色のある手と、大きな笑顔。まちの大工、「yomogiya」に会いに。

あのカフェも、あの宿も? 長沼町を中心に、道内各地の素敵な建物を数多く手がける大工、「yomogiya」の中村さん。古材を活用するためのワークショップを開催したり、東京でシステムエンジニアとして働いていた経験を活かして、お客さんのwebサイトを制作したり。さまざまな分野で活躍する中村さんが、大工になるまでのこと、携わった建物のこと、いつも心に思う「住みよい」未来のこと。まだ完成途中だった由仁町の三好焼菓子店にて、たくさんの話を聞きました。

Shop Data

「yomogiya」
住所 長沼町東9線北2
電話番号 090-5783-4887
URL http://yomogi8.net
写真について 「手が動かなくなるほど練習した」というエピソードを話してくれている時の表情

作業場の横にある自作の小屋。ここを事務所にしているそう。

センスが光る、キャンドルショップで

白い塗料が点々と散る上着、髪を後ろでひとつにまとめて、くたっと馴染んだ帽子を被る。帽子と耳の間には、鉛筆を挟むのがいつものスタイル。ワハハと大きく笑うその人は、中村直弘さん。まちの大工として、「yomogiya」として、「住みよい」を作る人。

「yomogiya」の中村さんを最初に知ったのは、本誌58号でも紹介した、由仁町のキャンドルショップKOKOを訪れたときのことだった。櫻井芳枝さんが営むその店は、一つひとつのキャンドルはもちろん、内装もインテリアも櫻井さんらしくて、あまりに素敵だった。黒漆喰と銅板の壁をキャンドルの灯が照らした時、「センスが光るって、こういうことなのか」と、そのまましばらく、目の前の世界に魅せられていた。

由仁町にある、キャンドルショップKOKOの店内。

帰り際に櫻井さんが、店の内装は、隣町である長沼町の「yomogiya」が手がけたのだと教えてくれた。さらに、「そうそう、このショップカードも中村くんが作ってくれたの」と、シンプルで洗練されたデザインのカードを渡してくれた。それからも、心惹かれた建物に実は中村さんが関わっていたり、札幌の取材先では内装を手がけた大工さんとして、偶然居合わせたこともあった。「一体、どんな人なんだろう」。むくむくと膨らんだ気持ちを胸に、3月が終わる頃に会いに行った。遅い雪が降った日のことで、長沼町近郊にも雪景色が広がっていた。

完成前の、三好焼菓子店へ

2019年3月、施工途中の店舗にて。写真左は三好さん。

「今、由仁町にオープンする焼き菓子屋さんの施工をしているんです」。中村さんと最初に訪れたのは、三好焼菓子店。関西から移住してきた三好塁さんが、フィナンシェを中心とした手作りの焼き菓子を販売する店だ。

2017年の夏、由仁町で暮らし始めた三好さんは、店を営むための場所を探していた。その話は、長沼町にあるshandi nivas cafeの坂本さんを通じて、カフェの常連である中村さんに伝わる。「それなら、あの空き家になってるところ、どうかな?」。

こうして三好さんは、小さな町ならではのつながりで、自分の店となる物件と、改装を手がけてくれる大工に出会った。

三好さんが、由仁町の彫金・鍛金の作家、トントン工房ゆり介・竹島さんの指導を受け手づくりしたボウル。

「天井、剥がしたほうがカッコいいね、窓は木枠が合うね」。2人で一つひとつ決めながら、店を造ってきた。三好さんも、壁を塗る作業に携わった。後はドアを付けて、什器を入れたら完成だ。

三好さんが、「イメージしていたより、どんどん良くなってるんです。(まだ施工途中だけど)既に、想像以上の仕上がり」と話す。「三好くんも、『作る人』だから。ものづくりをする人のこだわりたい場所は、わかるんです」とは、中村さん。

「この角で、珈琲淹れたら?」。「あ、それいいかも」。「外に自転車スタンド作って…」。まだガランとした店内は、造る人と使う人が、共に思う未来へのアイデアでいっぱいだった。

その後、2019年6月にオープンした三好焼菓子店の店内。

「捨てない」という選択肢を作る、SALVAGE YARD

続いて、中村さんの自宅横にある作業場へ向かう。奥から中村さんが出してきたのは、古材を使った椅子とテーブル、時計だった。すべてに、焼印で「SALVAGE YARD」と文字が押されている。中村さんが代表を務めるプロジェクトの名前だ。

salvage材を使った『テーブル』と『三日月のスツール』、『フォトスタンド』。

災害をはじめ、何らかの事情で行き場をなくした古材をsalvage(救助)し、新しい価値を付け、得られた利益を持ち主へ返す。捨てられようとするモノに、「捨てる以外の選択肢を作る」。それが、プロジェクトの目指すところだ。

きっかけは、2018年9月に起きた北海道胆振東部地震。震災後、中村さんはむかわ町で炊き出しを行う仲間の元へ、トラックで野菜や資材を届けていた。

あの時、多くの人たちが「自分にできること」を探していた。募金をすること、物資を届けること、現地で作業にあたること。その方法はさまざまでも、思いはひとつだったに違いない。

中村さんは、大工だ。大切に使われてきた古道具も大好きだった。変わってしまった町の姿や、崩れた納屋の中で埋もれていこうとする木材を目の当たりにして、ひとつの思いが生まれる。「捨てられようとするモノで、何かできないか」。
 
9月24日、厚真町で最初のsalvageが行われた。回収したのは、築90年の納屋の裏で保管されていた123枚もの板材。現在の所有者の祖父が生前に、山から木を伐って製材していたものだそうだ。

板材は翌月、中村さんたちが開催した古材市で販売され、訪れた人の手に渡る。約13万円が利益として手元に残り、所有者の手に戻された。

「そのお金を渡したら、『震災で壊れてしまったお墓の修繕に使う』と。おじいさんが伐った木が形を変えて、おじいさんのために使われた気がして…。感慨深いものがありました」。

商品に付けられたQRコードを読み込めば、古材が回収された位置を知ることができる。

崩れた納屋に積み重なる埃だらけの木材を見放すことは、悲しい程に簡単だ。「いらない」と首を振って、新しい家具を買いに行けばいい。もし、埃を払って、その木材が重ねてきた時間を思うことができたなら。小さな傷や割れ目に、愛着を持つことができたなら。その時に生まれる「使う」という選択肢に、その木材は救われる。そして私たちも、長い時を経てきたモノが手元にあることに、救われるときがきっとあるはずだ。

「捨てない」という選択肢が、あたりまえのものになりますように。中村さんは仲間と共に、未来を見る。

長沼町で行われた古材市の様子(写真提供/中村さん)

中村さんが、大工になるまで

中村さんは、本当によく笑う人だった。手がけた建物やデザインから勝手にイメージしていた人物像とは、ちょっぴり印象が違っていた。イメージしていたのは、柔らかくて、繊細で、ほんのりと都会の香りがする人。目の前で笑うのは、あったかくて、まっすぐな芯があって、どことなく大地の匂いがする人だ。

岩見沢市で生まれ育った中村さんは、「子どもの頃から、『未来』とか『都会』に憧れがあった」という。幼い頃に抱いた「未来」への憧れはやがて、コンピューターへの興味に変わっていく。大学時代までを北海道で過ごし、卒業後は東京で、システムエンジニアの仕事に就いた。

東京での生活はやっぱり刺激的で、仕事も充実していた。でも、日々精一杯働いて、週末に身体が向かうのは、郊外のキャンプ場だった。自然の中で過ごしたかった。「ああ、自分は田舎を求めてるんだなぁ」。ある時、そう気づいた中村さんは故郷の北海道へ戻ろうと、心を決める。27歳の頃のことだ。

2018年の冬には、オーストラリア出身のカールさんが仲間入り。

北海道に戻ることにはしたものの、決して都会での生活やコンピューターが嫌になったわけではない。「札幌に近い田舎」を条件に、次に暮らす場所を探した。

インターネット上の地図から、候補に挙がったのが長沼町か当別町。どちらも捨てがたかったけれど、最終的には「どちらかといえば雪が少ない」という理由で、長沼町を選んだ。

暮らす場所が決まり、次に考えたのが「長沼(田舎)で生きていく道」について。初めは、土地に根差して畑を耕す生活が自分に合っているのではと、農家になりたいと思っていた。農家としての生活を具体的にイメージする中で、「畑の側にある、使われていない家や倉庫を直して暮らしたい」という思いが生まれる。その思いが、中村さんを大工の道へと導くことになる。

2010年、中村さんは建築の基礎を身に付けるため、職業訓練校に通い始める。当時、30歳。周りには、高校を卒業したばかりの同級生もたくさんいた。

「その時は、研ぎ物の練習をしていて」と、中村さんが懐かしそうに話し始める。必死に練習する中村さんの横で、自分よりひと回り程も若い仲間たちがスイスイと腕を上げていく「もうね、悔しくて、苦しくて! 毎日家に道具を持って帰って、ひたすら練習しましたね」。

来る日も来る日も、研ぎ続けた。そんなある日、ふと自分の手元に目が止まる。手が金属の錆で真っ黒になっていた。その手は、大工の手そのものだった。

「職人の世界は、『手に職』じゃなくて、『手に色(しょく)』なんだ」。色の付いた真っ黒な手に、心が強く揺さぶられる。「大工、やろう。大工として、生きていこう」。その瞬間、長沼で生きていく道、これから歩んでいく道が開けた。職業訓練校を卒業後、工務店勤務を経て、独立を果たしたのは2015年のことだった。

自宅の敷地に建てた薪小屋を見た人から、「ウチの薪小屋も作ってくれない?」と声がかかった。その後は前述のshandi nivas cafeの小屋製作や、栗山町の美容室の工事を手がけるなど。人と人とのつながりの中で、少しずつ「まちの大工」になっていった。

「住みよい」未来を、とことん思う

仕事は、「住みよい」を作ること。たとえば、家に棚をひとつ作る。その人の「ここに収納場所があったらなぁ」というもどかしさはなくなり、生活は、ぐっと快適になったりする。たとえば、椅子をひとつ。その人にぴったり馴染む座り心地の椅子ができたなら、座る度にうれしくなれる。毎日そこに腰掛けて、幸せな時間を過ごすことができる。

人によって、心地良いと感じるものは異なる。誰かの不便は、誰かにとっての便利かもしれない。だから一人ひとりと顔を合わせて、話し合って、それぞれの暮らしにとことん寄り添う。

その人にとっての、幸せを。「yomogiya」という名前にしたのも、そんな考えがあってのことだ。

「ヨモギの香りが大好きで、春に姿が見えるとウキウキするんです。だけど目立たなくて、春の楽しみの王道ではない感じがして。そこも含めて、自分にちょうどいい感じがしたんです」。ヨモギヤって響きもいいと、中村さんは笑う。

その笑顔を見て、「いいなぁ」と思う。こんな風にあたたかく笑えたら、いいな。自分や誰かの好きなものを、こんなに大切にできたらいいな。誰もが、自分の歩く道を好きでいられたらいいな。

ウェブ制作と、小屋づくり。未来と、古いモノ。中村さんが携わり、見てきたことをそれぞれ文字にすると、反対の意味を持っているように感じてしまう。

でもきっと、同じなのだろう。中村さんが、ホームページやショップカードのデザインをするとき、小屋を建てるとき、その先に思うのは、その店とその人の、これからの暮らし。古いモノを見て思うのは、それらが使われていく、これからの未来だ。

中村さんは、まちの大工。「yomogiya」として、住みよい未来をつくる人。

この記事の掲載号

スロウ59号
「生きて、活きる、花」

ドライフラワーやスワッグ、ハーブティー。花期が短い北海道で、1年中花を楽しむ達人たちの暮らしのアイデアがいっぱい。

この記事を書いた人

立田栞那

立田栞那

花のまち、東神楽町生まれ。スロウの編集とSlow Life HOKKAIDOのツアー担当。大切にしているのは、「できるだけそのまま書くこと」。パンを持って森へ行くのが休日の楽しみ。