉用のミツバチ。ハウスの中全体が、あふれんばかりの生命力に満ちていた。大切ないちごを一粒いただくと、口いっぱいに甘い果汁がじゅわっとあふれた。味に派手さやえぐみはなく、甘味や酸味などのバランスが、まぁるくなって身体に染み込むような感じ。「自然の味って、たぶんこうなんだ」と思った。人口的なものではなく、自然の力を借りて作るいちごだから、味のコントロールは効かない。日光の量や気温や湿度によって、毎日味が変わるそう。このいちごは、今日だけの味。そんな特別感もおいしさの理由になった。
育て方だけでなく、届け方にも思いを込める
初めてできたいちごは、「外に出したくないほどの可愛さ」だったそうだ。けれど口にした人の「おいしい」のひと言は、佐藤さんにとって何にも代えがたい喜びになった。農薬にアレルギーがあった人でもいちごを食べられるようになったり、離乳食の最初の食べ物に選んでくれたり。育て、届けるようになったことで、食べ物を作ることの責任をより一層感じるようになった。
育てたいちごは、誰かに食べられて初めて意味を成す。だから、届けることも大切だ。たねびとでは、卸しや通販で販売するだけでなく、訪れた人が自ら収穫し食べられるいちご狩りも実施。「やっぱり採れたてのほうが、絶対おいしいんです」と、律子さん。手塩にかけたいちごの一番おいしい味を知ってほしいから。それがいちご狩りに取り組む大きな理由だった。
価値の高いいちごである一方で、価格はできる限り抑えて提供したいと考えている佐藤さん。限られた人だけでなく、たくさんの人の手に安心な作物を渡せる世界。それもたねびとが目指すもののひとつなのだ。
これまでの道を繋げてくれた、農家という仕事
育て、届ける農家の仕事には、たくさんのスキルが必要だ。たとえばハウスの組み立てや解体には土木職の技術を。販路の拡大には営業の知識を。日々の品質管理や認証取得にはかつて製造業で培ったノウハウを。あらゆる場面で、これまでの経験のすべてが活きることになった。佐藤さんにとってコンプレックスでもあった転職経験の多さは、農家になることで大きな力に変わった。ただ目の前のことに一所懸命に生きることが、これまでのすべてを肯定してくれたよう。点と点だった人生は、いちご農家という道に向かって、一本の線で繋がった。ハウスの外で、律子さんと聖ちゃんが空の写真を撮って遊んでいる。近くの森から聞こえる小鳥のさえずりと2人の笑い声が、広い空に響く。「ここが自分の居場所だと思えました」と、英貴さんは前を向いて言う。
これから始まる、たねびとの夢
「これから、いちごのテーマパークを作ろうとしているんです」と、律子さんの表情がパッと明るくなる。ハウスの隣にあった古民家を改装し、採れたてのいちごを使ったスイーツが食べられるカフェを作ろうとしているそうだ。改めて、佐藤さんが出合ったのが、いちごという愛される果実だった偶然に感謝したい。
「たねびと」とは、「たねを育てる人」という意味。佐藤さん自身が「たねびと」となり、拓き、ならしてきたこの道を、次の世代につないでいけるように。安心して食べられるいちごのおいしさを、もっと多くの人に知ってもらえるように。そんな未来を夢見て、佐藤さんは今日も一人、もくもくと土に向かっている。